親不孝2
「あの子は昔から情が強くて…」
目の前の人はそう言ってからふっと笑った。
「でもそんなことは進藤さんが誰よりも良く知ってらっしゃるわね」
頑固で手こずらされるでしょうと言う言葉に、思わずつい「はい」と答えて苦笑される。
「一度決めたら梃でも動かない。一見素直のように見えて、親の言うことになんか耳を貸さない」
もっともそれは私たち親のせいでもあるのだけれどと、溜息のように言われておれも耳が痛かった。
忙しい両親に小さい頃から放って置かれた、なので自主性はついたけれど非道く頑固に育ってしま
った。それは形は違えども自分の親にも言われたことだからだ。
『あなたは小さい頃から何を言っても自分の好きなことしかしなくって、だから終いにはもう何も言わ
なくなってしまったけれど、もっとちゃんと厳しく躾れば良かったわ』
随分と内容は違うけれど、頑固の部分だけが共通している。そして一度決めたら梃でも曲げないと
いう所もおれと塔矢は似ているのだった。
「だから覚悟はしていたんですけどね、でもやっぱり私も母親として許すわけには行かないんです」
どうかアキラと別れてやってくれませんかと深々と頭を下げられて唇を噛んだ。
「あの子は頑固で打ち解けにくくて、自分から誰かを好きになるなんてことが滅多に無いことなのだ
とはわかっています」
そして進藤さんが私から見ても気持ちのいい、反対する理由が無い人だということも重々承知の上
でお願いしていますと語られる言葉には必死の想いがこもっている。
「それでもどうか、どうかあの子と別れてやってください」
「塔矢は…あいつはこのこと知っているんですか?」
知るわけが無い、そう思いながらも聞いてみる。
「知りません。知っていたら私がここに居られるはずが無いじゃないですか」
あの子はあれで燃えさかる火のような激しい性格をしていますからと、これもまたよくわかっている
ことなので苦笑してしまう。
「そうですよね、あいつおばさんがこんなことしているって知ったら烈火のように怒りそうだ」
あの綺麗な顔を怒りに火照らせて母親に言う声までが聞こえてきそうだった。
『お母さん、ぼく達は愛し合っているんです。いくら親だからと言ってぼく達の仲を裂く権利は無いは
ずです』
きっぱりと言い切る顔はたぶん目の前のこの人とそっくりなんだろう。そう思うとやはり辛い。
「あの子は―私が進藤さんにこんなお願いをしたと知ったら怒るでしょう。怒って私たちを憎んで、も
う家には帰って来ないかもしれない」
でも、それでもこうせずにはいられなかったという言葉に、しみじみと深い親の情を感じた。
「お願いします、進藤さん、どうかアキラと―」
「あいつは…」
再度深々と頭を下げる目の前の人に、おれは思わず言ってしまった。
「あいつはどんなことがあってもおばさんや塔矢先生を憎んだりなんかしない」
はっと伏せられた顔が持ち上げられる。
「あいつ、おばさんや先生のことを心から尊敬して」
そして子として愛しているからと。
「進藤さん…」
「だからきっとこのことを知ったらすごく苦しむ」
「脅してらっしゃるの?」
「まさか!」
ただ本当に苦しみそうだと、おれと違って塔矢は親不孝なことは出来ないからと言ったら深い息を
吐かれた。
「それでも、あなたを好きだと言います」
あなたを好きで一緒に生きていきたいと私たちにはっきりと言いましたと。
「本当はたぶん、別れた方がいいんだと思う」
おれから別れると言えば塔矢はたぶん嫌とは言わない。
心変わりをしたと、下手な嘘をついてもたぶん追求はして来ないだろう。
「普通に結婚して普通に親になって」
棋士として、人として、満ち足りた人生というヤツを送れるのかもしれないけれど。
「では、別れてくださいますの?」
「でも―」
出来ないですと言ったら塔矢の母親の顔色が変わった。
「どうして? あの子の幸せのためにお願いしてるんですよ?」
「だから余計に別れたりなんか出来ない」
おれから別れると言えばきっと別れられるのだろうけれど、でもあいつは変わらないから。
「おれがもし結婚して、ガキが出来て年老いても、それでもきっとあいつは変わらない」
変わらないままずっと一人で生きていくんだと、ほぼ確信のようにそう思える。
「おばさんは自惚れてるって言うと思うけど、でもあいつそうでしょう?」
一度好きになったものを――心から愛したものを簡単に翻すわけが無い。
「どうしてそんなふうに言い切れるの?」
「だってあいつ頑固だから」
クソ頑固で意地っ張りで、自分より愛する人の方を優先する。
「あいつが自分から別れるって言うことは無いと思う。でももしおれが言ったら塔矢は絶対
引き止めない」
引き止めないで一生悲しみ続けるんだと、それは考えただけで胸が引き裂かれそうな程に
痛かった。
「だからゴメンナサイ。おれはあいつと絶対に別れたりしません」
一生あいつの側に居て一緒に暮して行きたいと思うから、だから例えオバサンや塔矢先生
に憎まれても恨まれても別れることだけは出来ないと言ったらまた大きな溜息をつかれた。
「こんなにお願いしているのに?」
「あいつが幸せになれないのに別れるなんて出来ない」
「あなたと一緒なら幸せになれるの?」
その言葉には多少の皮肉も含められていたと思う。
「はい。幸せになれなくてもおれが命かけて幸せにするから」
だからどうかおれに塔矢をくださいと、先程とは逆におれが深く頭を下げたら目の前の人は
しばし黙った。
「…そう、そうなの」
それじゃ仕方無いわねと言う声に驚いて顔を上げると、塔矢の母親はその綺麗な手で携帯
を持って耳に当てているのだった。
「おばさ―――」
しっと口元に指を一本当てられて素直に黙る。
「進藤さんですか? 塔矢ですけれど、ええ、やはり別れないって言われてしまいました」
息子さん決意は固いみたいですよと言ってからふっと小さく笑った。
「え? ああやっぱり。うちの子も頑固だから」
そうなるんじゃないかと思っていましたと全く状況がわからないおれの前で話は続いて行く。
「ええ、ええ。はい。それじゃよろしくお願いいたします」
本当にお互い親不孝な子を持ちましたよねえと言ってから塔矢の母親は電話を切った。そし
ておれをまっすぐに見る。
「今ね、アキラも同じように進藤さんのお母様と会っているの」
「え?」
「お母様、私と同じように別れて欲しいと言ってくださってるんです。でもやっぱりあの子頑固
ね」
返事はあなたと同じだったそうよと言ってまた溜息をつく。
「あなたとは別れないってきっぱりと言ったって―」
「でも、だからってあいつはおばさんや塔矢先生のこと…」
考えていないわけじゃないんだと言いかけたのをやんわりと封じられる。
「わかってます」
親ですものと、そしてそのまま言葉は続けられた。
「きっとこういう結果になるってそれもわかっていたんですけど、それでもやはり何もせずに許す
わけにはいかないので、進藤さんのお母様とも相談してこんなふうに試すようなことをさせて頂
きました」
ごめんなさいねともう何度目かわからない溜息を重ねてから塔矢の母親はおれに向き直った。
「進藤さん」
「はい」
「アキラは本当に頑固で情の強い子ですがどうぞよろしくお願いいたします」
どうか幸せにしてやってくださいと深々と頭を下げられておれも慌てて頭を下げる。
「―――はい」
絶対に、絶対に幸せにしますからと言ったら「そうね」と小さな声が言った。
「あなたと出会ってからのアキラはいつもずっと幸せそうですものね」
例えどんなに道が険しくてもきっと幸せに生きるでしょうと切ない声音に胸が痛む。
「すみません」
「あら、いやね謝られては困ってしまう」
ただ、ただどうか幸せにしてやってと繰り返される言葉におれはふいに泣いてしまった。
親不孝だ。
とんでも無い親不孝をしている。させていると改めて痛い程感じてしまったからだ。
「すみません、本当に―」
でも許してくださってありがとうございますと泣きながら、今一度頭を深く下げると塔矢の母親も
頭を下げた。
そして下げたまま静かに涙をこぼしたので、おれは絶対に何があっても塔矢を幸せにしなくて
はと心の底から思ったのだった。
※母の日SSのヒカルと明子ママバージョンが読みたいとのリクエストを拍手で頂きましたので書いてみました。
対面する時、明子ママの方が美津子ママより怖いと思います。でもどんな親でも子の幸せを考えない親はいないと言うことで。
2009.5.17 しょうこ