ちゃんと後であげるから




「甘い物はお好きですか?」

指導碁の最中そう尋ねられた時、壁にかかったカレンダーが目に入り、咄嗟に嘘が口をついて出た。

「うーん…そんなに好きな方じゃないかな」

嫌いという程では無いけれど好んで食べる方でも無いと、やんわりと甘い物が苦手だということを漂
わせたら、尋ねて来た相手はがっかりしたような顔で、でも気を取り直したように「そうですか」と言っ
た。

「じゃあ、バレンタインの時は大変ですね、進藤先生はたくさん貰いそうだから」
「そうだけど、でもせっかくの気持ちだしね」

持って帰って皆でありがたく頂いてマスと言ったおれの言葉に、相手は苦笑いのように笑って再び「そ
うですか」と言った。

それはあんまり非道いんじゃないか、好意をこめて贈られたものをこの男はそんなふうに扱うのかと
言外に責めている。そんな空気が滲んでいたけれどおれは敢えてそれに気がつかないように指導碁
を続けた。

(嫌われたかな)

その後、最後まであまり微笑みを見せなかった彼女に、ため息をつきつつそう思いながら、でも仕方
無いと同時に思った。

(だって好きでも無い子にチョコ貰っても別に嬉しく無いもんなあ)

けれどそんなふうに感じるようになったのは明確に好きな相手が出来てからで、それまでは自分も人
並みにバレンタインにはチョコを貰いたいと思っていたのだ。


好きな相手じゃなくてもそれが義理でも一個でも多く貰いたいと、それは友人達への見栄だったかも
しれないしオトコとしての本能だったかもしれないが、とにかくなんでもいいから欲しいと思っていた。

それが「なんでもいい」じゃなくなったのは一体いつの頃だったか。




『キミ、随分貰うんだね』

記憶の中にそこだけ切り取ったように残っている、塔矢のその一言がきっかけだったような気がす
る。

「何年前だったろう、あれ」

そんなに昔では無い。でも去年一昨年というわけでも無い。

『キミは人当たりがいいから皆に好かれるんだね』と言った、塔矢こそ持ちきれない程たくさんのチョコ
を持っていて、それがなんだか非道く癪に障ったのを覚えている。

『人当たりがいいのはおまえだろう? おれの何倍も貰っておいてそれって嫌味だぜ?』

その時は純粋に数で負けたことが悔しかったのだと思う。でも続いて塔矢に言われた言葉で何故か
はっと胸を突かれたような気持ちになったのだ。

『でも、この中にぼくを好きでくれた人はいないんだ』

見てくれや、イメージだけで勝手に想像したぼくにお祭り気分で贈ってくる。そんなチョコに意味がある
のかなと、その時の塔矢はなんだかとても寂しそうで咄嗟に「じゃあおれがやるよ」と言ってしまった。

『おれ、おまえのこと好きだもん。だからそれならいいだろう』

ところがそう言った瞬間に塔矢は非道く複雑な表情になった。

『嘘つきだな』
『え?』
『いらないよ。さっきも言っただろう? ぼくはぼくを好きな人のチョコしか貰いたくないから』
『だから―』
『違う』

キミのは違うんだと、それは寂しそうな顔だった。

とても切なそうな表情だったと今でも思い返すと胸が痛む。

けれど実際その時は自分は塔矢の言った意味を正確には理解していなかったし、だからそう言われ
てしまっても仕方が無かったのだと今なら思う。

(本当に好きってどういうことだよ)

もやもやとした気持ちを抱えながら家に帰り、無性に腹が立って腹が立って仕方が無かった。

(なんだよ、おれの『好き』は本当の『好き』じゃないって言うんかよ)

おれは好きだぜ、塔矢のことがすごく―――。

すごくすごく好き―――だ。

突き詰めて考えて行った時、唐突にその『好き』がどういう好きかに気がついて非道く狼狽えたりもし
たのだけれど、同時に塔矢が何を言いたかったかもすごく良くわかってしまった。

(そうか、そういうことなのか)

だからおれからのチョコはいらないと、確かに男からの友チョコなんか貰っても嬉しくは無いだろうと
腑に落ちた。


そして翌年からおれは義理チョコは一切貰わないことにした。

何故なら自分も『好きな人からしか貰いたくない』と思ってしまったからだ。

好きな人――塔矢からしか貰いたくない。

とは言うものの、棋院に郵送で送られて来る物もあり、そういう不可抗力のチョコは仕方なく受け取っ
てはいたのだけれど。出来うる限り直接受け取ることは回避した。

そして逆に毎年塔矢にはチョコを贈り続けたのだった。


『これ、義理とか友チョコとかそういうもんじゃないから』

大体男同士で義理も友も無いものだが、塔矢ははっきり言わないとわからない所があるのではっきり
と言葉にして伝えてみたのだった。

そして速攻で玉砕した。

『いらないって言っているだろう? キミの好きはぼくの好きとは違うんだよ』

違って無いって、おれもおまえのこと好きだってと心の中で叫びながら、でもいつまでもごねるのは男
らしく無いとおれはしおしおと引き下がった。

それから何度そういうことを繰り返して来たことか。

(でも今年はいい加減受け取ってくれてもいいよなあ)

今年も何日も前からデパートを回り、どのチョコにしようかと吟味した。

女の子で一杯の売り場に男が混ざるのは最初は結構覚悟が行ったけれど、でも行ってみたら意外に
も結構男の姿はあるのだった。



「ああ、今時は甘党の男も多いしね。自分用に買うヤツもいるみたいよ」
「へー」
「それに今は男から女にプレゼントするってのも有りみたいだし」

不思議に思って奈瀬に聞いたらこともなげにそう言われた。

「あーあ、私も誰かに心のこもった美味しいチョコを貰いたいなあ」
「そういうのは飯島の前ででも言えよ、あいつそれ聞いたら買ってくるかもしれないぞ」
「なんで飯島くんなのよ!」

私はもっと理想が高いのと奈瀬はその時怒っていたけれど、翌日結局飯島に言ったらしいので苦笑
してしまったのだけれど。

(駆け引きだ)

バレンタインは恋の駆け引きだとはよく言われる言葉だけれど本当にそうだと思った。

たかがチョコ。されどチョコ。

贈る方にも受け取る方にもそれぞれの思惑が絡んでいる。

「………駆け引きか…」

つぶやいて唐突にふっと何かがひっかかった。

「そういえばどうしてあいつ、あんなに頑なにおれからのチョコを受け取らないんだろう」

最初は単純に、おれが恋愛感情を理解していないと思われているからだと思っていた。

もしくはおれ以外に貰いたいヤツがいるので迷惑なのかもしれないと、そんなことも考えて見たりし
た。

(でも、だったらあいつはっきりそう言うはずだもんなあ)

最初にチョコをやろうかと言った時、塔矢は『好きな人からしか貰いたくない』と言った。そして翌年お
れがチョコを渡した時にも同じように言って受け取ってはくれなかったのだった。

(でもおれが嫌いだとは言っていない)

友人としてしか見られないとか、他に好きなヤツが居るとか、そんなことは一言たりとも言っていない
のだ。

(もしおれが塔矢だったら言うよな)

男でも女でも他に好きなヤツが居たら、そしてそいつからチョコを貰いたいと思っているのだとしたら
他のヤツからのチョコは断る。

今正にそうしているように、義理チョコの類は断って二度が無いようにすると思うのだ。

(だってそうしないと持って来られちゃうし、好きなヤツにいらん誤解されるかもしれないし)

そんな面倒を起こすような間違いを塔矢ほど頭がイイヤツがするはず無い。

「だったらなんで……」

なんであいつはおれのチョコをああまできっぱり受け取らないんだろう?

(何か気に入らないのか?)

チョコの種類、銘柄、渡すシチュエーション、渡す時の言葉。

再び考えにふけっていると、どうしても最後に思考は駆け引きという言葉に行き当たってしまう。

なんとなく。

なんとなくだけれどこれは駆け引きなのでは無いかという気がしてたまらないのだ。

塔矢からおれへの恋の―――。




「…あ、もしかして」

ふと思いついたことがあった。

『ぼくは』

『ぼくを好きな人からしか』

『チョコを貰いたくない』


それを今までおれは塔矢のことを本当に好きな相手からしか貰いたく無いという意味だと思ってい
た。そしてそれはもちろんそうでもあるのだろうけれど少し意味が違うのでは無いか。

『ぼくは』

『ぼくを好きだと言ってくれた人からしか』

本当に自分を好きだと、そう告白してくれた相手からしか『チョコを貰いたくない』なのだとしたら―。





バレンタイン当日、おれは吟味して綺麗にラッピングして貰ったチョコを持って塔矢を待った。

塔矢はいつも結構じっくり検討をする。だから帰りは一番最後で、案の定エレベーターから下りて来た
のは塔矢と塔矢の今日の対局相手だった。

「うす」

声をかけるおれに低段の相手は会釈して去り、塔矢とおれの二人だけが残った。

「キミも…懲りないな」

下げている紙袋を見るまでも無く覚悟していたのだろう、塔矢はため息まじりにおれを見た。

「いや、だってバレンタインだし」
「何度も言っているけど、ぼくは―」
「おまえをマジで好きなヤツからしか貰いたく無いんだろう?」

言いかけるいつもの台詞を遮って言う。

「え? …ああ…うん」
「おれ、おまえが好き! そういう意味で好きだから! だからおれのチョコ貰って」

そして出来るならおれにもチョコを下さいと言ったら塔矢は呆気にとられたような顔になり、それから
いきなり真っ赤になった。

「あれ? …違った?」

よく考えたらおれ今までちゃんとおまえに『好き』って言っていなかった。だから受け取って貰えないの
だと思ったのだけれど、でもそうじゃなかったのか? と尋ねるおれに何処か呆然とした声が言う。

「キミ…ぼくが好きなんだ?」
「たった今、好きって言ったじゃん。ついでに言うと最初に渡した時からおまえのこと、おまえが言うよ
うな意味でちゃんと好きだったよ」

そしておまえだってそれをわかっていたはずだぜと言うと塔矢の顔は更に赤くなってしまった。

「それは…」
「違うとは言わせないぞ。だからおまえあんな謎かけみたいなことしたんだもんな」

義理でも友チョコでも無いと言っているチョコを頑として受け取らなかった理由。それは塔矢がおれの
気持ちをちゃんと理解していて、でも言葉でおれに言わせたかったからだ。

おまえが好きだと『おれの方から』言葉でそう誓わせたかったのだ―。



「それは…うん」

ごめんなさいと、塔矢の言葉は歯切れが悪い。

「だったらおれも聞いてもいいよな? おまえは結局おれのこと好きなん?」

おれはおまえが好きなヤツはおれだってずっとそう思って来たけど、でも万一違うんだったら今の内
にはっきり言ってくれないと困るからと言ったら塔矢は狼狽えたように一歩下がった。

「それは…そんなこと」
「言えない?」

おれには言わせたくせに自分の気持ちは言わないで済ませるつもりなんかよと少しキツイ口調で言っ
たら塔矢は泣きべそのような顔になった。

「だってキミがまさか…」
「本当に言うなんて思わなかった? おまえ、おれのことどんだけへたれ野郎だと思ってたんだよ」

おれの言葉に塔矢はすごい勢いで首を横に振った。

「違う!」

そんなことは思ってなんかいないと。

「ただ…不安だったんだ。キミは誰にでも優しいし、恋愛感情で無くてもぼくにチョコをくれるかもしれな
いから」

ぼくの言葉を理解しないまま、『友達』としての好意でチョコをくれ続けているのかもしれないと不安で
不安でたまらなかったのだと。

「だからちゃんと言って欲しかった。ただチョコをくれるのじゃなくて―」
「自分のことを『好き』だって?」

こくりと頷く塔矢の顔は熟れたトマトのようだった。

「いくらおれが馬鹿だってさ、バレンタインに『友達』にチョコなんかやらないよ」

しかもこんな何年もと、おれが今何歳だと思ってんだと言ったら塔矢は小さな声で「22」と言った。

「その22の一応大人が友情だけで毎年毎年オトコにチョコなんか贈ろうとするわけないじゃん」

おれ、これでも結構傷ついてたんだからなと言ったら塔矢はしゅんとしたような顔になった。

「…ごめん」
「おまえに真剣さをわかって欲しくて他のヤツからの義理チョコもみんな断ってたのに」
「それは知ってた……それで……嬉しかった」

ごめんと、心持ち目を伏せる塔矢の顔はとても可愛かった。

毎年毎年無表情におれを突っぱねたあの顔とはまるで別人の塔矢が今ここに居た。


「で、結局おまえはおれのこと好きなん嫌いなん?」

それでもっておれのチョコは今年は受け取って貰えるの? とたたみかけるように尋ねたら塔矢は本
当に泣きそうな顔でおれを見つめ「意地悪だ」と呟いた。

「キミは底意地が悪い」
「さっき優しいって言ったじゃん」

その優しいおれがここまで待って、ちゃんとおまえの謎かけも解いたんだからおまえもおれに応えてと
言ったら塔矢はきゅっと唇を噛んだ。


「おれは言ったぜ?」

おまえがそう望んだようにおれの方からちゃんとおまえに好きだと告白したぜと、おれの言葉に塔矢
が心を決めたように息を吸い込む。

「キミのことを好きか嫌いか言えばいいんだな」
「そうだよ」
「ぼくはキミが――」

言いかけた所で唐突にチンとエレベーターが一階に着いた。

ドアが開き、何人か下りて来た人達は真っ赤な顔の塔矢と睨み合っているようなおれを訝しそうに見
つめて会釈して去って行った。



「………で?」

せっかくの告白タイムを中断されて少し苛つきながらおれは促した。

「おまえの気持ちは?」
「さっき言っただろう」
「途中までじゃん」
「それでも言った!」

そして塔矢はおれの手から紙袋を引ったくると胸にしっかりと抱えて怒鳴るように言った。

「ありがとう!」
「は?」
「た…確かに受け取ったから」

キミの気持ちと、そしてそのまま真っ赤な顔でくるりと後ろを向いて外に走り去ってしまった。

「ちょ…待て!」

ちゃんと言ってから行けよと、おまえやらずぶったくりかと焦ったおれも外に飛び出し、帯坂の遙か下
を駆け下りて行く塔矢の背中になんとか叫ぶことは出来たのだった。

「おまえもおれのこと好きならせめてチョコくらい渡せー!!」

気持ちも言わない、チョコもくれない。でもおれのチョコは貰って行くなんて卑怯だぞーと、周囲の人が
何事かと振り返る程大きな声でおれは叫んでしまった。

(塔矢のアホ)

「…馬鹿、間抜け、卑怯者」

悪態をつきながらおれは仕方なく自分も帰るためにゆっくり坂を下り始めた。

「可愛くて美人で、でも狡くてドケチだ!」
「ケチなんかじゃない!」

走り去り、二度と戻って来ないと思っていた塔矢がひょっこりと角から顔だけ覗かせて言った。

「ちゃんと後でチョコは渡す!」
「って、だったらチョコよりひとこと言ってけ!」

おれを好きだとちゃんと言っていけーーーー!!と、叫んで帯坂を転がり落ちるようにおれが駆け下
りて行ったら塔矢はまた身を翻して逃げ出したので、おれはその後を追いかけると市ヶ谷の街中を全
力疾走で駆け抜けたのだった。






※アキラの体力負けです。捕まって迫られて、言わされた挙げ句にキスをされてチョコも買わされます。
そしてその後は初デートです。がんばれ!
2009.2.14 しょうこ




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