幾年月




元々、アキラはヒカルのことを顔で好きになったとは思っていなかった。

もちろん、明るく人懐こい彼の顔形は好きだったし、立ち姿も好きだった。

いつ見ても目に心地よいし、いつまでも見ていたいとそう思う。

けれど、もし万一、何か不測の事態に遭ってヒカルの容姿が変わってしまったとしても、彼に対する自分
の気持ちは微塵も揺るがないだろうという自信もあった。


そう本当にアキラはヒカルを顔で好きになったわけでは無かったのだ。

けれど好悪とは別の感情で、ヒカルが年を取ったらどんな風に変わって行くのかなという興味はあった。



「おまえなんかなあ、年取ったら絶対ぶくぶくに太ってつるっぱげになって、脂ぎったエロ爺になるに決まって
るんだよ」


時折、和谷達と言い争いになってヒカルがそんな風に言われているのを聞くと、本当にそうなんだろうかと思
ってしまうからだ。


「なんでおれがそんなになるって思うんだよ。それだったらおまえだってそうじゃんか!」
「おれはおまえと違ってジャンクフードばっかり食って無いから大丈夫なんだよ!」


確かにヒカルはハンバーガーや麺類が好きで炭酸飲料もよく飲んでいる。自分が一緒に居る時は気をつけ
ているが、一人の時はかなりいい加減な食生活をしているはずだった。


(そういえばスナック菓子も好きだったな)

容姿はともかく、健康のためにもっと注意してやるべきかもしれないと思っていると、今度はヒカルが反撃に
出る。


「でも、おれちゃんとジムに通って運動してるし! 和谷なんか何もしてないだろう、絶対おまえの方が太る
って」
「おれはおまえと違って、細かな仕事も引き受けてるから運動は足りてるんだよ」


そうだ、ヒカルは確かに運動もしている。だったら和谷が言うような姿形にはならないかもしれない。

とは言うもののこれから先の十年、二十年で人がどう変わるかわからないし、頭髪に至っては遺伝の問題
もあるのでヒカルが一柳先生のようにならないとも限らない。


(そういえば彼のお祖父さんは少し薄い感じだったな)

アキラはヒカルの祖父の平八に何度か会っている。穏和な感じの、それでいて悪戯っ子がそのまま年をと
ったような雰囲気はヒカルに明らかに似ていて、でもあんなふうな老人になるならそれもいいなと思った。


アキラは環境の特殊さもあって、小さい頃から同年代の子ども達より、老人に多く接して来ている。

だから人が恐れる程老いというものを恐れてはいなかったし、むしろ年を取った時、碁会所で会う老人達の
ようになれたらいいなと思っていた。


(本当はお父さんのように年を取れたら一番いいのだけれど)

アキラの父は歩んで来た人生がそのまま刻まれたような年の取り方をしている。実際の年齢よりも随分上
に見えるのが玉に瑕と言えばそうだが、身に纏っている重厚さは同じ男として棋士として憧れるものがある。


(ぼくは無理だけど、進藤はどうだろうか)

アキラはヒカルと知り合うようになってから締りがなくなったと自分では思っている。だから父親のような老い
方はきっと出来ないだろう。


けれどヒカルは―ヒカルはどうだろうか?

普段の明るさからは想像も出来ない、打つ時の厳しい顔立ちは父に通じるものがあると思う。

それは桑原本因坊にも通じるものがあって、ああなるほど、もしかしたら桑原先生のようになるのかもしれ
ないとアキラは思った。


(桑原先生は、あくの強い方だけれど、悪戯好きな子どもみたいな所がある)

そっくりにはならないだろうが、きっとあんな感じだと結論づけて納得した夜、アキラは夢を見た。

それは自分が数十年後、年を経たヒカルと話している夢だった。



『若手にクソ生意気なガキが居るんだ』

くだけた喋り方はそのままに老境に近いヒカルが居る。

『キミだって昔はそう思われていたと思うよ』
『それにしたって年長者への礼儀がなってないし、言葉使いも悪いし』


何より碁に対する尊敬の念が足りないと、怒りながら言っているヒカルをアキラは笑いを噛み殺しながら
宥めている。


『それでも、いつか彼らが碁界を背負って立つのだから』
『ああ、だからビシビシ鍛えて甘っちょろい考えを改めさせてやる』


高らかに笑う、彼の声は清々しかった。

老いているとは思えない、それは若々しい声だった。



ぱっと目を開いた時、アキラはまだ半分夢の中に居るようで、でもすぐ隣で眠るヒカルを見て、ようやく
ああ夢を見ていたのだと独りごちるように思った。


すうすうと規則正しい呼吸の音をたてているヒカルの顔は夢の中のそれとは似ているけれどやはり違
う。


「…どちらでも無かったな」

平八のような悪戯っぽい老人でも、父や桑原本因坊のような厳しく重厚な老人でも無かった。

ヒカルは――やはりヒカルだった。

手を伸ばし、さらりと寝ている前髪を撫でる。

「可愛かったよ」

そして呟く。

「でも厳しかった」

ぼくは今のキミも好きだけど、年を取ったキミのこともとても好きだと。


禿げても太っても痩せぎすでも無かった。

脂ぎってもいず、枯れてもいず、生き生きとして若かった。

「あのキミに会うのが楽しみだ」

夢の中、自分がどんな姿になっているのかは見ることが叶わなかったが、願うことならばあの彼に相
応しい年の取り方が出来ればいいと、これからはより一層心がけて生きようとアキラはそう思いなが
ら、再びヒカルに寄り添うようにして微笑みながら眠ったのだった。



※えーと、読んで解ったと思いますが、これはSS−diaryに書いた「骨まで愛して」の対の話というか
真面目バージョンというかそんな感じのものです。年をとったヒカル、カワイイ、けれど厳しい人になるんでしょう。
こんなふうに老いたい、そう思えるようなそんな老棋士になるんだと思います。2010.9.20 しょうこ


あ、そうそう。今年は敬老の日と重なっているので実はこれは敬老SSです。敬老の日で書くとは思わなかったな(笑)