大人になったら出来ること
「よくガキの頃にはさ、『大人』になったら…って考えたもんだけど」
特に何が変わったわけでも無いよなと、進藤は珍しく朝一番に新聞を広げながらそう言った。
「どうしたんだ? いきなり」
「いや、よく考えたら今日成人の日じゃん? だから」
よく考え無くても成人の日だと言いたいのをこらえて微笑んで返す。
「そうだね、ぼくは『大人』になったら学校に行かずに一日中、碁のことだけを考えていられる
から、早く大人になりたいと思っていたものだけど」
大人ってそういうものじゃないよねと今は自分の幼さに笑う。
「まあ、でも一般的に成人すると飲酒喫煙解禁てことになるじゃん?」
「そんなもの、飲んでいる人はもう二十歳になる前から飲んでいるものじゃないのか?」
「そうだよな。でもまあ一応」
選挙権が出来る。犯罪を犯した時に実名が出るなど、進藤が挙げ連ねてみるのを聞いている
と、良いのだか悪いのだわからないなと思う。
「おまえ、二十歳になった時に『大人』になったって思ったか?」
ふいに進藤が新聞から顔を上げてぼくに聞いた。
「―いや」
キミは? と尋ねると進藤も「おれも」と即座に言った。
「二十歳になった時になんか、別に大人になったとは思わなかったな。それより―」
「それより?」
「それよりも、一柳先生や、緒方先生達と対局して、本気になってもらえた時にそう思った」
瞬間、ぱちりと頭の中で石を置く音が大きく響いた。
「うん…ぼくも」
ぼくもそうだよと思う。
先生方ももちろん、若手だからと手を抜いて打つということは無い。
けれど気迫が違うのだ。
余裕で殺せる。こんなひよっこ、遊ばせておいてもひとひねりで殺せると思っている時と、殺すか
殺されるかの一局では、まるっきり気迫も打つ手も置く石の音さえ全てが違うのだ。
「おれ…山下先生と打った時も怖かったけど、一柳先生や座間先生や緒方先生と打った時も、
ものすごく怖かったなあ」
「ぼくは桑原先生が恐ろしかったよ」
あの時ぼくはまだ十代だったけれど、本気で殺しに来たからねと言ったら進藤は笑った。
「うん、みんな本気で来るよな。あれが本当の真剣勝負ってヤツだよな」
ぱちり、ぱちりと追い詰めて、考えていたはずの手筋を読まれて全て阻まれる。
あの苦しさと、目の前で自分を見据える百戦錬磨のプロの目は、子どもだったぼくにはとても
恐ろしかった。
「…お父さんの子どもとして、家で打って頂いていたのとはまるっきり違うからね」
「おれも。研究会とかで打つのとはまるっきり違うよな」
みんな一枚も二枚も上手なんだと進藤の言葉は実感がこもっている。
「…でも、嬉しかった」
「うん」
「対等に扱って貰って、脅威だと思って貰えて嬉しかった」
「ぼくもだ」
「だからおれにとっては…あれが『大人』になった時かな」
晴れ着も祝辞も式典も無い。
でも間違いなくあれがぼく達が『大人』になる儀式だったのだとそう思う。
「…おれ、碁打ちで良かったな」
ぽつりと進藤が再び新聞に目を落としてそう言った。
「何故?」
「んー…だってこいつら、成人したのに全然大人になって無いじゃん?」
進藤の視線の先には、新成人が騒ぎを起こしたという例年通りの記事が載っている。
「碁を知って、打つことの意味を知って、そして『大人』に『大人』として対等に扱って貰えた」
大人になることの意味を体で感じることが出来たから、だから自分は碁打ちになって良かっ
たと、進藤の言葉にしみじみと頷く。
「うん…ぼくも」
ぼくも碁打ちで良かったと、目の前の進藤を見つめながらそう思う。
打つことだけが『大人』になるということでは無いけれど、少なくともぼくは打つことで『大人』
になれたと思うから。
だからぼくもまた、心から…心の底から―そう思った。
※そういう意味では越智も和谷くんも、伊角さんも本田さんもみんなみんな『子ども』の頃から『大人』だったなあと思います。
一人きりで自分の実力だけで闘わなければならない。その精神力、そしてそれを持続する力。並大抵では無いですよ。
碁を打つということは命を削ぐことなのだと思います。正に命と命の勝負。静かだけれど命がけの勝負だと。
だから私は彼らの世界に憧れて、好きで好きでたまらないのだと思います。
2010.1,11 しょうこ