塔矢アキラ誕生祭参加作品
誕生日の夜
誕生日の夜はいつもぼくの好きな物が夕食に出た。 プレゼントはリボンも包装も何も無い素っ気ない紙包み。中には大抵身につける物や 文房具、たまに碁に関する本などが入っていた。 誕生日の丸い大きなケーキも買って貰ったことが無い。父が甘いものが嫌いだったか ら、家では洋菓子の類は食べなかったのだ。 でもその代わり、食事には上品な甘さの美しい和菓子が必ずそっと添えられていた。 『誕生日だったな。おめでとうアキラ』 『おめでとう、アキラさん』 大袈裟なことは何も無い。 誕生会なんてして貰ったことも無い。 でもぼくは嬉しかった。 どんなに忙しくても父も母もこの日だけは、ぼくのために家に居た。 少し大きくなって碁会所に通うようになってからは、市河さんや碁会所のお客さん達も ぼくの誕生日を祝ってくれるようになった。 『おめでとうアキラくん』 『若先生おめでとうございます』 皆から贈られる言葉がこそばゆく、でも温かで幸せだった。 「――で、なんでこういうタイミングでおまえはそういう話をするわけ?」 テーブルの上、苦労してケーキのローソク全部に火を灯し終わった所だった進藤は、 ぼくを振り返ると拗ねたように口を尖らせた。 「なんでって別に…子どもの時はそうだったんだよって、ただそれだけだったんだけど」 「そういう素朴だけど心のこもったお祝いをされて育ちましたって言われたら、なんだか おれが馬鹿みたいじゃん」 進藤がそう言うのは、何日も前から手間暇かけてぼくのために誕生日の用意をしてく れていたからなのだった。 二人だけでは食べきれないようなたくさんの料理に甘口のワイン、ケーキはテレビで 紹介していたという有名店の一番大きなサイズのものを半年前から予約して、家の中 も花やら何やらで飾り立ててある。 「…まあ、確かに目覚めてすぐにバラの花束を貰ったのには正直少し引いたけど」 「ほら、やっぱり本当は迷惑だって思ってるんじゃんか」 「そんなこと無いよ」 ただ少し驚いただけだった。 一緒に暮らすようになって初めての誕生日だからというのもあるかもしれない。進藤が あまりにも一生懸命に祝おうとしてくれるのでそれに面食らったのだ。 「だってやっぱ、おまえの生まれた日なんだから、思いっきり祝いたいって思うじゃん」 「うん……ありがとう」 クローゼットの奥にぼくへのプレゼントが隠してあることも知っている。 事前に平静を装いながら、必死になってぼくの欲しい物を聞きだそうとしていた進藤 は、可笑しくて可愛くて、愛しかった。 とにかく14日は1日空けろ、何があっても仕事も約束も入れるんじゃ無いと、随分前 からどれだけうるさく言われたことか。 『おまえ、市河さんとか芦原さんとかに誘われると、ふらふらそっちに行っちゃうんだか ら、誰になんて誘われても、とにかく行ったらダメだからな』 その日はおれだけの貸し切りにしてと、半ば脅迫のように言われ、一体どっちの誕生 日なのかと思ってしまった。 「本当は、もっとゴージャスにホテルで食事してそのまま泊るとかしたかったのに、おま えが家に居たいって言うからさぁ」 「だってそんな、誕生日くらいで勿体無い」 ぼくは家でキミとゆっくり過ごせればそれだけで充分幸せなのだと。遠慮では無く本心 からそう思う。 「本当はこんな大きなケーキじゃなくて、ショートケーキ一つでも良かったんだよ?」 「それじゃつまん無いって! 折角の誕生日なんだから」 大きな丸いケーキにおめでとうってメッセージを入れてもらって、それに年の数だけロ ーソクを立てる。そしてそれを吹き消すのが醍醐味なんじゃないかと言われて、彼が 今までどんな誕生日を過ごして来たのか目で見えるような気がした。 「キミは…キミの家は良い家庭だったんだね」 「そんなん、おまえだってそうだろう」 「―うん」 微笑んで頷く。 おおっぴらに愛情を示す人達では無かったけれど、それでもぼくは愛された。 愛して慈しみ大切に育てられて来たと思う。 「お父さんも…不器用な人だから特別に何かしてくれるってわけでは無かったけど、毎 年誕生日にはゆっくり時間をかけて向き合って打ってくれたかな」 そして打ちながら今まで経験した出来事や、忘れられない一局を時に目の前に並べな がら語ってくれた。 「解らない話もあったし、子どものぼくには難しすぎる一手もあったけれど」 それでも自分のために語ってくれる。それがとても嬉しかった。 「だからさ、そんな所から貰って来ちゃったんだから、おれとしては頑張らないわけに はいかないじゃん」 追いつけるとは思えない。でもいつかは追い越したいと思うからと。 「おまえが塔矢先生達に大事にされた、倍もその倍も大事にしなかったらきっと絶対罰 が当たるんだ」 「……そんなこと」 「あるよ絶対」 照明を落とした部屋の中は、ローソクの炎がゆらゆらと揺れる。 頼むから名前だけは入れてくれるなと懇願した大きなバースデーケーキ。 『HAPPY BIRTH DAY』とチョコレートで描かれた文字は照れ臭く胸の奥をくすぐ る。 料理も花も何もかも豪華過ぎると思うけれど、それが全て彼の気持ちだと思うと恥ず かしさよりも嬉しさの方が大きかった。 子どもの頃は両親に、そして少し大きくなってからはぼくを知る人達に。そして今、たっ た一人、ぼくだけを愛し、ぼくもまた愛する人が全力でぼくを幸せにしようとしてくれて いる。 「…過ぎるくらいだ」 「ん?」 「キミが居るだけでもう充分、ぼくは余る程に幸せだって言ったんだ」 ありがとうと、ぼくは彼と、ぼくを愛し育ててくれた全ての人達を想いながら呟いた。 「…ローソクの火、消さないとね」 「ああ、ちゃんと願い事してから吹き消せよ」 「そういうものなんだ?」 「うん。そーゆーもん」 「そうか」 微笑みながらぼくは息を吸い、そして一気にローソクの火を吹き消した。消し損ね無く 全部消さなくちゃ駄目なんだぞと進藤がうるさく言う声を聞きながら、胸では強く願い事 を考えた。 来年も 再来年も 出来るならずっと 彼とこうして過ごせますように。 そして許されるならば、彼がずっとこんなぼくを見捨てずに、好きで居てくれますように ―と。 ささやかで、でも真剣なぼくの心からの願い。 生まれて初めて吹いたローソクの火は一度で全部綺麗に消えた。 真っ暗になった部屋の中、ぼくは愛されて来たこと、そして今この瞬間愛されているこ とに心から深く感謝しながら、幸せな気持ちで彼とキスを交わしたのだった。 |