晦日餅
買い忘れた物を買いにスーパーに行ったら、進藤がにこにこしながら、のし餅を持ってやって
来た。
「なあなあ、見てこれ、すげえ柔らかいん」
まだ出来たてなのか、ふにゃふにゃしていると両端を持って揺らして見せる。
「これ、買いたい。買って」
キミは子どもかと言いたくなるのをぐっと堪えて厳かに言う。
「駄目だよ。お餅はもう袋入りのを買ったじゃないか」
そうで無くても二人暮らし、食べる量なんてたかが知れているのに、これ以上お餅を買う必要
は無いと言ったら、進藤は本当に子どものように頬を膨らませた。
「いいじゃん。おれ、こういう柔らかい餅ずっと食って無いし、餅を切るのってやってみたいし」
「だったら尚更駄目だ。今日切ったら『晦日餅』になってしまうもの」
縁起が悪いから駄目だよといくら言っても聞かないので、仕方無く折れて買ってやった。
既に一キロあるというのに、更にまた一キロの餅をどれくらいかけて食べきればいいのだろう
かと、考えるとつい溜息が出る。
でも進藤はそんなぼくとは裏腹に、にこにこと嬉しそうにレジを済ませると、弾むように家に帰
ったのだった。
「…で、どうすればいいんだっけ」
あれほど買いたい切りたいと言い張ったくせに、いざ切る段になってから、進藤は呆れるよう
なことを言う。
「キミ…切り慣れているんじゃ無かったのか?」
「いや、ずっと家じゃ父親が切ってたから、おれは一度も切ったことが無い」
だから切って見たかったんじゃないかと言われて、思わずぺちりと頭をぶった。
「痛ってーっ」
「新聞紙。それとまな板と、餅とり粉と包丁」
「何?」
「だから最初にテーブルに新聞紙を敷いて、その上にまな板を置いて、餅取り粉をまぶしなが
ら切って行くんだよ」
「へえ」
でも餅取り粉なんて無いと言うので片栗粉でも構わないからと言ったら、お手伝いの子どもよ
ろしく、せっせと嬉しそうにセッティングをし始めた。
「若先生、出来ました」
「じゃあ後は適当に切って」
「適当って?」
「だから普通の切り餅くらいの大きさに切って行けばいいから」
普通、見ているだけでも覚えないか? と思いながら、ぼくは溜息を隠して進藤を促した。
「じゃあ、ちょっと大きめに切ろうかな」
「好きに切ってくれていいよ」
「三角とか星形とかに切ってもいい?」
「駄目だ」
はしゃいだ後、それでも包丁を手に持つと、ごくごく真面目な顔に変わり、進藤は少し腰を屈
めると、真剣な眼差しでゆっくり餅を切って行った。
その姿を見詰めながら、ふとぼくは父のことを思い出していた。
(うちもお父さんが切っていたっけ)
どんなに忙しくても年末には必ず時間を作り、餅は父が一人で切っていた。
それを側で眺めるのがぼくはとても好きだったのだ。
『ほら』
口を開けなさいと、母に内緒で、まだ柔らかい餅の端っこを小さく切り取って食べさせてくれ
たことをよく覚えている。
「塔矢」
「何?」
「ほら」
黙々と切っていた進藤がふいに呼ぶので顔を上げる。
「ほら、美味いよ、これ」
つきたてだからまだ柔らかくて美味しいと、もう既に切れっ端をつまみ食いしたらしい進藤が、
にこにことぼくにも餅の欠片を差し出している。
「行儀が悪い」
「いいじゃん。たまには行儀が悪くても」
美味しいものは美味しいと、ぼくに口を開けさせると、その中に餅を放り込んだ。
「な? 美味いだろ?」
ほっぺたにまで白い粉をつけながら、進藤がぼくに笑いかける。
『美味しいだろう、アキラ』
それはそのまま、昔の父に重なった。
普段滅多に笑わない父が、この時だけは今の彼と同じように悪戯っぽく笑ったのだ。
『役得だ。側で見ていて良かったな』
「良かったろう?」
「え?」
「やっぱり、のし餅買って良かったろうって言ってんの!」
一々切るのは面倒だけど、こうやって美味しい所を食べられるからやっぱり餅はのし餅がい
い。この切れっ端って役得だよなと言われて思わず苦笑してしまった。
「なんだよ。そりゃあおまえんちは、こんな行儀悪いことなんかしなかったろうけど」
「いや―」
案外そうでも無かったよと言いながら、そっとまな板の上の餅の切れっ端をつまみ、彼の口
元に運んでやる。
「ほら」
ぼくと餅を交互に見て、それから進藤はいきなり全開の笑顔になった。
「マジ役得かも」
来年も再来年も、これからはずっと正月は袋に入った餅では無くて、のし餅を買って切って
食べようと言われ、やれやれと思いながら頷いた。
「…いいよ。少し面倒だけど」
餅を切るキミは打つ時と同じくらい真剣で格好良かったからと、これは調子に乗るので彼に
は言わない。
そしてもう一つ。
ぼくは自分で思っていたよりもずっとファザコンだったようなので、父から早く卒業するため
にも、彼との思い出をたくさん作って上書きして行かなければならないと思ったのだった。
※アキラはファザコンだと思います。ずーっと「お父さん」しか見えていなかったのが、ヒカルに出会って今度はずっとヒカルしか見えなくなった。
でも、ひょんなことでファザコンの自分が転がり出て来てしまうのでそれを恥じているわけです。いや、心配しなくてもとっくに親離れしていると
思うんですけどねえ。
それから『晦日餅』。家ではずっとそう教わって来たのですが、大晦日に餅つきをする風習の所もたくさんあるみたいですし真偽はわかりません。
家だけの風習だったのかも。2010.12.31 しょうこ