男雛、女雛
このお雛様、おまえみたい。
そう言いかけた言葉をヒカルはのどの奥で飲み込んだ。
それは似ていると思ったのが男雛では無く女雛の方であったからだ。
容姿に関して言われることを普段からアキラは喜ばない。ヒカルにしてみれば綺麗に整って
何時間見ても見飽きない顔だと思うのに、母親似のその面立ちはアキラにとってはコンプレ
ックスであるらしいのだ。
けれど、店先で歩調が緩くなったのは解ったらしく、隣を歩いていたアキラが問うような顔をし
てヒカルを振り返った。
「どうしたんだ?」
「いや、ほら、雛人形綺麗だなあって」
もうそんな時期なんだと思ってさと言ったら、アキラはたった今気がついたというように店先に
絢爛に飾ってある段飾りの雛人形をじっと見た。
「キミ、こういうものに興味があるんだ?」
「興味って言うか単純にキレイだろ」
人形店の店先で中をのぞき込んで男二人が話しているというのは珍しい光景かもしれないが、
この場所ではあまり気にならなかった。
なぜなら二人が歩いていたのは浅草橋で、駅前の大通りには大きな人形店が店を連ね、そこ
ここで同じようにのぞき込んでいる姿が見られたからだ。
もっとも、それらの人達は、すぐに店の中から出て来た店員に中に呼び込まれて姿を消してし
まうのだが、ヒカルとアキラに声をかける者は居ず、そういう意味では心ゆくまで気楽に人形を
眺めることが出来た。
「そんなに雛人形が好きならぼくの家にもあるけれど」
ガラス越しにゆっくりと歩きつつ、色々な人形を眺めているとふいに思い出したようにアキラが
言った。
「もし見たいなら、家に来れば飾ったのを見せてあげられるよ」
「って、なんでおまえんちにそんなもんがあるんだよ」
アキラの家も自分と同じ男一人の一人っ子ではないかと、ヒカルが疑問を口にする前にアキラ
がやんわりと言った。
「お母さんのだよ。結婚する時に嫁入り道具として持って来たんだ」
「へえ…」
そしてそれを毎年かかさず三月三日の節供に合せて日当たりの良い和室に飾るのだと言う。
「さすがに白酒を買って来たり、節供を祝うことは無かったけれどね」
それでも春に飾られる豪華な段飾りを見るのは自分も嫌いでは無かったとアキラは言った。
「最近は海外に居ることが多いけれど、今年は丁度その頃に帰って来るんじゃないかな」
そうしたら絶対に飾るはずだから見に来ればいいと言うのにヒカルは黙る。
「気詰まりか?」
「いや? 先生に会えるのは嬉しいし、明子サンの料理すごく美味いし行きたいけど…」
おれが見たいのは『雛人形』では無いのだからと、心の中でひっそり思う。
「おれ…買おうかな」
「雛人形を?」
さすがに驚いたらしく、仰天したようにアキラが言う。
「いや、嘘。おれが買ったって仕方無いじゃん」
でもあの最初に見た、アキラに似た女雛のお雛様だったら買ってもいいと少しだけ本気で思
った。
するとアキラがふいに言う。
「ぼくも…」
ぼくも買っても良いかなと、その言葉に今度はヒカルが仰天する番だった。
「なんでだよ。おまえんちあるんだろう」
「うん、あるけれど、最初に見たあのお雛様」
七段飾りのあれ、男雛の顔がキミによく似ていたから、あれだったらぼくも欲しいかなと、言
われてカッと頬が染まった。
「似てねえよ!」
「いや、似てた」
目や鼻筋や顔の雰囲気が良く似ていたよと言われて更に火照る。
「だったら別に買わなくてもいいじゃん。実物が側に居るんだから!」
「そうだね」
だったらキミも買わなくてもいいんじゃないかと静かに言われて言葉に詰まった。
「おまえ…気がついて―」
「さあ、なんのことかな」
でもたかだか雛人形をあんなに食らいつくように見つめていれば、どんなに鈍くても解るもの
だよと言われてヒカルは内心舌を巻いた。
まいった全部お見通しかよと。
「キミがどうしても買いたいなら止めないけれど?」
にっこりと微笑まれてこいつドSだと思う。
「ああ、買うよ。買ってやるよ。丁度今金も持ってるからな」
ホワイトデーのお返しにおまえの名前を入れてもらって買ってやるからとヒカルが店に入りか
けたら、思っても見ない反応だったのだろう、アキラがさすがに慌てて止めた。
「どうしてそうなる!」
「だっておまえさっき言ったじゃん? あの男雛がおれに似てるって」
そしてあれなら自分も欲しいと言った。だから少し早いけれどプレゼントとして買ってやるよと
言われて今度はアキラが黙った。
形勢逆転。
アキラは渋い顔でしばらくの間沈黙すると、唐突に、「だったらぼくで充分だろう」と言い放ち、
ヒカルの腕を強く掴むと、真っ赤な顔で人形店の店先からヒカルを引きずり出したのだった。
※のろけです。単なるのろけ。どんだけ相手のことが好きなんだね君達という感じです。
2010.3.4 しょうこ