聖夜



クリスマスは嫌いだ。

反射的にそう思ってしまうのは、ずっと前に進藤と彼の幼馴染みがクリスマスイブに連れ
立って歩いているのを見たことがあるからだ。


『あれは別に全然そういうんじゃ無かったし、単に買い物に付き合っただけだし』

進藤の方がそうだとしても、側に寄りそう彼女の方は明らかに違っていた。

大好きな人とイブを過ごせる喜びに光り輝いているかのようだった。

『あかりのことは好きとか嫌いとかそーゆーの考えたことも無いし、だから告られた時も
ちゃんと断ったし』


なのになんでそんなに拘るんだよと、進藤は恋人になって初めてのクリスマスを迎えた
時に渋い顔でそう言った。


『そんなにおれのこと信用出来ない? そんなに前のことが気になるん?』

ああ信用出来ないし、大いに気になるねとはプライドが邪魔して言えなかったけれど、問
題はそういうことでは無くて、クリスマスイブというと単純にその時の光景がフラッシュバ
ックのように思い出されて、胸の痛みまで生々しく蘇って来るからなのだ。


心臓を爪で細かに引き裂かれるような、あんな気持ちはもう二度と思い出したく無い。

『…何もしないならいい』
『何もって?』
『クリスマスっぽいことは何もせず、ただいつものように会って碁会所かどちらかの家で
打って、それだけならば別に会っても構わない』
『仕方ねーなぁ』


プレゼントも無し、ケーキも無し、イルミネーションを見るのも無しで、食事もごくごく普通
の食事がいい。万一外食するならばキミの好きなラーメンでいいからと言ったら、大きく
溜息をつかれてしまった。


『もしかしてそれ、一生?』
『そうだね、キミと付き合っているうちは一生そうして貰うことになる』


それが嫌ならぼくで無い人を選べと言ったら、進藤はムッとした顔のまま渋々とぼくの
言う条件を飲んだのだった。


それから数年。

未だにぼく達は色気とは全く無縁な碁三昧なクリスマスイブを送っている。




「結構遅くまでかかったなあ」

歩く道々、進藤は寒そうに両手を擦り合わせながらぼくに言った。

「そうだね、皆さん熱心な方が多いから、指導碁もやり甲斐があって楽しかった」

例年は二人で打って過ごしていたのだが、今年はたっての依頼で老人会の碁サークル
の指導碁に行ったのだ。


『いやあ、進藤先生も塔矢先生もご予定が無いと伺ったもので』

父の碁会所に来ているお客さん経由でもちこまれた話をぼくはもちろん即座に受けて、
だから進藤も否応なく付き合わされることになった。


「まあ、なんだな、しかし。クリスマスに家に居たく無いって人、結構多いもんなんだな」

しみじみと言う進藤にぼくは思わず苦笑してしまった。

「それはそうだろう、あのくらいのお年になると脂っこいものはあまり食べられないし、一
人暮らしの方も多いんだから」


一人きりでクリスマスも何も無かろうと思うのだ。

「確かに、一人でケーキ食ったって楽しくも何ともないもんな」

今年は特にそういう老人が多かったらしい。指導碁には思いがけずたくさんの人数が集
まって、本来の時間を遙かに超えて、会場となった福祉センターに長居することになって
しまった。


「おまえと打ってた、木暮さんて人さ」
「何?」
「確か去年奥サン亡くしたんだよな」
「…そうなんだ。何もおっしゃっていなかったけれど」
「確かそうだよ。おれんち結構近所だから親とかも顔知ってるし」


だからきっと寂しいんだろうなあと言われて胸がちくりと痛んだ。

「キミは随分モテていたみたいじゃないか」
「ん?」
「江口さんと武藤さんだっけ? ほとんどつきっきりで見ていたじゃないか」


その上ケーキならぬどら焼きまで貰っていたと、からかったら、おかしそうに笑われた。

「うん、おれモテモテ。孫に似てるわぁって言われて心付けまでポケットに突っ込まれた」
「まさか貰ったんじゃないだろうな」
「貰ったよ。キャラメルだもん」


あの人達、ほんの少しだけ認知症入ってるんだよなと言われた言葉にはっとした。

「でも、碁はちゃんと打てんの。孫もたぶんホントはおれよかずっと年上なんだろうと思
うんだけど」


一番可愛かった頃の印象で止まっているんだろうなと言われて口ごもる。

「あ、悪い。でもそこ落ち込む所じゃないからな?」
「でも…」
「ばーちゃん達、みんな綺麗にお化粧して来ていて、一張羅のワンピースで、すげえ楽し
そうだった」


もちろん指導碁するおれも凄く楽しくて、だからそんなふうにそれ以上を考えることは失
礼なのだと言われて頷いた。


「…そうか、そうだね」

それにしてもキミにそんなことを諭されるようになるなんてと苦笑して言ったら、「成長し
てんの」とぽつりと言われた。


「そりゃあまだまだガキだけど、ガキはガキなりに一生懸命背伸びしてるんだからさ」

いつまでも同じまんまじゃないよと言われて思わず顔を見詰めてしまった。

「それでどうする?」
「え? 何が?」
「何がってメシ! おれら茶と茶菓子だけでまだ何にも腹に溜まるようなモン食って無い
んだぜ」


もうおれ腹減って死にそうと言われて笑ってしまった。

お年寄りの方々はそんなにたくさんは食べられないらしく、出された茶菓と蜜柑で満腹だ
ったらしい。


「そうだね、何か食べて帰った方がいいよね」
「どうする? おれはラーメン好きだけど、おまえは蕎麦のが好きだろう?」


でも蕎麦屋はもうこの時間じゃ開いていないしと進藤がきょろきょろと辺りを見回す。

自然ぼくも回りを見て、ふと道沿いの店のショーウインドーに目を留めた。

なんでも無い、ごく普通の電化製品が飾られているそのショーウインドーに鏡のようにぼ
く達二人が写っている。


客観的に見るというのはこういうことを言うのだろう。

気付いてはいたけれど、進藤がぼくよりも背が高くなったのがよく解り、顔立ちは甘さを
残したままで、でも随分と男っぽくなったとぼんやりと思った。


いつだったか街中で見かけた時よりもずっと彼は見目の良い「大人の男」になっていた。

そしてぼくは―。

進藤の傍らに立つ自分の姿を見た時にぼくは一瞬目を疑った。

(信じられない)

ガラスに映るぼくの顔はこれ以上無い程嬉しそうで、幸せに輝いていたからだ。

クリスマスイブに遅くまで老人相手に碁を打って、色気も素っ気も何も無い。にも関わら
ずぼくは道を行き来するどの恋人達よりも幸せそうだった。


「どうした?」

立ち止まってしまったぼくに怪訝そうに進藤が尋ねる。

その顔を見上げた時、ぼくは顔が赤く染まるのを覚えた。

(そうか)

なんという単純。

ぼくは彼と居るだけで、たまらなく幸せであるらしいのだ。

あんなにも嫉妬して、だから頑なにクリスマスを拒んだ。

なのに無意識のぼくはクリスマスイブを彼と過ごすことをこんなにも素直に喜んでいたの
だ。


「あ、何? もしかして腹減りすぎて歩けなくなった?」

普段、いらないことは敏いくせに、こういう時は憎らしい程天然で、裏を読みもせずに尋
ねて来る。


「そんなに腹減ってるんだったら、そこの回らない寿司でもいいぜ?」

その代わりお手柔らかに頼むけどと笑う進藤の顔を見ていたら、なんだか非道く胸が痛
んだ。


もう何年も恋人らしいこともせず、それらしいことも絶対に許さず12月のこの日を過ごし
て来たけれど、イベント好きな彼のこと、随分な我慢をして来たに違い無い。


「…いや、今日は寒いからお寿司じゃないものがいいな」
「じゃあどうする? 居酒屋でもいいけど、おまえ騒がしいの嫌いだろう」


ふと目を向ける、通りの反対側にはイタリアンレストランの看板が出ている。

「あそこに入ろう」
「ええっ?」


進藤はこれ以上無いほど頓狂な声を上げた。

「だってああいう店は駄目なんじゃんか」
「いいよ、今日は」


もういいんだと言ってじっと見詰めたら、進藤はゆっくりと赤くなった。

「…雹が降る」
「え?」
「なんでも無い。でも席なんか無いかもしれないからな?」
「いいよ。クリスマスイブだものね、予約無しですんなり入れるなんて思っていない」


それでもキミと入ってみたくなったからダメ元で行ってみないかと言ったら、進藤は大き
く目を見開いて、でもすぐににっこりと笑った。


「奢らせろよ?」
「ああ―喜んで」


そしてぼく達は肩を並べ、通りの向こうに歩き出した。

ちらり、振り返って見たショーウインドーの中には、いつか見て嫉妬したあの二人より、数
百倍幸せそうな「恋人達」が笑いながら寄り添っていた。




※ということでメリークリスマス良いクリスマスを!2010.1.24 しょうこ 

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