Kiss Kiss
「塔矢ー」
呼ばれて振り向いたらいきなりキスをされた。
「なっ…」
「それじゃまたなv」
棋院会館のエレベーターホール。進藤はにっこりと笑うとぼくを置いて階段を駆け上がって行って
しまった。
他に誰も居なかったからとはいえ、あまりにも思慮の浅い行動だと、ぷりぷり怒って大部屋に向か
ったら、控え室の前でまた進藤と鉢合わせた。
「ちょうどいい、キミに話すことがあったんだ」
言いかける暇も無く、ぐいっと腕を強く引かれ、すれ違いざまにまたキスをされてしまった。
「進藤!」
怒鳴った瞬間、他の棋士が入って来たので何も言えなくなって黙る。
その後も打ち掛けや休憩時に何度も隙を突かれてキスをされた。
「進藤っ、キミは――」
一体何を考えているのだと、ようやく話すことが出来たのは手合いが終わり、家に帰る途中。
「何って?」
何事も無かったかのようにぼくを待っていた進藤は、何事も無かったかのように一緒に坂を下り、
市ヶ谷駅の改札をくぐった。
電車に揺られながら他愛無く今日の手合いの話など始めて、でも隙あらばキスをして来るんじゃ
ないかとぼくは一秒たりとも落着かない。
「何って解っているだろう。今日はキミはどうしたんだ」
そもそもが付き合っていることが秘密なのだ。そうでなくても男同士でキスなんて、誰かに見られた
ら大変なことになる。
だから人の目のある所では手も繋がないようにとキツク言い渡してあるというのに、今日に限って
それを忘れたかのようにキスしまくるとは何事だ。
小声でぼそぼそ怒ったら、進藤は悪びれた様子もなくぼくに向かって笑いかけた。
「いや、だって今日キスの日だって言うからさぁ」
彼が言うには5月23日はキスの日ということになっているらしい。出がけにテレビでそれを知った
彼は、ぼくを見つけるなり即それを実行に移したというわけだ。
「だからって、あんなに何回もしなくても」
「えー? キスの日にキスしないなんて勿体ナイじゃん。だから目一杯おれ頑張ったのに」
おまえずっと怒ってるんだもんなーと、進藤に悪気は全くない。逆にぼくの方が恋人として冷たい
と無粋扱いされているのも気にくわなかった。
「とにかく、そういうマスコミに踊らされるようなことは――」
「二人きりの時だったら構わない?」
「え?」
これはしっかり釘を刺さないとと、思った矢先にひょいと怒りをそらされてぼくは思わず返事に窮し
た。
「人前でやるからダメってことだろ?」
「う…うん」
「じゃあ、残りの分は、おまえんちかおれんちでみっちりじっくりすることにするから」
だったらいいだろうと、にっこりと笑ってねだられて、ぼくは怒る気力を無くしてしまった。
あ、マズイ。
自覚があるのか無いのか知らないが、ぼくはこの飼い主を見た犬のような、大好き全開の彼の
笑顔に非道く―非道く弱かったのだ。
「なーなー、イイだろ?」
「…まあ…家なら」
ついそう答えてしまい、自分の意志の弱さにがっくりと落ち込む。
「じゃあどっちの家に行く? おまえんち? それともおれんち?」
彼はぼくの落ち込みには気づきもしないで、更に機嫌良くぱたぱたと見えない尾を振った。
「なー、なー、どっちにする?」
「キミの家で―」
「わかった。おれんちな!」
もうもう死ぬ程キスしてやるからと、さっきから随分小声では無くなっている声ではしゃいで話す
彼に閉口する。
ああ、誰だ。
ただでさえクリスマスだバレンタインだホワイトデーだと、記念日系には悩まされて来たのに、ま
た一つそれが増えてしまった。
ガタン、ポイントの切り替えで揺れた電車で進藤は弾みを装って器用にまたぼくにキスをした。
「進―」
「もうしない」
電車の中ではもうしないから怒んないでと、またもやにっこり笑われて、ぼくは彼を睨みながら『キ
スの日』なんて考えたろくでもない何処かの誰かを恨まずにはいられなかったのだった。
※キスの日万歳!つい今し方今日がそれだと知って大急ぎで書きました。家に帰ってから12時まで
窒息するほどすればいいよ!
2011.5.23 しょうこ