ETERNITY
誕生日に何を貰うかで、こんなに悩んだのは久しぶりだった。 初めては十才。それまでほとんど囲碁関係のお祝いしかしてくれなかった父が、思いがけず 『今年は碁とは関係無いものを何かやろう』と言い出して、ぼくはかなり悩んでしまったものだ った。 後で聞いたらあれは母が、あまりに毎日囲碁漬けのぼくを不憫に思い、たまには子どもらし い物もあの子に贈ってやって欲しいと頼んだのだとか。 おかげでぼくは大層時間を費やして自分の誕生日プレゼントを考えるはめになってしまった。 (それ以来だから…十五年ぶりか) 考えて思わず笑ってしまった。それくらいぼくは無頓着だったし、人から貰うものに拘ったこと が無かった。 何を貰っても嬉しかったし、同時に何を貰っても心から嬉しいと思うことは無かった。 ぼくは物への執着が薄く、特に何が欲しいという欲求が無いからだ。 それでも唯一執着し、欲しいと思うものに出会って、それを手に入れるという幸運を得た。それ なのにどうして今更他に何か欲しいと思うだろうか? 何度目かわからない溜息をついて目線を上げると、人にこんな難題を出した張本人である進藤 が、まだかよという顔でぼくを睨め付けた。 「そんな、急に言われたって…」 「急じゃない。おれは結構前から言ってたのに、それを面倒がってちゃんと考えないおまえが悪 い」 進藤は飲み干してしまったコーヒーのカップを無意識に口にあて、中身が無いのに気がついて 舌打ちすると、立ち上がってドリンクバーの所まで行った。 そして戻って来た時には頼んでいないのに、ぼくの分まで温かいコーヒーを持って来てくれた。 「まだあるのに」 「それ、とっくに冷めてるだろ。冷めたラテなんて、泡が消えてて不味いだけじゃん」 確かに彼の言う通りなのだけれど、食べ物を無駄にするのは性に合わない。 「じゃあ、両方飲むよ。だから冷めた方もそのままにしておいて」 「おまえさあ…」 冷めた方をテーブルの隅に退けようとした進藤は、ぼくの言葉に何か言いかけて、でも諦めた ように口を噤んだ。 「まあ、言い出したらきかないし」 ウチのお姫サマはまったくクソ頑固だからと、聞き捨てならないことを言って、でもぼくのムッと した顔を気にするでもなく、どっかりと向かい側に座った。 「で、どうなんだよ、欲しいもん決まった?」 「だって、必要な物は大体持っているし」 「モノじゃなくていいって言ったじゃん」 焦れたように進藤が顎を突き出して言う。 「むしろモノじゃないもん欲しがって欲しいんだけど。おれとか、おれとか、おれとかさあ」 「それはもう貰ったじゃないか」 本当に真剣に生まれて初めて欲しいと思った、ただ一人の人は、奇跡的にもぼくを愛し、一生 を共にすると誓ってくれた。 だから実際の所ぼくに欲しいモノはもう存在しないのだ。 「んー、でも、だからさあ…要はそれだけでいいのかって聞いてるわけなんだけど」 「それだけって?」 はっきりしないぼくに付き合い、かれこれ2時間以上待ち続けている彼は、とうとう待ちくたびれ てしまったらしい。それまでは言わなかったような誘導口調で話し始めた。 「おまえさ、おれが欲しいって言ってくれたじゃん? おれだけが欲しい。他にはなんにもいらな いって」 それは去年の誕生日にぼくが彼に願ったことだった。 「…うん」 「それから、ずーっとおれっておまえのもんだよな?」 「そうだよ。キミはぼくのものだ。手に入るなんて思っていなかったから…今でも信じられないく らいだ」 「それはこっちも同じだって。でも言いたいのはそこじゃなくて、おれはおまえのもんで、で、そこ 止まりでいいのかって言ってんの」 「そこ止まりって?」 おうむ返しのぼくのセリフに、むうっと進藤の眉が寄る。 「だから、好きなのにこうやってたまに会うだけでいいのかって言ってんだって」 「そんなこと言ったって…手合いもあるし、スケジュールが合う時にしか会えないのは最初から 解っていたことじゃないか」 進藤が何を言いたいのかわからなくて、ぼくは戸惑いながら彼の顔を見詰めた。 「会えなくておまえ、寂しくないん?」 「…それほどは」 言った途端がっくりとテーブルに突っ伏されて慌てて言葉を付け足した。 「だって会えなくてもキミとは毎日のように電話で話しているし、メールもやり取りしているし」 実際、会っていないという気があまりしないのだ。 「それでもさ、実体伴って無いわけじゃん。あー、もう、畜生。会えなくて苦しいのっておれの方 だけかよ」 情けない顔で恨めしそうに詰られて、ぼくはすっかり焦ってしまった。 「それは…ぼくは…ぼくだって、生身のキミに会えないのは寂しいと思うけれど」 でも仕方ないじゃないかとループした会話に進藤がとうとう頭を掻きむしった。 「これ!」 バンといきなりテーブルに何かを叩き付けられて、ぼくはびくっと体を竦ませた。 「何?」 見るとテーブルには、鍵が一つ乗っている。 「部屋の鍵! おれと―おまえの」 「え?」 頭の中が真っ白になり、ぼくは一瞬絶句した。 「おれはさ、ずっと考えてたわけ。おまえと恋人になって付き合うようになってシアワセだけど、 でもこうやってたまにしか会えないのは嫌だなって」 付き合う前は別に良かった。でもはっきり好きだと気持ちを確認して恋人同士になったのに 会いたい時になかなか会えない。 その間、ぼくが一体何をしているのか、誰と会っているのか、気になって仕方無いのだと進藤 は言った。 「おまえ、外面いいしさ、誘われれば誰にでもほいほい付いて行っちゃうしさ」 「それはキミの方だろう!」 思わず声を大きくして言うと、一瞬大きく目を見開いてそれから進藤はニッと笑った。 「なんだ、じゃあ案外おれの一方通行ってわけでも無かったのかな。でもとにかくおれはそうい うことですっげえジェラシーしちゃうわけ」 それでそれを解消する方法を無い頭を絞って考えたのだと、テーブルの上の鍵を指先で軽く つつきながら言う。 「離れてるから不安になる。側に居ないから色々つまんないことが気になる。だったらいっそ一 緒に暮らしちまえばいいんじゃん?」 「それで…部屋を?」 「そ。おれの誕生日にって言うのじゃ卑怯だと思ったから、おまえの誕生日に贈っちまえと思っ て」 部屋付きで、おれを丸ごとくれてやろうとそう思ったのだと。 「いい物件だよ? それ。棋院へ行くのに三十分かかんないし、駅近で、でも静かで、値段だっ てそんなに高く無いし、一人一部屋ちゃんとあるし」 「だからって、キミとぼくが一緒に暮らしたら、みんなに変に思われる」 「そんなこと無いよ。だっておれらライバルで無二の親友とか言われてんだろ?」 少しばかり嘲笑気味に進藤が言う。 「そんな二人が部屋をシェアしたって別におかしくも何とも無いじゃんか」 「でも…」 数年前から一人暮らしをしている彼と違って、ぼくは未だに実家暮らしを続けていた。成人し ているとはいえ、家を出ると両親に伝えることは多少なりとも勇気がいる。 「いつまでも『でも』とか、『だって』とか言ってると、おれに虫がつくかもしんねーぞ?」 にっこりと言われてカッと頬が熱くなった。 人懐こく、ルックスも標準以上に良い彼は、ぼくと付き合う以前から色恋沙汰や見合い話と 縁が切れない。 ぼくとは違い断り方が上手い彼は、そのことで恨まれることも無く、隙あらばと狙っている女 性が常に周囲に何人か居た。 「先生達、最近は落ち着いてて、もう当分海外には行かないって言ってんだろ? だったら今 が出るチャンスじゃん」 「でも…だからって、そんな重要なこと、今ここでなんて決められないし」 「『でも』禁止」 びしっと言われて口を噤む。 「よく考えてみ? おまえはおれが大好きで一生側に居て欲しいんだろ? だったらどうして しっかりと首に縄つけておかないんだよ」 「だって、キミは犬じゃないし」 「『だって』禁止!」 今日の進藤は容赦が無い。誕生日だというのにぼくは情けない気分になった。 「おまえは今のままでいいのかもしんないけど、おれはヤダ。だからがんばって部屋探して、 こうして話を振ってるんじゃん。本当はこんな時間かからないで部屋のこと切り出せるはずだ ったのに」 ほんの少しでもおまえが今より進んだ関係を望んでくれたなら、格好良く鍵を出して渡すつも りだったのに、いつまでも『モノ』限定で考えてるからと、進藤は拗ねたような口調で言った。 「で、どーすんの。貰うの貰わねーの」 「その部屋…間取りは?」 まだ、かなり動揺しながらも、ぼくはゆっくりと口を開いた。 「南向きの2LDK。風呂とトイレはちゃんと別で、洋室の方にはウォークインクローゼットがつ いてる」 「洋室の方って言うことは和室もあるんだ?」 「あるよ。おまえフローリングだけの家は嫌いだって前に言ってたじゃん」 それは彼と付き合うよりずっと前のことで、それではあの頃から進藤の方は、既にそういうつ もりだったのだと、そう思ったらなんだか憑きものが落ちたように、ぴたっと気持ちが落ち着い た。 「…和室」 「え?」 「和室の方をぼくの部屋にしてもいいのなら」 その鍵をぜひ貰いたいなと言ったら進藤は一瞬きょとんとして、それからいきなり、ぱあっと 嬉しそうな笑顔になった。 「和室の方がちょっと狭いけどいいん?」 「いいよ。今だって別に、そんなに広い部屋じゃないんだから」 寝て起きて、生活が出来れば充分だと言ったら、進藤は何か物言いたげな顔をして、でも何 も言わなかった。 代わりにしゃっきりと座り直すと、すっかり冷めてしまったカフェラテをまるで酒でもあおるかの ように一気に飲み干し、緊張した面持ちでぺこりとぼくに頭を下げた。 「それじゃあ、フツツカモノですが」 どうか貰ってやって下さいと鍵を捧げるように突きつけられる。 「こちらこそ、相応しいかどうかわかりませんが」 謹んで頂きますと、ぼくもまた頭を下げて、鍵を胸に押し頂いた。 滑稽なほど丁寧で仰々しいこのやり取りは、いつもならきっとどちらかが吹きだして、そのまま 笑ってしまったことだろう。 でも今日はそうならなかった。 ぼくはなんだか厳粛な気持ちで、彼もまた非道く真面目な顔をしている。 「ああ…」 何故なのか唐突に解ってしまって思わず声に出してしまった。 「ん?」 「いや、ごめん。なんでも無い」 これって結婚なんだとぼんやりと思った。 一生一緒に進藤と居る。それを彼が形にして、ぼくがそれを受け取った。 それは形こそは違え、結婚というものではないのだろうかと思ったのだ。 (進藤にその自覚があるのかどうかわからないけど) でも良いものを貰った。 心から嬉しいと思えるものを人生で二度も貰うことが出来たのだと思ったら、滲むように幸せ な気持ちになって、ぼくは冷え切ったコーヒーを彼が止める間も与えず、続けざまに二杯、飲 み干したのだった。 |
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