夢繋ぎ
ふとした時に脳裏に浮かぶ光景がある。
夕暮れの中、肩を並べて歩く進藤とぼく。ぼく達はどちらも制服で、なのに手を繋いで
笑っていた。
実際は制服のまま二人で歩いたことはほとんど無い。
会うのはいつも碁会所で、帰る頃はもう夜になっていて、だから夕暮れに歩いたことな
んかあるはずも無い。
ましてや手を繋いでなんて―。
(大体あの頃はまだ、親しく話すようになってすぐの頃じゃないか)
ぼくと彼は知り合ってから長い。けれどその割に親しくなったのは本当に後の方になっ
てからだった。
中学を卒業するほんの半年ほど前。しかもその後半は、彼とぼくは喧嘩して碁会所で
すら会うことが無くなっていた。
(なのにどうしてこんなシーンが浮かぶんだろう)
それはあまりにも鮮やかで、あまりにもリアルで、本当にあったこととしか思えない。
でも実際には無かったのだ。
夢を見たのは正月最初の夜だった。
夢の中でぼくは海王の制服姿で、ああまだ中学生なんだなとぼんやりと思った。
空気は冷たく、そろそろコートを着た方がいいかもしれないと考えた。
『そういえば進藤はどうしているだろう』
4月まで来ない宣言をしてから本当に彼は碁会所に来なくなった。
待ち合わせて会うようになったのはまだ最近のことなのに、もうずっと長いことそうして
いたようで、それが無くなってしまったことはぼくにとっては穴が開いたように寂しく、自
然、碁会所への足も遠のいた。
『だって進藤が居ないのに』
一人で過ごして何になるんだろう。
そしてまた思う。進藤は今頃一体どうしているんだろうかと。
『彼のことだから、ぼくのことなんか思い出しもしないで同じ中学の友達と楽しく過ごし
ているんだろうな』
そう考えると胸の奥がしくりと痛い。
『ぼくはこんなに会いたいのに』
会いたいのを我慢しているのに向こうは平気だなんて不公平だ。
葉瀬中の側まで行ってみようか?
いや駄目だ。
それでは彼の家の近くまで行ってみようか?
否、それもいけない。
つらつらと考えてふと目を上げたら、雑踏の中、数メートル先に進藤が歩いているの
を思いがけず見つけた。
『なんでこんな所に』
今居る所は彼の学校からも家からも遠い。棋院からも森下先生の家からも離れてい
るのにどうして居るんだろうかと思った。
『しかも一人で―』
前を向いたまま黙々と歩く彼の背中を見詰める内にどうしても我慢出来なくなって走
り寄った。
『進藤』
一度呼んでも振り向かなくて、二度目はもっと大きな声で彼を呼んだ。
『進藤っ!』
驚いたように肩が上がり、ゆっくりと進藤が振り返った。
『何? 塔矢じゃん』
『何というのはこっちのセリフだ。キミはこんな所で何をしてるんだ』
『何って…別に』
歩いているだけだけどと、はぐらかすような物言いにムッとする。
『歩いているだけって、何も用事が無いのに?』
『用事なんてねーよ、おまえん所にも行けないしさぁ』
することなんて何にも無いと拗ねたように言う口調に少し驚いた。
『だってあれはキミが来ないって言ったんじゃないか』
『仕方無いだろ、悔しかったんだから』
おれはおまえと対等で居たいのに、同じ場所にも立たせて貰えない。最初からもう差
がついているなんて悔しいじゃんかと言われて、ああと納得した。
なんで彼が怒ったのか、どうしてあんなことを言ったのか、ずっと解らなかったのだけ
れどやっとそれが解ったのだ。
『ぼくは…ぼくの方が上に居るなんて思って無い』
『それでも世間的にはそうなってるんだよ』
それがすごく悔しいと、けれど彼がそう拘ることが嬉しかった。だってそれは彼にとっ
て重要なのが他の誰でも無いぼくだということになるからだ。
『悔しいなら、早く同じ場所まで来ればいい』
『さっきと言ってることが違うじゃん』
『ぼくが―ってことじゃない。他の人に早くそれを解らせて誰が見ても同じ場所ってヤ
ツに早くキミに来て欲しい』
それがぼくの望みだからと言ったら進藤は苦笑のように笑った。
『おまえってやっぱり傲慢だよなあ』
でも解った。行くよと、そしてぼくに手を差し出した。
握手かな? そう思ったぼくの手をぎゅっと握って彼は歩き始めた。
『進藤?』
『なんだよ』
どうして手を繋いで歩くことになったのか解らなくて、でも繋いだ手の温かさが嬉しかっ
た。
ああ、こんなふうにずっと彼と共に同じ道を歩めたらどんなにぼくは幸せだろうかと、そ
う伝えようと声をかけた時に目が覚めた。
「…おはよう」
なんとなくもやもやとした気持ちでリビングに行くと、先に起きていた進藤がぼくを見て
お日様のようににっこりと笑った。
「おはよう」
初日の出だ。
ぼくにとっての初日の出は彼の笑顔だと思いながら、ゆっくりとソファの彼の隣に座る。
「何ぼーっとしてんの?」
「夢を見たから」
「夢? 初夢?」
「どうなんだろう。夕べ見た夢は初夢になるのかな」
でもとにかく今年に入って初めて見た夢には違い無い。
「進藤」
「ん?」
「北斗杯の少し前、碁会所に来なかった頃があっただろう?」
「はあ? おまえ時々突拍子も無いこと言うな」
うん、あったけどと不審そうに進藤が言う。
「あの頃…会わないで居ても平気だった?」
「はあぁぁぁぁぁ?」
「4月まで来ないって言って本当にキミ、ずっと来なかっただろう。あの時ぼくと会わな
いで居て平気だった?」
それとも少しは会いたいと思ったりしたのかと尋ねたら進藤は困ったような顔をして、
それから溜息をついてぼくに言った。
「執念深いのなぁ、おまえ」
「それ、答えになっていない」
「会いたかったよ」
一旦黙って、それから観念したように言う。
「すっげえ毎日会いたかった。会いたくて会いたくて気が違いそうだった」
そうなのか…と、それは嬉しいというより何か不思議な感触だった。
あの頃ぼくは進藤に会いたかった。でも進藤もまたぼくのことを恋しく思ってくれてい
たなんて夢にも思いもしなかったから。
「すごく変なことを聞くけど…その頃、ぼくに会った夢なんて見たりした?」
今度は進藤はすぐには答えなかった。
考え込んで記憶の底を攫っているような、そんな難しい顔つきになった。
「あった…かも。うん…1回だけ見た」
「どんな夢?」
「学校の帰りにおまえと会って、それで…」
そしてそのまま口ごもる。
「それで?」
「一緒に帰った。それだけ」
突き放すように言いながら、でも進藤の頬が赤く染まったのにぼくは気がついた。
もしかしたら…もしかして。
「…不思議だ」
「何が?」
「…わからないけど」
会いたいけれど会えなかった。
でも気持ちは引き合って、ぼくと彼はもしかして、時間も何も関係無い場所で二人で会
ったのではないだろうか。
「手を繋がないか?」
「ここで? 今?」
「うん」
ソファに座ったまま、そっと彼の手を握る。
不審そうにぼくを見ていた彼もまた、少しして指を絡めてから強く握りかえしてくれた。
「「あの時―」」
期せずして同時に物を言いかけて、再び同時に黙り込む。
「何?」
「いや、さっき言った夢の話、あん時におれ、おまえと会って聞きそびれたことがあっ
たような気がするんだよな」
「そうか、実はぼくも今日見た夢で、中学時代のキミに会って言いそびれてしまったこ
とがある」
見つめ合って微笑んで、それからぼくから口を開いた。
「会いたかった、ずっと」
ずっとキミに会いたかったよと、言ったその瞬間、記憶の中の彼とぼくもまた見つめ
合い微笑み合う姿が鮮やかに脳裏に浮かんだのだった。
※時をかける少年…じゃなくて、会いたい気持ちが強ければこんなこともあるかもしれないよねと、そういう話でした。
2011.1.3 しょうこ