たった一つの冴えたやり方
久しぶりにバスに乗った。 いつも移動はほとんど電車かタクシーなのだけれど、その日たまたま頼まれて行った指導碁先 が、そのどちらも利用しづらい場所にあったのだ。 「駅からお電話くださればすぐに迎えの車を回しますので」 そう言われたけれど、そこまでしてもらうのも気が退ける。何よりそういう無駄は嫌いだった。 なので地道に調べた結果、自分の家の最寄り駅から出ているバスに乗るのが一番良いと解っ たのだ。 小さいとは言え幾つもの工場を持つ会社の社長だけに多忙らしく、それを言えばこちらも多忙 であったので、約束した日は12月24日のクリスマスイブになった。 『えー、なんでイブに仕事なんか入れるんだよ』 最初、その話をした時、当然進藤は文句たらたらで、恨めしそうな顔をしたけれど、昼の数時間 だけで夜には帰ると話したら途端にころりと機嫌がよくなった。 『そっか、じゃあおれ、色々用意して待ってるから』 シチュー作って、ケーキ買って、ワインもちょっと値が張った物を用意すると、勢い込んで言うの で笑ってしまった。 『いいよ、そんなに何もかも任せてしまっては悪いからケーキくらい買って来る』 『だっておまえ、指導碁が終わるの夕方なんだろ。そんな時間に行ったらいい店の美味いケーキ なんかとっくに売り切れてるって』 ただベタベタ甘いだけのケーキなんか食えないんだから、おれに全部任せろと言われて笑ってし まった。 『…じゃあ、甘えてしまおうかな』 その代わり、後片づけはぼくがやるからと言ったら進藤はそれにも首を横に振った。 『いいって、仕事で疲れて帰って来るんだから二人で一緒にやろう』 そんでその後、おれに目一杯イイコトさせてと、それで済むなら随分安いものだけれど、下手な ことを言うと却って高くつくこともあるので黙って居た。 そして今日。 「すみません、すっかり遅くなってしまいまして」 「いえ、お仕事でトラブルがあったなら仕方無いですよ」 「でも塔矢先生がお忙しい中を時間を割いて来て下さったのに、こんなに長くお待たせしてしまっ て―」 行く前から少しだけ覚悟はしておいたのだけれど、案の定指導碁の時間は延びた。 けれど年末であるし、個人経営の会社の経営者にはよくあることなので特別腹はたたなかった。 (それにこれくらいなら進藤をそんなに待たせなくても済むし) ずれた時間は二時間。メールで連絡も入れてあるし、夜に食い込みさえしなければ進藤はこうい うことで怒ったりはしない。 『わかった。じゃあ料理二、三品増やして待ってるから』 案の定、戻って来た返事にも機嫌を損ねた風は無い。 それでも少しでも早く帰ってやりたくて、ぼくは指導碁先から走ってバス停に行き、一番早く来る バスに乗り込んだ。 三連休の中日で、クリスマスイブの午後でもあるのでバスは満員で、ぼくは降車ドアの近くの吊 り輪に掴まりながら、ぼんやりと外を眺めていた。 夕方とはいえ、薄く暮れだした街並みはクリスマスらしい装飾が賑やかで綺麗だった。 道行く人々も皆それぞれにケーキの箱やプレゼントらしい包みを持っている。 見るとは無しに眺め続けてどれくらい経った頃だろうか、ふと歩道を歩く一人の姿が目に止まっ た。 それまでぼんやりと考え事などしていたのが、その姿を見た瞬間、強引に意識が引き戻された のだ。 (格好いい…) 充分な背丈と長い足。茶色い革のコートを着ていて前髪だけ明るい色に染めている。 それが進藤だと認識する前に、ぼくはほとんど反射的にその姿を目に快く、男の目から見ても 格好良いと思ったのだった。 「進藤…」 寒いのだろう、少しだけ俯き加減で歩く進藤は、ケーキの箱と薔薇の花束、そして腕にはワイン らしい包みを抱えていた。 「ねえ、あの人格好良く無い?」 前の方に立っていたOLらしい数人が、進藤を見てひそひそと話をしている。 「レベル高い。どうせイブを過ごすならああいう人と過ごしたいわよねえ」 彼女いるのかな。いるからあんなもの持っているんでしょうと、はしゃいだ声で話すのをなんとな くぼくは、むっとした気持ちで聞いていた。 あれはぼくのものなのに、気軽にそんなことを言って欲しくは無い。 「ねえ、次で下りていきなり告白したらどうかな?」 「無理でしょ? どう見ても居るってあれ」 「わかんないじゃない。私今フリーだし、挑戦してみようかなあ」 今年最後の運試しと笑いながら言っているのを聞いた時に、反射的に指が降車ボタンに伸び た。 「進藤」 声をかけて走り寄ると、音楽を聴いていたらしい進藤が、はっと驚いたような顔で顔を上げた。 そしてイヤホンを外してぼくを見る。 「塔矢! もう終わったんだ!」 「うん。ちょうどバスで通りかかって、そうしたらキミが見えたから」 そのバスはぼく達の脇をちょうど走り去って行く所だった。 窓にはさっきまで進藤を品定めしていたOL達が驚いたような顔をして張り付いている。そして ぼく達の数メートル後ろには勇気ある彼女が立ちすくんでいたけれどぼくは構わなかった。 「ぼくも持つよ。せっかくのワイン、そんな持ち方をして落とされて割られたら勿体無い」 「なんだよ、おれはそんなにそそっかしくないってば」 「それでも、持たせろ。そうしないとキミの両腕が塞がって、せっかくのクリスマスなのに腕を組 むことが出来ないじゃないか」 進藤が、えっと軽く驚いた声をあげる。 「いいの? こういう街中でやるの御法度じゃ無かったっけ?」 「クリスマスプレゼントだよ。たまにはキミを甘やかしてやるのもいいかなって」 そして有無を言わさず腕を絡ませるとそのまま歩く。 道路が渋滞しているのでバスはまだそんなに離れてはいない。そして件の彼女も未だぼく達を 見詰め続けていることだろうけれど、むしろ見ろと言いたかった。 「そんなに簡単に落とせるなんて思っちゃ困る…」 「ん? 何か言った?」 「何も。ただ寒いなって。早く帰ってキミの作ったシチューを食べたいかな」 ハレルヤ。 この男はぼくのものだ。ぼくだけのものなのだと世界中に叫びたい気持ちを押し殺しながら、 ぼくは密やかに笑うと、恋人の腕に更に強くしっかりと自分の腕を絡ませたのだった。 |