寿ぎ
えーっと、皆さん成人おめでとうございマス。 おれは―あ、すみません。打ち合わせの時に、一人称は『私』にしてくれって、言われたんですけど、 それだとそっちに気が行って話す内容を忘れちゃいそうなので、悪いけど『おれ』で話させて貰います。 皆さんはまだ学生か、中には社会に出て働いている人も居るかと思います。 おれは小学生で囲碁を知り、中学生でプロになり、そのまま高校には進学しませんでした。 学歴とか、中卒だって言うとバカにされることも結構あるんですが、それを後悔したことは一度もありま せん。 進学しなかったのは、頭が悪くて進学出来る学校がどこにも無かったってこともありますが、はい、ここ クスっと笑う所です(笑) それよりも何よりも早くみんなに追いつきたかったから。 みんなって言うのは、毎日切磋琢磨して打っている囲碁のプロの人達のことです。 勉強も大切なのかもしれないけれど、おれはそれよりも一日中囲碁のことだけ考えていたかったし、他 の何かをする時間があれば打っていたかった。 余計なもんを生活に入れたく無かったんですよね。 何より、追いついて追い越したい相手がいたので立ち止まっている余裕なんか全然無かった。 そいつはおれよりももっとずっと囲碁バカで、囲碁のことしか考えていないようなヤツだったから。 ちなみにそいつも中卒です。はいここも笑う所(笑) でもそいつはおれと違ってすげえ頭が良くて、きっとその気になれば東大でもなんでも行けたんだろうと 思う。でもやっぱり進学はしなかった。 おれと同じで囲碁のことだけ考えていたくて、だから中学から先には進学しなかったんだ。 プロの世界は厳しいです。 学生やりながらプロとして打つなんて中途半端なことやってたら、タイトル獲るとか絶対無理。 寝てる時も起きてる時も風呂入ってる時もクソしてる時も、あ、やっとちょっと笑ってくれた。 あはは。 頭ん中、囲碁のことだけ考えているようじゃなくちゃ、本因坊にも棋聖にも天元にもなれないです。 もちろん人によってはちゃんと大学まで出てそれでプロになって活躍している人もいるけど、おれは そんな器用なことは出来ないから、無駄だと思うことはどんどん削ぎ落として来ました。 それで大事なモン失ったこともあるし、キツイ目にも随分遭いました。 でもやっぱり後悔してない。 毎日死ぬ程苦しくて、でも毎日死ぬ程楽しく生きてマス。 今、ここに居る皆さんは目標ってありますか? やりたいこと、大事なこと、これだけは譲れないってものありますか? あったらそれを死ぬ気で頑張ってみて下さい。そうしたらたぶんきっと絶対叶う。 こんなおれだって、こうして偉そうにスピーチ出来るくらいになるんだから、皆さんはマジで、この会場で ライブが出来るくらいにはなれると思います。うん。本当に。 正直、かったるいし、眠いし、話早く終われって思ってる人がほとんどだと思いますが、おれ自身は手合 いがあって成人式ってのに出ていないので、こうして祝辞を述べる立場でも参加出来てとても嬉しかっ たです。 改めて言います。 成人おめでとうございます。 今おれの目の前に居るみんなが、おれと同じくらい人生の最高の目標を見つけられたらいいなって思っ てマス。 あ、そうそう。もしおれの話聞いて、ちょっとでも囲碁に興味を持った人がいたら、日本棋院にお電話下 さい。毎週、水曜と木曜の午後に日本棋院で囲碁教室やってますんで。 おれと、さっき話したおれと同じくらいの囲碁バカが同じ日に初心者コースの担当してマスんで、ぜひ ツラを拝みに来て下さい。 長い話聞いてくれてありがとうございました。 「お疲れ様」 幕間に引っ込んだヒカルに向かって、アキラは微笑んで労いの言葉をかけた。 「練習の成果かな、一度も噛まなかったし、そんなに変なことも言っていなかったよ」 キミ、結構様になっていたじゃないかと言われてヒカルはムッとした顔でぼそりと言う。 「こういうの苦手なんだって。なんでおまえじゃなくて、おれにスピーチの話なんて来たのかなあ」 実際かなり緊張していたらしく、ヒカルは冬だというのに額にうっすらと汗をかいている。 「それはキミがこの区の生まれだから」 仕方ないじゃないかと言いつつ、アキラはヒカルのスーツの裾を掴んだ。入れ替わりで舞台に出るバン ドのメンバーが側に居たからだ。 「ほら、愚痴なら幾らでも聞いてあげるから、早く控え室に戻ろう」 すれ違い、彼らが舞台に出て行った途端、わっとホールに歓声が上がるのを聞いて、ヒカルがくさった ように呟いた。 「やっぱおれの話なんかより、ミニライブの方が全然いいんじゃん」 「まあね、確かに解らない人達にはそんなものなのかもしれない。でもあの中には、キミの話を興味深く 聞いた人も絶対に居るはずだよ」 キミがキミの言葉で思っていることを話したんだから伝わらないはずがないと言うアキラの言葉に、ヒカ ルはようやく笑みに近い物を浮かべた。 「だったらいいけど―」 成人式で、新成人にお祝いのスピーチをして欲しい。 その話が棋院を通して来た時に、ヒカルは即座に断った。話すことは苦手だし、ましてやそんな堅苦し い挨拶なんて死んでも嫌だと思ったのだ。 「おれなんかが喋ったって、シラけるだけで面白くもなんとも無いですから」 無理無理無理無理の一辺倒を苦笑しながら宥め、翻させたのは意外にもアキラだった。 「進藤、キミ、折角来たお話しなんだし、受けてみてもいいんじゃないか」 「はぁ? おまえマジで言ってんの? おまえならともかく、おれだぞ?」 「キミだから来た話だとぼくは思うんだけれど」 ヒカルは数ヶ月前に天元戦でタイトルを得たばかりだった。 若手の有望株ということで、最近ヒカルはアキラと共に碁以外のメディアにも紹介されることが多くなっ ており、だからこそ、こんな思いがけない依頼も舞い込んで来たのだろう。 「新たに成人になる人達には、古くさい決まりきった言葉しか言わないお偉いさんのスピーチよりも、 年の近いキミの言葉の方が相応しいと思われたってことだろう?」 ぼくもそう思うよと言われて、渋っていたヒカルの気持ちが少しだけ揺れた。 「でもさぁ…」 「囲碁のことを知って貰うチャンスにもなるし、それにね、正直を言うとぼくがキミの喋る姿を見たいん だ」 「え?」 「バカだろう。笑ってくれてもいいけれど、ああいう少し改まった場でのキミは、緊張して妙に男前になる から」 それを側で見ていたいんだよと言われてヒカルは顔を赤らめた。 「…すげー嘘くせー。事務方に頼まれたの丸わかり」 「説得するよう頼まれたことは頼まれたけれどね」 でも今言ったことは本当だよとにっこり言われてヒカルはあっさり陥落してしまった。 アキラが思ってもいないことを口にしないのは誰よりも良く知っていたからだ。 そしてヒカルは結果として、世にも苦手なスピーチというものを大勢の人の前でするはめになってしま ったのである。 「あー、でももういいや。もう絶対いい。こんな仕事が来ても、おれもう絶対に受けないから」 「格好良かったのに」 「ダメ、もう何ておまえに言われても―」 喋りながら通路を歩いていたヒカルは、唐突にふっと口を噤んだ。まだライブで盛り上がっているホール の外の売店に、何故か着飾った新成人が何人か居るのを見つけたからだ。 「すみません、さっきスピーチしていた囲碁の人のチラシか何かありませんか」 「生写真とか、グッズは売ってないんですか」 聞こえてくる言葉に目を見開く。 「さっきの人、サインとかお願い出来ないですか?」 一瞬呆けていたヒカルは、くいっとアキラに腕を引かれ、別の階段から控え室に戻った。 「なんだあれ―」 絶対なんかと勘違いしてると言いながら、ヒカルは顔が火照るのを止められなかった。 「なんだよ、冗談じゃないよ。マジ、勘弁してくれよ」 「バカだな」 そんなヒカルにアキラは苦笑のように笑って、用意されていた缶コーヒーを差し出した。 「ぼくは最初からキミにずっと言っていたと思うけれど?」 改まった場でのキミはとても男前なのだと―。 「でも、だからって…」 「だからって?」 「なんでも無い」 怒鳴って、顔を覆うヒカルの耳に、控え室のドアがノックされる音が響いた。 「すみません、進藤天元。いらっしゃいますか?」 反射的に顔を上げたヒカルに、アキラが微笑む。 「行っておいで。サインでもなんでもしてあげればいいよ。でも携帯のアドレスまでは絶対に教えては ダメだ」 キミはぼくのものなんだからねとアキラが言う言葉に、とうとう耳まで真っ赤になったヒカルは、『バカ』と ひとこと逆ギレのように怒鳴ると、それから必死で頬をさすり、なんとかしかつめらしい顔を作ると、ドア の取っ手に手をかけて、向こう側に居る誰かとの対応に備えたのだった。 ![]() |