108つ



「アキラ」

呼ばれてはっと顔を上げると父親が苦笑したような顔でこちらを見ていた。

「疲れたならもう先に寝なさい」

「あ…いえ」

断ったにも関わらず更に繰り返されたのは、どうやら何度も呼ばれたのに気がつかなかったかららしい。

「どうせ明日もまた同じようなことになるのだから、無理をせずに休みなさい」

「そうそう、お子様はもう寝る時間だ」

フォローするつもりなのか、混ぜっ返すつもりなのか兄弟子の緒方が薄く笑いながら言う。

「すみません、大丈夫です。少し考え事をしていただけなので」

それは事実であったけれど、あまり信用しては貰えなかったらしい、ダメ押しのように眠くなったら構わず
に寝ろと言われてしまった。



12月31日、大晦日。

塔矢家には人が溢れ、日を跨いでの研究会及び宴会となっていた。

元々毎年そのような感じになっていたものが両親が海外に行くようになって行われなくなっていた。それが
今年は帰国するということで門下の皆が集まって久しぶりの賑わいになったのだ。


アキラは幼い頃からこのような年越しに慣れていて、ほろ酔い気分の大人達に混ざり、囲碁三昧の年末年
始を楽しんでいたのだが今年は目の前の碁盤より気に掛かることがあったのだ。


それは進藤ヒカルからの電話かメールが無いだろうかということで、携帯をマナーモードにしてポケットに忍
ばせているものの、うっかりで気付かずに居ることを恐れて注意力が削げていた。


というかむしろ、携帯の着信の方に注意力を注いでいたと言った方が正しいかもしれない。

ここ数日、毎日必ずヒカルから電話かメールがあったので今日も絶対にあるはずなのに、まだそれが無い
から気になって仕方無いのだ。


(でも、進藤だってご両親と一緒なのだし)

彼も彼なりに年越しをしていて、自分などに気持ちを割いている時間は無いのかもしれないと思うと、きゅ
っと胸の奥が寂しさで疼いた。


(信じられない)

つい昨日も会ったばかりだというのに、会いたくてたまらない自分に気がついてアキラは己を恥じた。

恋というものはここまで人を愚かにしてしまうものなのか。

クリスマスイブに告白されて、いきなり恋人同士になってからというもの、アキラはヒカルが恋しくてたまら
ない。


ヒカルのことはずっとそういう意味で好きだったけれど、気持ちが一方通行であった時は会えなくても平気
だった。


それが相互であると解り、相手からも気持ちを返されてからは一気に押さえが効かなくなってしまったのだ。

触りたい、話をしたい、肌の温もりを感じたい。

殊に、告白と同時にされたキスはアキラの脳を芯からとろけさせ、再びそれを味わいたいという強い欲求
に自分でも驚くぐくらいなのだ。


クリスマス以来、毎日アキラはヒカルと会っていたしその度にキスをした。してくれない時はねだるようなこと
もしたので、ヒカルには驚きつつも喜ばれ、飽きることなく唇を重ね合ったりもした。


それらはアキラ自身にとっても驚くべき、初めて知る自分だった。

(進藤、今頃何をしているだろう)

ぼんやりと考えた時、つんと脇から膝を突かれた。

「アキラ」

こそっと囁いたのはやはり兄弟子の芦原で、笑いを噛み殺したような顔をしている。

はっと父の方を見ると父もまた兄弟子と同じような表情で自分を見ている。

やってしまった。

どうやらまた呼ばれているのに気がつかないという失態を繰り返してしまったらしい。

「もう、部屋に戻りなさい」

親としての愛情を込めつつ、それでもきっぱりと父親が言った言葉にアキラは今度は逆らわなかった。

「すみません。それでは先に休ませて頂きます」

まだ後数時間はそのまま続きそうな宴会をアキラは深く頭を下げて退いた。


部屋に戻ると最初に携帯の着信を見る。けれど電話もメールも届いた気配は無かった。

時計を見ると辛うじてまだ今年の内で、宵っ張りのヒカルはまだ起きてはいるはずだった。

それでも連絡が無いということは、家族での年越しを楽しんでいるということで、それを責める気には全
くならなかった。


ただ、寂しいだけだ。

年が明ければもしかしてお祝いメールでもくれるかもしれないが、ヒカルはアキラの家が宴会状態なこと
も知っている。気を遣って連絡して来ないのかもしれなかった。


「それでも…ひとことぐらい声をきかせてくれればいいのに」

ぽつりと呟いてしまうのは、自分だけヒカルを恋しく思っていることが悔しくたまらないからだった。

「どうせキミは薄情にもぼくのことなんか忘れて家族とテレビでも観ているんだろう」

今年は好きなアイドルが紅白に出ると言っていたので、それを観ているのやもしれなかった。

「ぼくはキミのことしか考えていないのに」

こんなことになるくらいだったらクリスマスなどに告白しないで、年が明けてからしてくれれば良かったの
だと明後日な怒りすら沸いてしまった。


(ぼくだけこんなに恋しくさせて、自分は平気でいるなんて卑怯だ)

そう思った時だった。握りしめていた携帯が唐突に震えた。

着信は間違い無くヒカルの物で、アキラは慌てて通話ボタンを押す。

「もしもし?」

『塔矢?』

うわずった声で呼びかけた言葉と、電話の向こうで話しかけて来た声が重なる。

『あのさ、おまえ今どこにいんの?』

まだ宴会真っ最中? ちょっと抜けて部屋に戻れない? と聞いて来る。

「部屋だよ。もう…休もうかと思って戻った所だったから」

キミは? と尋ねようと思った時にヒカルの声が被さった。

『なんだ! 良かった。それじゃ窓開けて』

「え?」

訳が分からずに間抜けた声を上げてしまうと、急いたような声が繰り返し言った。

『開けてって、窓』

言われるままに近づいて、部屋の窓を開ける。するといきなり目の前に手が現われた。

ぱっと開かれた手は目の前に突き出され、それからすぐにヒカルの顔が現われる。

「え? キミ??」

一瞬状況が飲み込めなくて目を白黒させていると、抱えるように頭を引き寄せられてそのままキスをさ
れた。


屈み込むような姿勢でヒカルの顔を覗き込むと、ヒカルの目が笑っている。

「会いたかったから」

唇を離した合間にヒカルが言う。

「迷惑だって思ったんだけど、どうしてもおまえに会いたくて、来ちゃったんだ」

ああと胸の中に喜びが広がる。

「ぼくも…会いたいと思っていた」

「ほんと?」

途端にくしゃっとヒカルの顔が満面の笑みに変わる。

「ほんとのほんとに、ほんとーの本当?」

「うん…キミのことばかり考えていて上の空になってお父さんに怒られてしまった」

きゅっと今度は首に腕を回されて抱きしめられる。

「信じらんねー、嬉しすぎて死にそう」

ヒカルは言ってすりすりと頬をすり寄せた。

この寒い中をずっと歩いて来たせいだろう。ヒカルの頬は冷たくてアキラは胸の奥が痛くなった。

「寒いだろう。そんな所に居ないで部屋に上がって」

促すのだが、ヒカルは無視してアキラを抱きしめ続けている。

「進藤?」

「いや、いいよ。いくらおれでもそんなはた迷惑なこと出来ないし」

自分も無断で家を抜けだして来たから、バレない内に戻らなければいけないと言う。

「戻るのか? これから?」

「今日は一晩中電車動いてるし。あーでも思い切って来て良かった。おまえ部屋に居たし、おれが来
ても怒らなかったし、キスして抱きしめられたし」


今日はずっとおまえとキスすることだけ考えていたと言われてアキラは赤くなった。

「今度は『ぼくも』って言わねーの?」

腕を緩め、身を離すと、ヒカルは人の悪い笑い顔でアキラに尋ねた。

「そんなこと…言えるわけが無い」

告白される前だったらきっと自分はヒカルを殴っていただろう。でも今はそんな言葉さえもが嬉しくてた
まらないのだから重症だ。


「塔矢」

思いきり優しい声で名を呼ばれた。

「なに?」

「思い切って告って本当に良かった。勝率悪いと思ってたから、こうして触れて幸せで死にそう」

「死ぬなんて言うな、縁起でも無い」

「それくらいシアワセだってことだって」

そして再び腕を首に回された。

窓越しの逢瀬。

抱きしめられることがこんなにも幸せだなんて、10日前の自分は知っていただろうか。

「…好きだよ」

耳の側で囁いてやったら、耳朶がじわりと赤く染まった。

「うん」

短い返事にヒカルの気持ちの全てが現われている。アキラも衝動のように腕を伸ばしてヒカルの頭を
抱き返した。


恋は馬鹿だ。本当に人を愚かにする。

(でも)

こんな幸せを感じられるならば愚かでも何でも良いと思う。

飽きる程抱き合って、でも結局飽きることも無く、年を跨いだすぐにヒカルは家に帰って行った。

「明日な? 絶対明日開けておけよ?」

「うん。午後なら」

いや、午前でも抜け出すのは可能だろうか? 今こうしてヒカルが来てくれたように今度は自分がヒカル
を訪ねて行ってもいいと、アキラは考えて微笑んだ。


「メールして? 電話でもいい。いや…電話がいい」

言い直したら笑われた。

「わかった。絶対電話する」

そして名残惜しくキスをして去って行く背中を見送った。


幸せだ。

どうしようも無く幸せだ。

襖の向こう、茶の間や奥の和室からは賑やかな人の声がまだ聞こえて来たけれど、アキラはそれらを聞
くことも無く、ただヒカルに言われた言葉のみを何度も胸の中で繰り返していた。



※十代の二人です。18くらいかな。でもまだ幼い。中坊みたいな恋愛をしています。
そして翌日は大人達に引き止められる前に二人ともさっさと家を抜けだしてデートします。親不孝。でもいいの。
2012.12,31 しょうこ