継往開来



三連休の三日目、こわっぱがいきなり尋ねて来た。


「こんにちはー、遊びに来ましたー」


もう二十歳をとうに過ぎていると言うのに、どこぞの小学生のように悪びれ無くあっけらかんと言うものだから、
家内が笑って言づてに来た。



「あなた、進藤さんがいらしてますけれど」


通してよろしいでしょうかと言うので、良いも悪いも無いだろうと答える。



「あ、桑原せんせー、こんにちは」


それなりに気を遣ったのだろうか、一応スーツ姿のこわっぱは、それに似合わないスーパーのビニール袋を
下げている。



「これ、お土産デス。通りがかったらなんかすげー美味そうな匂いがしてたもんだから」

「ああ、鯛焼きね。お店の前に屋台がいつも出てるのよねぇ」


家内が嬉しそうにいそいそと受けると、勧められるままどっかりと座布団に座った。


「先生んちって、結構解り難いですよね。おれ、二回くらい曲がり道間違っちゃって」

「それより、おぬし一体何しに来たんじゃ」

「えー? 遊びに。この前来た時センセー行ったじゃ無いですか。いつでも気が向いたら遊びに来いって」


奥さんも同じこと言ってたから遠慮なく今日来ましたと、これまた欠片の悪びれも無く言う。


「で、何をして遊ぶと?」

「先生は色々大人の遊びに詳しそうだけど、まだ昼間だし、おれと先生だったらやっぱこれでしょう」


と、打つ真似をするので苦笑した。


「確かに、碁打ちが二人揃ってテレビゲームも無かろう」

「桑原先生、ゲームなんかすんの?」

「孫とひ孫が何人いると思ってるんじゃ」


嗜む程度にはやっておると言ったら非道く感心されてしまった。


「すげー、緒方先生なんかマリオもやったこと無いって言ってたのに」

「あんな堅物と一緒にするでない」

「え? でも緒方先生って相当遊んでるって聞いたけど」

「あれは悪ぶって見せているだけで、実際は遊びという程遊んじゃいない。相手が商売女ばかりなのがその
証拠じゃ」


「へえー、桑原センセーは、じゃあ相当なやり手なんだね」

「その内、馴染みの女に会わせてやるわい」

「いや、遠慮しときます。桑原センセーのお馴染みってなんか怖そうだから」

そしてにこっと笑うと、そろそろやりますか? と尋ねて来た。

目は先程から部屋の隅に置いた碁盤をちらちら見ているので、困った囲碁バカだと笑いながら、持って来
なさいと言った。



「…先生と打つの久しぶりですよね、わあ、なんか緊張するな」

「白々しい、おぬしそんなタマか?」

「いや、マジですってば。先生から見たらおれなんか、足の生えたばっかりのおたまじゃくしみたいなもんな
んだから」


「はて、まだ卵の段階かと思っていたが、いつの間にか孵化しおったか」

「ひでぇ」


ぼやきつつもおかしそうに笑って頭を下げる。


「お願いします」

「お手並み拝見と行こうかのう」


南向きの窓を開け放し、心地良い風に吹かれながら、ぱちり、ぱちりと石を置く。


「そういえば聞いたぞ」

「え? 何を?」

「おぬし先月、若手の集まりで暴力を振るったそうでは無いか」

「あれはー…飲み会でちょっとやんちゃやっちゃっただけで、もう相手にもちゃんと謝ったし、大したことじゃ
無いデス」


「それとこの間は手合いに五分遅刻したと」

「電車が車両事故で止まっちゃったんデスって」

「そうそう、女流の栗本女史に告白されたそうじゃのう」

「って、センセー、おれのプライバシー詳しすぎ!」

「おぬしは目立つから、ここで黙って座っていてもどんどん情報が入って来るんじゃ」

「えー、もう、まいったなあ」


ぼやきながらもクサらずに、目は真剣に盤を見る。


「地方の仕事で、男湯と女湯を間違えて危うく痴漢に間違えられそうになったことも知っておるぞ」

「あーれーはー、十二時に男湯と女湯が入れ替わるの知らなくて、夕方入った時のままのつもりで入って行
ったらオバサンの軍団に囲まれちゃって」



若い子が覗きに来たと散々いじられて笑われて、こっちの方がよっぽど被害者だったと口を尖らせているの
で笑ってしまった。



「なんじゃ、折角女湯に行ったと言うのに若い娘の裸は見てこんかったのか」

「だから! そういう目的で入ったんじゃ無いってば」


目の前の進藤のこわっぱはくるくると表情がよく変わる。

碁打ちのくせにこんなに感情が露わで良いのかと思ってしまうくらい、拗ねて笑って、真面目になってを繰り
返している。



「あの温泉は近くにストリップ劇場があったはずじゃが見に行かなかったのか?」

「行こうって話は出て、結構みんな行ってたけど、おれは行きませんでした」

「意外に腰抜けじゃな」

「おっかねえ鬼が見張っているから行けなかったんだってば!」

「だからそれが腰抜けだって言っておる。例え塔矢の小せがれが何と言おうと、突っぱねて見に行けば良か
ったではないか」


「あー…うわ、お見通しなんだ。うん、でもそんなことで喧嘩するのもなんでしょう?」


盤外戦を仕掛けたつもりだったのに、心乱すことも無く的確な場所に石を置かれた。


「ふうむ」

「あ、せんせーちょっと困ってる? 今の手、良かった?」

「うるさい、あまりにぬるい手なので呆れておっただけじゃ」

「えーっ? せんせー素直じゃないなあ」


顔中を笑顔にして笑う。本当にこやつは人懐こいと思う。



それから結局三回ほど打って検討をした。

家内が茶をいれて、こわっぱが土産に持って来た鯛焼きを食べながら石を並べる。


「ここ、中国流だとこっちに置くじゃないですか、でもおれあんまり好きじゃないんですよね」

「別に何々流だのなんだの拘らなくても好きなように打てばいいじゃろうが」

「そうなんデスけど、中国流の良さも解ってるんで、進んで取り入れるべきなのかなって」


パチリ、パチリ。

静かな部屋に石の音だけが響く。

そんな中、唐突に玄関のチャイムが鳴り響いた。


「あれ? お客さんデスか?」


進藤が腰を浮かすので慌てるなと手で制する。


「今日は何も予定は無い、どうせ宅配の類じゃろうて」


しかしすぐに家内がやって来て来客の旨を知らせた。


「あの…あなた、塔矢さんがいらしています」



珍しい日だ、最初はこわっぱが来て、次に塔矢の所の小せがれが来た。


「ご無沙汰しています」


いつも通りの隙のない身のこなしで頭を下げた小せがれは、ワシの前に座るこわっぱを見て眉を寄せた。


「キミ…来てたのか」

「おまえこそ、来るなんて言って無かったじゃん」

「ぼくはたまたま近くを通りがかったものだから…」

「まあ、いいからおまえもさっさと混ざれよ。今ちょうど二人でさっき打ったヤツの検討していてさー」


おいでおいでと手招きするこわっぱに、小せがれが苦虫を噛み潰したような顔をした。

幼い頃からしっかりと躾られた小せがれは、進藤のように無遠慮な振る舞いはしたことが無いに違い無い。
抵抗感が拭え無いのだろう。



「いいから座りなさい。すぐに茶も来るだろう」

「いえ、どうかお構い無く………って、進藤、キミまさかお土産にスーパーの鯛焼きを買って来たのか?」


目ざとく見つけて非難するように言う。後で家内に聞いたら小せがれは銀座の三越でこじゃれた惣菜を買っ
て来ていた。



「えー? おまえも前を通っただろ? すげー美味そうな匂いしてたじゃんか」

「だからって桑原先生のお宅を伺うのに鯛焼きって言うのは…」

「わしは別に構わん。老舗の菓子やらは普段食い飽きているもんでな、たまにはこういう俗な物の方がいい
んじゃ」


「な? じーちゃんもそう言ってるじゃん」

「そういう問題じゃないっ! それにちゃんと先生とお呼びしろっ!」


血相を変える小せがれは面白い。以前は行儀の良いだけの面白みの無い子どもじゃったが、進藤のこわ
っぱと出会ってから感情が剥き出しになり、人として随分良い味が出て来たと思う。



「大体先生も先生です、どうして進藤の無礼を許しているんですか、彼はすぐに調子に乗るんですから叱る
時には叱らないと」


「わしが叱らなくてもおぬしが叱っておるからそれでいいじゃろう」

「先生っ!」

「まあ、そんなにいきり立たずに、こわっぱの言う通りこっちに来て混ざりなさい。折角だから打とうじゃない
か」



それから数時間、わしはこわっぱと小せがれと共になかなかに楽しい時間を過ごした。

どちらも現在若手のナンバーワンとツーと呼ばれる実力の持ち主なので、碁に関してはなかなか手強く、長
考させられる場面も何度かあった。


もろちん軽くひねってやったが、それでも久しぶりに打つ手応えのある碁だった。


碁は打つことで、その人となりが良く解る。

一見軽薄そうなこわっぱは、人が言う程そうでは無くて、実際は秀策など昔からの棋風を尊重した打ち方を
する。


そして真面目で堅物と評判の小せがれは、これが意外に勝負師で、定石を踏まえた碁ながらも、時に大き
な勝負に出る。


本当に面白いなとそう思う。



どちらも来たのは日が高い内だったのに、暮れるまでひたすら打ち続け、結局夕食を食べて帰って行った。

「じゃあ、桑原センセー、また来るから」

「いつでも来なさい。なに、今度は土産はいらんよ」

「え? あ、ホントに? でも今日みたいに何か美味そうな物を見つけたら、おれも食べたいからやっぱ買っ
て来るかも」


「キミ…社交辞令って物を知らないのか」


塔矢の小せがれが溜息をつきながらこわっぱを小突く。


「大体どこの世界に目上の方を訪ねるのにイロモノの鯛焼きなんか買って来るバカがいる」


しかもスーパーの前の屋台で買って来るなんてどういう了見だと言うのにこわっぱが返した。


「はあ? おまえ屋台バカにするとバチ当たるぞ。パリパリに焼けててすげえ美味かったじゃん。行列出来
るような店よりも、ああいう所の方が美味かったりするんだよ」


「だったらせめて普通の餡にしろ。どうしてハムチーズやエビチリ、カレーの鯛焼きなんか買って来るんだ」

「なんだよ、おまえ美味そうに食ってたじゃんか」


靴を履いて後は出て行くだけという段階でぎゃんぎゃん喧嘩を始めた二人を家内が驚いたような顔で見て
いる。



「あの…あなた」

「いいんじゃよ。こやつらはいつもこうなんじゃ」


子狐のじゃれ合いみたいなものだと思いながら血相変えて怒鳴り合っている二人を見る。


「センセーは別に嫌いじゃ無かったよね?」

「桑原先生、はっきりと進藤に言ってやって下さい、碁も食べ物もイロモノはいけないと」

「は? 何どさくさに紛れておれの碁にまで口出ししてるんだよ」


放って置くとそのまま何時間でも怒鳴り合っていそうだったので少々厳しい声で叱って、それから改めて訪問
の礼を言った。



「今日は楽しかった。またいつでも遊びに来なさい」


ワシは悪食だからどんな食い物にも不満は無いと付け足したら、こわっぱはきょとんとした顔をしていたが、
小せがれは苦笑していた。



「それじゃまた」

「本当にお世話になりました」


最後は二人揃って深々と頭を下げて出て行った。

つい今し方まであんなに怒鳴り合っていたのに、こわっぱと小せがれはそれが嘘のように肩を並べて笑いな
がら歩いて行く。



「ワシにもあんな相手がいれば良かったか…」


ぽつりと呟いたのを家内が聞いて、窘めるように言う。


「嫌ですよあなた。そうじゃなくても女性関係では散々苦労させられたんですから、その上あそこまで仲の良
いお友達を作られたりしては私が困ります」



ここまで辛抱してついて来たのだから、最後に人生を分かち合うのは私だけにして下さいと言われて渋々頷
いた。



「わかっておるわい」

「それにしても、いい子達でしたねえ」


玄関戸を閉めながら家内が言った。


「どちらも特別に理由も無く来たと言う風でしたけれど、きっと今日だから来て下さったんですよねぇ」

「今日は何か特別な日だったか?」

「あら、カレンダーをご覧になっていないんですか?」


敬老の日じゃないですかと言われて嬉しいよりも不服な気持ちが先に立った。


「けしからん。ワシはまだそんな労られるような年寄りでは…」

「でもあなた、楽しかったんでしょうに」


また来て下さるといいですねえ、今度はあなたの誕生日にでもと続けて言われてのど元までこみ上げた文句
を仕方無しに飲み込んだ。



「まあ…いい暇つぶしにはなったか」


表立ってへつらい、言葉を世辞で飾り立てる輩はたくさん居る。しかしこんな風に純粋に自分を慕って訪ねて
くれる者は近年めっきり減っていた。



「進藤さん、次はどんなお土産を買って来て下さるでしょうかね?」

「知らん。だがどうせ、あやつの風体に似た奇天烈な物を買って来るんじゃろうよ」


そして塔矢の小せがれと漫才よろしくワシの目の前で、また他愛無い掛け合いを見せてくれることだろう。


「さっきは子狐と思ったが…あれは生まれたばかりのよちよち歩きの子虎と、孵ったばかりの子龍じゃった
か」


「まあ、随分気に入られているんですね、あの二人のこと」

「いや、気にくわん。大いに気にくわんよ」


そろそろ引退をと考えても居たが、緒方の若造だけで無くあんな生意気な小僧共がいるならば、まだ現役を
退くには早そうだ。



「精々嫌なジジイになってやるかのう」


ぽつりと言ったら家内が笑った。


「あらまあ、それは大変ですこと」


久しぶりに皆を集めて研究会でも開こうかとカレンダーを眺めながら考える。まず最初に連絡を入れるのは、
こわっぱと、塔矢の小せがれにしようと思ったら、知らず口の端に笑みがこぼれた。




※敬老の日に桑原本因坊の家に遊びに来たヒカアキちゃんでした。食えないじーちゃんだと思いますが、ヒカルとアキラ(特にヒカルは)
桑原本因坊のことが好きだと思います。尊敬もしているしよく出入りするようになるんじゃないかな。
桑原本因坊はイジメながらも(緒方さんの十分の一程度)二人のことをとても可愛がるんじゃないかと思います。
2012.9.17 しょうこ