Under Lover
バレンタインなんて馬鹿げている。
そう思うのに2月に入ると気持ちがざわつく。
それというのも、憎からず思っている相手が形振り構わぬ子どもっぽさで自分にチョコを要求して来るからだ。
『なあ、チョコくれよ』
『塔矢からのチョコ欲しいなー』
『おまえどうせ小さい頃からイイもん食べて来て舌肥えてんだろ?』
だからその舌で選んだ超美味いチョコをおれにくれと、アキラの顔を見るたびヒカルが言うものだから、周囲
もさすがに苦笑している。
「あげないの? チョコ」
手合い日の朝、棋院のロビーで会った瞬間いつものチョコくれくれを発動されて、素っ気なく振り切ってエレベー
ターに乗ると、偶然居合わせた兄弟子の芦原が可笑しそうに笑いながら言った。
「進藤くん、すごく欲しそうだったじゃない」
「別に、あんなのは彼独得の冗談ですから」
「そうかなあ。でも進藤くん、アキラがあんまり冷たくするから拗ねて階段から行っちゃったじゃない」
冗談じゃない。どうしてぼくがキミにチョコなんかあげなくてはいけないんだ、顔を洗って出直して来いと突き放す
ように言ったら、ヒカルはぐっと口を尖らせて一人階段を駆け上って行ってしまったのだ。
「…いいですよ、別に。進藤は体力が有り余っているタイプだし、六階や七階上ったって疲れたりしませんから」
「それはそうかもしれないけどさあ」
今は友達同士でチョコのやり取りもするんでしょう? 進藤くんはアキラとそういうのがしたいんじゃないのかと言
われてアキラは溜息をついた。
「男同士でですか?」
有り得ない。女の子同士がやり取りするのは良く見るし、微笑ましいと思うのだけれど、何が悲しくて男同士でチ
ョコをやり取りしなければいけないんだろう。
(それも義理でもなんでも無い相手に)
そう、アキラがヒカルに必要以上に冷たく振る舞うのは、アキラがヒカルを所謂そういう意味で好きだったからだ。
かなり前からずっとそうで、なのに無神経に恋の告白のチョコをねだる。それがどうしても許せなかったのだ。
だからここ二、三年断り続けて来たのだけれど、ヒカルがこれでなかなかへこたれない。
「…どうしてぼくなんかのチョコが欲しいんだか」
エレベーターから降りながらアキラがぽつりと呟くと、芦原がこれっぽっちも悪意の無い笑顔で即座に返した。
「それはやっぱり、アキラのことが好きだからでしょう」
(好き…か)
芦原に言われた言葉はアキラの胸にちくりと刺さった。
(好きは好きでも、そんな子どもっぽい好きなんかいらないのに)
そもそもヒカルはアキラ以外にも臆面も無くチョコをねだっている。碁会所なら市河さん。棋院でも院生仲間の女
の子に毎年たくさん貰っている。
売店のオバチャンにも持ち前の人懐こさでくれくれコールを連呼して、ちゃっかり貰っているのをアキラは目撃し
たことがあった。
さすがに和谷や、男友達から貰っているのを見たことは無いけれど、アキラにこうして要求して来る以上、表立
ってやり取りしていないだけで実際は友チョコをやり取りしているのかもしれない。
だったら自分も何も気にせずやればいいような物だけれど、それはそれで腹が立つのだ。
「まったく…そんなに美味しいチョコが欲しいなら、緒方さんにでも頼めばいいんだ」
芦原と同じく兄弟子である緒方は女関係が派手なので、バレンタインには相当良いチョコを貰っているし、あれで
中々拘りがあるので美味しい物も知っている。
くれと言ってくれる相手では無いけれど、無邪気な強奪なのだとしたら、いっそそこまでやって欲しいと思うのだ。
と、唐突に思考が破られた。
「なんでおれが緒方センセーにチョコ貰わなくちゃいけないんだよ」
手合いが終わって検討も終わり、顔を上げた時にヒカルもちょうど終わったようなのを見て、アキラはそそくさと階
段を使って下りたのだけれど、ヒカルはそれを追いかけて来ていたらしい。上の方からアキラを睨んでいる。
「キミ…そんなにまでしてチョコが欲しいのか」
半ば呆れてそう言うと、ヒカルはムッと口を尖らせて言った。
「欲しいよ。当たり前だろう」
なのにおまえはちっともくれない。ドケチにも程があると言われてアキラもムッとした。
「大体、どうしてぼくがキミにチョコをあげなくちゃいけないんだ」
「いいじゃん。おれが欲しいって言ってるんだから、チョコくらいくれたって罰は当たらないだろう?」
「ぼくは女の子じゃ無い。欲しいって言うならキミの友達の女の子に貰えばいいじゃないか」
「そんなの全然嬉しく無いし」
「だったらぼくからのは嬉しいとでも言うのか」
「嬉しいよ!」
売り言葉に買い言葉、怒鳴り合っているうちにヒカルは大事なことをさらりと言ってしまったらしい。
「おまえのチョコが欲しくてずっと色々苦労してお膳立てしてんのに、どうしておまえは義理チョコの一つもおれに
くれないんだよ!」
「それは―」
言い返そうとして、アキラはすぐに違和感に気がついた。
なんだ? 今何かものすごく大切なことを聞いたような気がする。
「キミは―ぼくからのチョコが欲しくて、他の人からのチョコはそんなに嬉しく…無い?」
「そんなにじゃねーよ、全然だよ」
なのにおまえは冷たいし、挙げ句の果てに緒方先生から貰えとか言ってるしとヒカルの愚痴は止まらない。
「どんな思いでおれが毎年言ってると思ってんだよ」
「…どんな気持ちで言ってるんだ?」
真顔で尋ね返したら、ヒカルもはっと我に返った。
「それは…えーと…」
すげえ、好きって気持ちで言ってると、さっきまでの勢いはどこへやら、ヒカルは消え入りそうな声で言った。
「好きなんだもん、仕方ねーじゃん。だからってそれを強要することなんか出来ないから、せめてチョコくらいっ
て思って何が悪いんだよ」
恨めしそうに続けられ、アキラは一瞬どんな顔をしていいのかわからなくなった。
体の中であまりにもたくさんの感情が渦巻いて、どれを優先させていいのかわからないのだ。
「おまえは迷惑だと思うけどさ―」
「別に迷惑なんかじゃない」
辛うじてそう言うと、ヒカルがはっとしたように顔を上げた。そしてほんのりと頬を染める。
「それってどういうこと? おれがおまえのこと好きでも嫌じゃないってことだよな」
「…そう、かもね」
恥ずかしくて死にそうで、でも答えないわけにも行かない。
「もし違ってたら殴ってくれてもいいけど、もしかしておまえもおれのこと好き?」
さあねとはさすがに言えなかった。でも、そうだよとも言ってやれない。
「どっちなの? 塔矢」
気がつけば薄暗い階段の途中で、もう10分以上も二人して見つめ合ってしまっている。
「キミが…」
「ん?」
「キミにチョコをあげるから、キミもぼくにチョコをくれたら答えてあげてもいい」
ぼくがキミをどう思っているのか教えてあげるよとアキラが言ったら、ヒカルは大きく目を見開いて、それから
一歩階段を下りた。
「うん」
呆然として無意識に下りてしまったのだとその顔で解る。
「うん、頂戴。そうしたらリサーチしてもう最っ高のをおまえにやるから」
「期待してる」
ぎこちなく微笑んでから、今度はアキラの方が一歩ヒカルに歩み寄った。
階段の上と下、そっと腕を伸ばしあい、それからそっと互いに触れる。
まだ信じられないという気持ちで一杯で、狐につままれたように思いながら、それでも二人はゆっくりと、熱
い抱擁を交わしたのだった。
※タイトルの意味は「恋人未満」そのまんまの内容です。チョコくれくれ魔神ヒカルと、拗ね拗ね大王のアキラです。
でも、この先はきっと早い。ホワイトデーが楽しみな人達です。
2012.2.14 しょうこ