Holy Merry Christmas




人にはよく軽薄だとか、我慢が足りないとか言われることの多いヒカルだったけれど、実は意外と慎重で我慢強い。

カッと頭に血が上ることはあっても、感情に全てを任せるわけでは無く、冷静な部分でちゃんと状況を見て判断して
いる。


もっとも、だからこそ棋士などというものをやっていられるのだろうけれど。


誰よりもヒカルを間近に見てきて、それをよく知っているアキラは、今実際、自分の身でそれを実感していた。

他愛無いことで喧嘩して、アキラと口汚く罵倒し合ったヒカルはそのまま部屋を飛び出しかねない勢いだったけれど、
実際には言いたいことを言った後は溜息をついて口を閉じ、そのままどっかりとアキラの前に座ったのだった。


間に挟まるテーブルの上にはホールケーキの入った大きな箱と、デパ地下で買った様々な惣菜、それに同じくデパ
地下で買った少し高めのワインの瓶が乗っている。



12月24日。

あろうことかクリスマスイブの、正にそれを祝おうとした直前に2人は喧嘩をしたのだった。



『もう、どーしておまえはそういう言い方しか出来ないんだよ』

最初のきっかけは何だったのか。

思い出せないということは本当につまらないことだったのだろう。それを大きくしてしまったのは、カチンときたアキラ
が少し前の棋戦のことを持ち出して思いきり辛辣にヒカルに言ったためで、そこから一気にお互いにヒートアップして
しまった。


『本当のことを言って何が悪い。それが我慢出来ないというならぼくと別れればいいだろう』

そこまで言うようなことでは無かったが、感情のままに怒鳴ってしまった。

『おまえ、何かあるとすぐ別れるって言うけど、本当にそうなった時、絶対泣くって自覚あんのか!』

『誰が。いっそ清々するね』

憎まれ口に憎まれ口を叩き返し、そして今は2人ともむっつりと黙っている。

けれど、よく見るとヒカルの方はもう顔から怒りの表情が抜けてしまっている。余程のことで無い限りはヒカルは怒りを
すぐに収めてしまうのだ。


それはアキラの方が性格的に折れ難いことを付き合ううちに悟って学習した結果だった。

最初は難しかったようだが、最近ではヒカルは大した問題では無いと判断したら、そこで自分から潔く怒りを引いてしま
っている。


その分、ヒカルはアキラより大人だと言う事になり、アキラとしては大変面白く無い。でもどう考えても自分から謝るのは
我慢ならないと思ってしまうのだから救いようが無かった。





「なあ」

小一時間ばかり経った頃だった。ヒカルがぽそっとつぶやくように言った。

「…なんだ?」

「ケーキの保冷剤って何時間分入れて貰ったんだっけ」

「2時間じゃ無かったか?」

「だったら買った時からもうそろそろそのくらいになるよな。部屋ん中温かいし、クリーム溶けたら悲惨だよな?」

直接の懐柔は難しいと判断してヒカルは外周から攻めて来ているのだ。

「別に…溶けてもケーキはケーキだし」

そんなに心配なら自分で冷蔵庫に入れればいいだろうの意を込めて素っ気なく突き放すようにアキラは言った。

「そうだな、ちょっとぐらい溶けても味はそんなに変わらないもんな」

けれどヒカルは挑発には乗らず、にっこりとそれを受け入れてしまった。

(そんな訳があるか!)

半年前から予約が必要な高級店のケーキである。

細工も繊細だが味も上品で繊細で、溶けて混ざり合って美味しいわけが無いのだ。けれど自分で言った手前、それを
撤回することはアキラには出来ない。


「それとさー」

腹の中でイライラとアキラがケーキを気にし始めると、今度は妙に間延びした声でヒカルは惣菜を指さした。

「これって室温でどれくらい大丈夫なんだろう?」

これもまた買って2時間くらい経っている。

ローストビーフなどは大丈夫だろうが、マグロのカルパッチョなどの生ものは幾ら冬でも大丈夫なものか自信が無い。

「…二、三時間は平気なんじゃないか?」

平静を装って言ってみると、そうだなとこれまたあっさり頷いてしまう。

そんなわけ無いだろう、疑問を持てと言いたくても言えない所がアキラの辛い所だった。

「それとさー」

「なんだ」

まだあるのかと、ピリピリしたまま遮るように言うと、ヒカルはお釈迦様のような穏和な顔でワインのボトルを指さして
いるのだった。


「これって…室温に放置していていいんだったっけ」

良く無い。

「ぼっ――ぼくは温いくらいの方が好きなんだっ」

悔しさ一杯で怒鳴りつけると、ヒカルはくるりと目を回して見せた。

「そっか。冬だしな。あんまりキンキンに冷えていても味がよくわかんないよな」

ああ憎たらしい。ヒカルは全て解って言っているのだ。解りつつ、アキラが我慢出来ずそれらをどうにかしようと言い
出すのを待っている。


そうなればいつまでも意地を張り続けることは難しくなり、なし崩しに仲直りに持ち込もうとヒカルは画策しているのだ。

(でも、だからってそんな簡単には)

思い通りになってたまるかという意地もアキラにはある。

もはや喧嘩がどちらが正しくてどちらが間違っているかなどということはどうでも良くなっていて、ヒカルに上手くあしら
われることが悔しいと、ただそれだけになってしまっていた。


それが腹立たしいからこそ、アキラはヒカルが再び怒りを再燃させるような冷たい言動を繰り返しているのにそれに
全く乗って来ないのだ。


それどころか余裕の様で虎視眈々と機会を伺っている。

それはそのままヒカルの打ち方にも通じた。

どんなに軽薄な若造に見えても、ヒカルは今や少しのことでは動じない、じっくりと腰の据わった打ち回しをするように
なっていたのだ。



「あっ」

やがて唐突に小さくヒカルが声をあげた。

無視しているとそわそわした調子で入り口の方を何度か見るので気になってしまう。

「…なんだ?」

とうとうアキラは我慢出来なくなって聞いてしまった。

「あー…うん、大したことじゃないから」

けれど聞いてやったというのにヒカルは言わない。

「大したことじゃ無い割に随分気にしているじゃないか。言え」

「うーん、実はさ、今日の買い物の一番最後におまえが本屋に行っただろう?」

注文していた本が入ったと連絡を貰っていたので、ヒカルを外に待たせて受け取りに行ったのだ。

「あの時に、おれちょっとアイスが食いたくなっちゃって隣のコンビニでハーゲンダッツの新製品を買ったんだよな」

「ああ…あのスペシャルとか言う」

「そ、一個400円くらいするから、おまえに贅沢って言われちゃうかなって、こっそり」

「それで?」

「で、帰って来た時見つかると怒られるかもって、後で仕舞うつもりでドアの外の所に―」

「まさか、そのまま放置しているのか!」

アキラは思わず叫んでしまった。

幾ら冬とは言え、建物の中で二時間である。アイスクリームが溶けない筈が無い。

「どうして早く言わないんだっ」

怒鳴りつつ玄関に走ったアキラは、勢いよくドアを開けた所でへたりと座り込んでしまった。ドアの向こう、共用廊下の
どこにもアイスクリームなど無かったからだ。


「へへっ」

振り返ると、してやったりという顔でヒカルが自分を見詰めている。

「置いておくつもりだったけど、ちゃんと冷蔵庫に仕舞ったよって言おうとしただけなんだけど」

「…うるさい」

まんまと乗せられてしまった。

アキラは決してケチでは無いが食べ物を無駄にすることだけは小さい頃からの躾のせいでどうしても許せない。

ましてやアイスクリームなど溶けたらどうしようも無いものをそのままにすることは出来なかった。

そこを突かれたのだ。

「おまえが血相変えて見に来てくれたアイス、濃いガナッシュに金箔が散らしてあって、すげー美味いんだって」

だから風呂上がりに食おうぜと言われてもアキラは返事が出来ない。悔しくて仕方無かったからだ。

するとヒカルは機嫌を取るように、思いきり優しい声音でアキラに語りかけてきた。

「なあ、いくらおまえが温いのが好きだって言っても、これ以上経ったらワインも惣菜も不味くなっちゃうんじゃないか
な?」


そろそろ食べ頃じゃん? と言われて恨めしくヒカルを見た。

「…キミが給仕してくれるなら」

「するする、皿洗いまで全部おれがやるから」

にっこりと笑うヒカルに屈託は無い。

「実は今日買ったのの他に、もう一本ワイン用意してあるんだ。それと、昨日暇だったから牛と野菜の煮込みも作っ
てあるし」


「…知ってる」

それどころかヒカルがこっそりとベランダに花束を隠していることも知っていたし、クローゼットの奥に自分宛のプレゼ
ントを隠していることも知っていた。


同じようにヒカルも、アキラが自分宛のプレゼントを玄関の脇の物入れに仕舞っていることをきっと知っているのだろう。

知っていて出方を見ている。本当に嫌な打ち回しをするようになったなと思いかけてアキラは苦笑してしまった。


「キミ、そういう攻め方をしていると、いつか誰かに刺されるかもしれないよ」

「そう?」

「うん。主にぼくに」

本当に攻められたくない所を嫌味なやり方で攻めてくるからと言ったら、ヒカルは大袈裟に驚いたような表情を浮かべた。

「おれが? そんなつもりはなかったんだけど」

「いいよ、もう。…完敗だ」

このまま後どれくらい意地を張り続けたとしても、結局はヒカルにいなされてしまうのだろう。そう思ったら溜息が出た。

「マジでそんなつもりは無いんだけどさ、でも、おまえともう仲直りをしたいとは思ってる」

だからそろそろ怒りを収めて、おれと楽しくクリスマスしてくれませんかとダメ押しのように馬鹿丁寧に言われてアキラは
とうとう笑ってしまった。


本当にヒカルはアキラの扱いに長けている。長けるようになってしまったというべきなのか。

でもそれが悔しくても不快では無いことにアキラ自身もとうに気がついていた。

「言っただろう。キミに勝てそうな気はしないし、潔く負けを認めるよ。だからぼくからもお願いする。こんな意地っ張りで
頑固で口の悪い恋人だけど、一緒にクリスマスを祝ってくれますか?」


答えがYESだといいなと付け足すように呟いたら、ヒカルはぱあっと笑顔になった。

「あったりまえじゃん」

YES、YES、後百回くらい言ってもいいよ? と非道く軽い調子でアキラに言う。

でも騙されまい。

どんなに軽薄そうに見えても、ヒカルの中身は自分をリードする立派な大人の男なのだから。

「メリークリスマス」

悔しいけれどキミのことが大好きだよとアキラが告げたら、ヒカルは初めてその顔に本物の動揺を見せ、ぱあっと赤く
なったのだった。



※皆様メリークリスマス。ヒカルとアキラに負けないくらい素敵なクリスマスイブ&クリスマスを過ごされますように。
2012.12.24 しょうこ