福散らかし



豆を撒いていたのは、そうするものだと思っていたからだった。

毎年節分には父が升に入った豆を持ち、お弟子さんと一緒に家の全ての部屋を豆を撒いて歩いた。

堂々とした父の姿と、家の中に響き渡る、低いけれどよく通る声を聞くのが好きだった。


けれど父が海外に居を移すようになってから、ぼくは豆を撒かなくなった。一人で撒くのは寂しいとい
うこともあったし、もう豆撒きで喜ぶ年では無くなったということもある。


けれど何よりも本当は、豆撒きは大人のすることに付き合っていたという感覚が強かったからかもし
れない。


なので数年間、豆のまの字も無く過ごしたというのに、二十歳を過ぎて一緒に暮すようになった相手
は、初めての節分に嬉々として豆やら何やら用意したのだった。




「え? 撒くだろ普通」

「いや、今どきは小さいお子さんのいる家でしかやらないと思うけど」

「でも厄払いの儀式なんだからさ、ちゃんとやらないとダメなんだぜ」

今どきのファッションに身を包み、そういうことにはまったく興味が無さそうなくせに、しかつめらしい
顔で言うので笑ってしまった。


「キミは意外に古風だよね」

父と話が合うかもしれないとふと思い、ああだからぼくは父と彼に似た部分があると時折感じるのだ
と思った。


「古風もクソもないだろ。大体おれら勝負師なんだからさ、こういう縁起担ぎとか、ちゃんとしなくてどう
するんだよ」


「そういうものかな」

「そうだよ!」

思いきり力説して、人生のパートナーである彼、進藤ヒカルは柊や鰯も山のように買って来たのだっ
た。




「これ今夜焼いて食おうぜ」

「いや、実はぼくはあまり鰯が好きじゃなくて」

「なんだよ、実家じゃ食ってたんだろう?」

「それは出て来たから食べていたけど」

どちらかというとそれも宛てがいぶちをこなしていたというだけに過ぎ無い。

「しょうがないなあ、だったらトマトとハーブでイタリアンにしてやるよ。それだったら食えるだろ」

「うん、美味しそうだ」

「それと恵方巻き」

「ごめん、太巻きもあんまり好きじゃないし、そもそもあんなに一度には食べられない」

「じゃあ細巻きを一口大に切ってやるよ!」

もはや色々と原型を留めてはいなかったけれど、それでも進藤はしぶとく慣習通りに節分をしよう
と頑張っている。


「それから後で豆撒くけど、ちゃんと年の数だけ食べるんだからな」

「あ、いや、大豆もそんなに好きでは…」

「はあ? おまえどんだけ我が侭なんだよ」

呆れたように言われたけれど、それでも苦手なものは仕方が無い。進藤は後でチリコンカンにし
てくれると渋々ながら約束してくれた。



「それで今度は何をしているんだ?」

「ん、柊鰯」

残った鰯と柊で、玄関に飾る柊鰯まで作り始めた。

「これで悪いもん、中に入って来無いから」

玄関チャイムの隣に無理矢理貼り付けて満足そうに見ているけれど、ぼくはグロテスクだし生臭
いしあまり嬉しい気持ちにはなれなかった。


「なんだよ、文句あるなら柊と鰯の頭でクリスマスリースみたいにするぞ」

「いや、それは勘弁してくれ」

「まったくおまえって、あんな古くさい家に住んでたくせに、どうしてそんなに年中行事に興味無い
んだよ」


「それを言うならキミはどうしてそんなに年中行事をやりたがるんだ」

「だって日本人だし」

「ぼくだって日本人だ」


バカのように他愛無い軽口を叩き合って、でもぼくは幸せだった。

実家で両親と過ごしていた時にはこんな楽しい気分で節分を過ごしたことは無かったように思う。

決して嫌いでは無かったけれど特別に好きでも無かったとそう思うのだ。


「そうだ、余った豆で福茶にしようぜ」

嬉々として豆を撒き、年の数だけ拾い集めた後に進藤が思い出したように言った。

「福茶って何?」

「あー、もういいからおまえはこぼれてる豆を拾って来いよ」

説明するのも面倒だと溜息交じりに追いやられ、ぼくは床に落ちている豆を探した。


「一年分の厄を祓って、新しい気持ちで過ごさないとな」

「キミ、本当に年寄り臭い―」

「うるさい、おまえは本当に何も気にし無さ過ぎなんだよ」


フローリングの床の隅、こぼれている一粒を拾い上げると、進藤が待ちかねていたように、手を
差し出した。


「あった? 見つけたらこっちに寄越せよな」

「人に探させていないでキミも探せ」

「探してるけど、おまえが探してるのを見てる方がシアワセだから」

「バカか」

素っ気なく言い捨てたけれどぼくの口元は笑っていた。


一粒、一粒拾い上げる。

そのなんでも無い小さな粒が、たまらないほど尊いものに思えた。


日常の些細なこと。

今までは意志を持たず、ただ促されるままやって来たこと。

それらが今、ぼくにはどれも楽しくて神聖で、失い難い。



(ぼくの方が幸せだ)

壁に寄りかかりながら、締りのない顔でぼくを眺めている彼。

どうか彼が今のぼく以上に幸せになりますように。

そう密かに願いながら、ぼくは散らかされた家中の福をそっと指先で拾い集めたのだった。



※なんでもないことが幸せだシリーズ(嘘)付き合わされてやっているうちは、その意味も本当には身に染みないんですよ。2013.2.3 しょうこ