四月と馬鹿達
今日が4月1日だと思い出した時目の前に居たのは塔矢で、だったらとにかくこいつに嘘をつかなくちゃ
いけないなと思った。
「なあ―」
この前打った本因坊リーグ予選の棋譜を並べてくれていた塔矢は、おれが声をかけたら「何?」とすぐ
に顔を上げた。
「何か気がついたことでも?」
食いつかんばかりの真剣な瞳に思わず苦笑しながら答える。
「違うよ、そうじゃなくてちょっと思い出したからさ」
「何を?」
くだらないことだったら容赦しないという雰囲気に多少気圧されながらも言ってみる。
「いや、そんな大したことじゃないんだけど、この前和谷達と話してて聞いたんだけどさ、コーヒーを飲ん
でからキスをすると相手の考えていることがわかるんだって」
相手の隠し事や秘密も全部わかってしまうんだってさと、いくらなんでも分かり易すぎたかと思いつつ塔
矢の反応を見てみると、ふうんといった雰囲気で今ひとつよくわからない。
「たっ…試してみる?」
碁盤の横にはついさっき市河さんが置いてくれたコーヒーのカップがある。それを指さしながら言ってみ
ると塔矢は一瞬黙り込み、それからいきなりコーヒーに手を伸ばした。
「え? やるの?」
マジ? 本当? と見ている間にこくりと一口飲んで、塔矢はいきなり立ち上がった。
「さて、誰にしようかな」
「は?」
「これでキスをすれば相手の考えていることがわかるんだろう? だから誰で試してみようかなって」
そしてきょろきょろと碁会所の中のお客さん達を物色し始めたので仰天した。
「北島さんにしようかな……それとも皆さん全員に試させて貰おうか」
言いながら本当に歩いて行こうとするのでおれは思わず塔矢の腕を力一杯掴んで引き止めた。
「ダメっ、やめろって!」
「何故? 面白そうじゃないか。キスをするくらいで人の考えていることがわかるんだったらぜひ実験し
てみたい」
ああっ、そうだった! こいつ頭ん中が理系だったと慌てに慌ててすがりつく。
「嘘だよ、嘘、そんなの本当のわけ無いだろう。4月1日だっていい加減気付けよバカ!」
大声で怒鳴ったら、ようやく行くのを止めてこちらを向いた。
「どうしたのアキラくん。また進藤くんと喧嘩?」
遠くから心配そうに尋ねる市河さんに、塔矢は振り返ると「なんでもありません」とにっこりと笑った。
そうしてから改めてまじまじとおれの顔を見る。
「どうしておまえ、そんなバカなんだよ。コーヒー飲んでキスしたくらいで相手の考えていることなんて解
るはずねーだろ!」
塔矢の視線が居心地悪くてついキレ口調で言ったら、塔矢は複雑な笑みを浮かべておれに言った。
「うん、確かにね。そんなことで人の考えていることがわかるはず無いことぐらいぼくだって解ってる。そ
して今日が4月1日で、エイプリル・フールだってこともよく解っているつもりだよ」
「だったら!」
「嘘には嘘で返すのが礼儀だろう? キミの嘘を信じたふりをしたのがぼくの嘘…だったんだけどね」
そして再び、穴が開くのではないかと思うくらいじっとおれの顔を見た。
「なんだよ?」
歯切れの悪い言葉に不安になりながら問いかけると、塔矢はゆっくりと考えるように言った。
「でも、なんだか強ち嘘でも無いような気がしてきた」
「はぁ?」
「コーヒーを飲んだだけでこんなに人の気持ちが解るものなら、キスをしたらもっと解るのかもしれない
なって」
「なっ、なんのことだよ」
ドキリとしながら問い返す。
「キミ、今自分がどんな顔をしているか解っているか?」
「は? おれ? おれの顔が?」
どんな顔かなんて改めて聞かなくても自分で解る。たぶんおれはきっと、北島さんにするくらいなら、
おれにしろよとそう思っていたはずだから。
「…それでおまえは、そんなおれの顔を見てどう思ってるんだよ」
「知りたいか?」
塔矢はあくまでも静かで穏やかで、でも、だからこそ、それが怖い。
「そりゃあ」
「だったらキミも試してみたらどうだ?」
ぼくが今何を考えているのか知りたいと思うなら、キミ自身がついた嘘を実践してみればいいと、さっ
きまで居た席のコーヒーカップを目線で示す。
「案外、色々なことがよくわかるかもしれないよ」
そして自分の唇を指で指しながらにっこりと妖艶に笑ったので、おれは矢も楯もたまらずに急ぎ足で席
に戻ると、一気にコーヒーをあおったのだった。
※えーと、もしこれに別のタイトルをつけるなら「ミイラ取りがミイラになる」か「嘘から出たまこと」か、「瓢箪から駒」でしょうか?
この先にどうなったのかはご想像にお任せします。2013.4.1 しょうこ
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