chocolate days



何も言わないから解らなかった。

その日おれは手合いで、手合いの後にはみっちりと相手と検討した。

終わったのは6時過ぎでかなり腹が減っていて、早く帰って何か食いたいとそんなことばかり思っていた。

だからエレベーターで一階に下りて、そこにぼんやりと佇む塔矢を見つけた時も、誰かを待っているのか
なとそれしか思わず、急ぎ足で前を通りすぎようとして怒鳴りつけるように呼び止められた。



「進藤!」

「は? え? 何?」


きゅっと床が靴で鳴る程慌てて止まり、振り返ると塔矢がおれをじっと見ている。


「キミ、これから約束があるのか?」

「約束? 別に」

「だったらどこかに行く用事でもあるのか?」

「いや、なんも無い」

「じゃあどうしてそんなに急いでいるんだ」

「だって検討長引いて滅茶苦茶腹減ってるから―」


言い終わらないうちにぐいと腕を掴まれた。


「カフェでいいのか?」

「は?」

「何か食べるんだろう? 駅前のカフェと靖国側のイタリアンと、川向こうのハンバーガーショップ。どこに
行くつもりだったんだ」


「いや…」


金欠だし家で食べようと思っていたと言う言葉をなんとなくおれは言いそびれた。

塔矢の雰囲気が妙にぴりぴりして有無を言わさないものがあったからだ。


「カフェ…かな」

「わかった。じゃあ行こう」

「行こうっておまえも来るの?」

「悪いか?」


むっとした顔で睨まれて、いいえ滅相もありませんと心の中で思う。


「キミは随分検討に時間をかけるんだな」


帯坂を下りながら塔矢がぽつりと言った。


「いつもはこんなに長くしないって、今日はたまたま相手が熱心だったから」


このくらい長くやるのはおまえとやる時ぐらいだと言いかけて、なんとなく言うのをやめた。

そんなことを言ったら、塔矢が特別だと言うのと同じだと思ったからだ。



カフェに着いて空いた席に座り、さて何を食うかなと注文しに行こうと思ったら、ドンと目の前にトレイを置か
れた。



「キミの分」

「は…あぁぁぁぁぁ?」


トレイの上にはチキンと野菜のパニーニと、ミネストローネとホットチョコレートが並んでいた。

どれも嫌いでは無いけれど、味の組み合わせがバラバラで、こいつどういう基準で選んだんだろうかと思っ
た。



「フツー、人の分頼む時は何がいいか聞いたりしないか?」

「嫌だったか? どれもキミが以前、ここで頼んだものばかりなんだけれど」

「以前って…」


改めて目の前のメニューを見ると、確かにそれはおれが前にこいつとここに入った時に頼んだ物ばかりだ
った。



「それにしたって組み合わせってもんがあるじゃんか」

「野菜、タンパク質、炭水化物、どれもバランス良く頼んである」

「だからって、メシに甘い飲み物は無いんじゃないのか」

「キミ、お寿司やラーメンを食べる時にコーラを飲んでいたりするじゃないか」


それなのに文句を言われるとは心外だと言われて実際その通りなのでむっと口を閉ざす。


「幾ら?」

「え?」

「これ、幾らだったって聞いてるんだ」

「ああ…580円」

「解った。はいこれ、代金」


財布から小銭をかき集めて塔矢に渡すと、塔矢は黙ってそれを受け取り自分の財布にしまった。


「で、今日は一体なんなんだよ」


向かい合い、座ってパニーニを食いながら塔矢に尋ねる。


「別に…」

「別にって、おまえ今日は研究会も手合いもなんにも無いじゃんか、なのにどうして居たんだよ」

「ぼくの予定を知っているのか。キミ、結構細かいんだな」

「たまたま! たまたま、この間事務室行った時に予定表見えたから」


実際は、自分の手合い日を調整して貰うために行った時にこっそりとのぞき見て来て知っているのだが
それは言わない。



「ふうん」


塔矢は解ったような、解らないような微妙な返事でおれを見ている。

こういう、何を考えているか解らない時がおれは苦手だ。まだ怒ってくれている時の方が扱いやすい。


「今日の手合いの結果とか知りたい?」


沈黙に耐えかねて言うと、黙って首を横に振った。


「いいよ。キミ、お腹が空いているんだろう。だったら食べることに集中すればいい」


だからそれが集中し難いから言ってるんだってと、言いかけてこれも途中で飲み込む。


(ほんと、わかんねえ)


たまたま居合わせて、たまたま塔矢も腹が減っていたのかなと思ったけれど、おれの前に居る塔矢のト
レイにはカフェオレのカップがあるだけで食い物は無い。


だから決して空腹で、おれを連れにしたかったわけでも無いのだ。

パニーニを食べて、ミネストローネを飲んで、そして最後にホットチョコレートに口をつける。

いつもだったら食べながら合間に水分を摂るけれど、ホットチョコレートはホイップクリームが乗ってい
て、どうにも飲み物というよりデザート的な気分が大きく、最後に回してしまったのだった。



(甘…)


好きは好きだけど、やっぱ甘いなあと思いながら飲み込んで、ふと顔を上げたおれは驚いた。

塔矢が微かに笑っていたからだ。


「なんだ?」


じっと見ていたらつっけんどんに言われたけれど、口元はまだ微かに笑っている。


「おまえ…」


どうしていきなり笑ってんのと、でも言ったら氷のような言葉が返って来るんだろうなあと思いつつ、二口
目を飲んだ。


途端ににっこり、塔矢の目が嬉しそうに細められる。

なんだ? 一体なんなんだ。

さっぱりわけがわからないけれど、塔矢はおれがホットチョコレートに口をつけるたびに嬉しそうに笑って
いる。しかもそのことにどうやら自分では気がついていないらしいのだ。



(おれがこれ飲んで何がそんなに嬉しいんだ????)


頭の中が疑問符で一杯になって、でも尋ねようとすると、さっと微笑みは引いてしまう。結局なんだかわか
らぬままに、おれはカップの底に溜まった泡まで飲み干して、ことんとカップをトレイに置いた。


その途端塔矢が立ち上がる。


「じゃあ、ぼくはもう帰るから」


キミはゆっくりしていけばいいよと、いきなり言われてハト豆になった。


「はあ?」

はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ?


まだ飲み終わっていないカフェオレのカップを持ったまま、塔矢は一人さっさと席を離れ、そして本当に帰
ってしまった。



「なんだよ、あれ」


マジでわけわかんねえと取り残されたおれは狐につままれたような気分で帰途に就いた。

そして家に帰り、ごろりと床に寝そべった時、ふとカレンダーに目が行った。


「2月…14日かぁ」


バレンタインだってのにしょぼかったなと思った瞬間、跳ね起きた。


「あいつ、そうだったのか!」


唐突にあの意味不明な行動と、微笑みの意味が解ってしまった。

あれは、もしかしてあいつのおれへのバレンタインチョコだったのではないか――。


「そうだよ、だからなんか変だったんだよ」


態度も変なら、勝手に買って来たメニューの金額も変なのだ。あの時は何も思わなかったけれど、パニー
ニとミネストローネだけで500円は越える。


なのにどうしてホットチョコレートをつけて580円だったのか。


「マジでそうかよ。信じられねえ」


塔矢がおれに請求したのはホットチョコレート抜きの金額だった。

つまりホットチョコレートはおれへのプレゼントということになる。

待ち伏せのように待っていて、果たし合いのように切羽詰まった口調でおれをカフェに連れて行った。

あれが塔矢流のバレンタインだったのだと思ったら、あまりにらしくて笑えてしまった。


「だったらひとこと、そう言えよな」


知っていたならもっと大切に飲んだのに。


「…みてろよ3月14日」


ひと月後のホワイトデー、あいつがどこにいて何をしていても、おれをあいつを無理矢理にカフェかどこかに
引っ張って行って、強制的にお返しをくれてやるんだと思ったら自然に口元が緩んで来た。


鏡で見たわけでは無いけれど、それはたぶん、さっきカフェで塔矢がおれを見て微笑んでいた、あの微笑み
によく似た笑みになっているに違い無かった。



※十代で未満の二人です。これがもうちょっと大人になるとお酒になったりするんでしょうか。
さらにもっと年をとって、まったりとこたつでチョコ大福とか食べていてもカワイイですよね。2013.2.14 しょうこ