一陽来福
「大体キミは、いつでも誰にでもいい顔をしすぎなんだ!」
「そーゆーおまえだって外面ばっかり良くておれにはいつも非道いじゃんか!」
怒鳴る声の合間にバラバラと床で音がする。
「ぼくが? いつ? キミなんかこの前も若手の女の子達を引き連れて飲みに行ったりなんかし
て! 連絡先を交換したこと、ちゃんと知っているんだぞ!」
「あれは森下先生の研究会に入りたいって言って来たから、それで連絡先教えただけだって!
仕事用のガラケーの番号しか教えて無いっての!」
「どうだか! 二階売店の佐々木さんもキミに食事に誘われたって言っていたぞ」
「佐々木さん今年62歳だぞ! どこまでおれのストライクゾーンが広いと思ってんだよ」
「わからないね、キミなら!」
声を張り上げて怒鳴りながらヒカルはアキラに、アキラはヒカルの顔面に思い切り豆をぶつけてい
た。
「昔っからキミは年上の女性に弱いじゃないか。昔、八重洲の加藤さんに憧れていたことだって、
ぼくは知っているんだからな」
「いつの話だよ、いつの。あれ、おれが16の時だろ。そもそもそういう意味で意識してたわけじゃ
ないし。単に優しいおねーさんだったんだって」
「その『優しいおねーさん』会いたさに、よく八重洲の指導碁を買って出ていたじゃないか!」
「あれは―」
ふっとヒカルの口調が弱まった。
手に持った枡に目を落とし、拗ねたように口を尖らせながら言う。
「あれは、加藤さんっていうよりも、あの頃よくおまえが八重洲に行ってたから」
ぼそぼそと語尾を濁すようなヒカルの言葉にアキラの勢いも一気に失せる。
「…そんな話、聞いたことも無い」
「あるかよ、今初めて言ったのに。とにかく、加藤さんは優しいし美人だし、指導碁に行くと美味い
菓子を出してくれるから好きだったけど、それだけ! おまえ目当てで行ってたのにどうして十年
以上も経ってそのことで責められなきゃなんないんだよ」
「それは――ごめん」
すっかり毒気が抜けたようになって、アキラも自分の持った枡に目を落とす。
「あー、もう、気が反れちゃったじゃねーかよ。仕切り直し、仕切り直し、5分休憩したらまた豆撒
き再開すっから」
「そうだね、それまでにキミへの怒りを充填させておくよ」
そしてお互いに豆入りの枡を持ったままリビングのソファにぼすっと倒れるように座り込んだ。
いつ頃から始めたのかわからない二人流の豆撒き。
それは日頃の鬱憤を吐き出して、相手に豆と共にぶつけることだった。
もちろんそこから大げんかになることもあるし、逆に甘い時間になだれ込む時もある。
今日がどちらになるかはわからないが、もし喧嘩になったとしても、今し方の事があるのでそう非
道いことにはならないだろう。
「…そういえば明日は帰り遅ぇの?」
所在なげに枡をいじくりまわしていたヒカルが、ふと思い出したようにアキラに尋ねた。
「明日? うん。指導碁があるし、その後久しぶりに囲碁サロンに行こうと思っているから少し遅く
なるかもしれない」
「珍しいじゃん。北島さんにでも泣きつかれた?」
子どもの頃は二人揃って入り浸っていたものだが、大人になり一緒に暮らすようになった今では
アキラが父親の経営する碁会所に顔を出す事は滅多に無い。
「違うよ。新しい受付の人が入ったって言うから様子を見に行こうかと思ってね」
ふうんと気のないような返事をした後で、唐突にヒカルが鋭く返した。
「女だろ」
「…え?」
「その新しい受付って、もしかしなくても女じゃねーの?」
「確かに…女性だけど」
「それでもって若いんだろ? そもそもおれ、新しい人が入るとかって話全然聞いてねーんだけ
ど」
「別にキミに話さなくちゃいけないことでも無いだろう」
「いーや、前一時的にオジサンが入った時はおまえちゃんと言ったもん。それを言わなかったっ
てことは、若くて綺麗でカワイイ女だからに決まってる」
どうせ明日は一緒に食事する約束にでもなっているんだろうとヒカルが言ったら、アキラは途端
にばつの悪そうな顔になった。
「これからお世話になる人だから…お父さんに頼まれたんだよ」
「だったらなんで最初から素直にそう言わないんだよ」
「こんなふうにキミが変に勘ぐるからだろう」
むっとしたようにアキラがヒカルを睨み付ける。
「だからって嘘言っていいことにはならねーよ」
「キミにだけは言われたく無いね」
「なんだとぉ!」
ヒカルの顔にもはっきりと苛立ちが現れた。
「まったくクソ可愛くねえ! 撒くぞ、豆!」
戦闘再開。
ヒカルは怒鳴るように言うと枡を持ってソファから勢いよく立ち上がった。
「可愛くなくて結構!」
アキラもまた険のある表情で枡の中の豆をぎゅっと握りながら立ち上がった。
「行くぜ、この嘘つき野郎!」
「望む所だ、この女たらし!」
「だれが『たらし』だ! このムッツリスケベ!」
「だったらキミは全身下半身で出来ているんだろう!」
言い合いは先ほどよりもずっと激しい。
投げられる豆も互いの気持ちを代弁するかのように激しくぶつかり、辺りに霰のごとくまき散ら
される。
「本当にキミって人はどうしようも無い! 呆れるよ!」
「そのどうしようも無い阿呆を好きなおまえも相当どうしようも無いっての。この馬鹿!」
「誰が馬鹿だ、馬鹿っ!」
「馬鹿馬鹿言うな、ひねくれ者!」
気合いを入れた一升枡の中身は随分減っている。それでもまだまだ豆は無くならないようで、
この日二人の豆撒きは深夜遅くまで続けられたのだった。
※痴話喧嘩です。はい。険悪なようで結局の所はラブラブです。自分のパートナーは男前で非常にモテるとそれぞれが思っているが故に焼き餅妬いてこうなります。
しかし一升枡、かなり大きいですよね。後で打つ時に指がぷるぷるしなければ良いのですが。2014.2.3 しょうこ