ごめんね
大切な物を持つように、その子は包みを両手で挟んで持っていた。
祈るように、そして何度も大きく深呼吸をして、それから真っ直ぐ歩いて行った。
「あの、進藤さん」
これ気持ちです、受け取って下さいと差し出された包みを進藤は呆れる程きっぱりと断った。
「ごめん、おれ好きな子いるから」
だから受け取れないんだと。
その瞬間その子がどんな顔をしていたのか後ろから見ていたぼくには解らない。
ひとことふたことやり取りがあって、やがて走るようにして去って行った。
「…で、おまえのその眉間の皺はどっちに対してのもんなんだよ」
少ししてぼくの元にやって来た彼は、溜息をついてからぼくの額を指で突いた。
「どっちって何が?」
「おれがあの子のチョコを受け取らなかったこと? それともおまえの目の前でチョコを貰いかけたこと?」
「どっちでも無い」
無愛想に言ってからぷいと顔を逸らす。
「だったら何で怒ってるん? おまえ、自分じゃ解らないかもだけど、今ものすごくコワイ顔してるぜ」
「…うるさい。人の顔なんだから放っておいてくれ」
突っぱねて行きかけるのをぐいと強く腕を掴まれる。
「待てって、これでこのまま帰るんじゃ無いだろうな」
折角のバレンタイン、スケジュールの帳尻を合わせてそれで待ち合わせしたっていうのに、怒った顔のま
んまでおれを残して帰るつもりじゃないだろうなと繰り返し言われて立ち止まった。
「今…正にそうしようとしていた」
「なんで?」
「さあ、なんでだろう…わからない」
待ち合わせたここに来るまではとても弾んだ気持ちだった。気恥ずかしさもあったけれど、散々うるさく言
われたので小さいけれどチョコレートもちゃんと用意してあった。
『メシ食って、茶ー飲んで、それからぶらぶら街ん中歩こう』
そしてその後はおまえが打ちたければ打ってもいいよと言われていたことも嬉しかった。
『でもそれ、ヤッた後な? 一回ヤッて、その後だったら明け方まで検討でもなんでもしてやるから』
『随分だな』
自分はそこまで囲碁馬鹿では無いと言いかけて、でも打ちたいのも本当だったので言葉を飲み込んだ。
ささやかだけれど幸せな予定。
けれどそれは彼にチョコレートを渡す少女を見ていたら、すっと冷めてしまった。
ああ彼は、あんなにも彼女が気持ちをこめた贈り物をあんなにも残酷に断れるのだと。
もちろん受け取ったなら自分は別な意味で傷ついている。
恋人である自分の目の前でよくもチョコレートを貰ったなと、正当なはずの怒りをぶっつけて、殴って帰
ったかもしれない。
けれど―。
「ごめん、なんだかよくわからないんだ」
「なんだかよくわからないことで、おれを残して帰っちゃうのかよ」
「だって」
だってあの子はあんなにも真剣だった。
柱の影から進藤を見て、決心をするまで随分かけた。
(それをあんなにもあっさり断ってしまって良かったんだろうか)
良かったのだと、自分のまともな理性は言う。
(でも)
ちくりと胸の奥が痛い。
もし。
もしも、あれが逆だったら?
祈るような気持ちで彼にチョコレートを渡して、それをきっぱり断られたらどんな気持ちがするだろうか。
好きな人が居るからおまえからは冗談でもチョコは貰えないよと、にこやかに、でも毅然とした態度で
拒絶されたら自分は一体どうするだろうか。
「痛かったんだ―とても」
「何が?」
「わからないけれど、体の奥が」
進藤がぼくのために残酷になれることが怖かった。
自分の存在が人の心を傷付けた、そしてこれからも平気で彼に傷付けさせて行く。
そのこともまた怖かった。
「だったらこれからはチョコは貰った方がいい?」
「――ダメ」
ダメだと、ぼくは彼の胸に飛び込むと呟いた。
「絶対にぼく以外の誰からもチョコを貰ったりしてはダメだ」
「…馬鹿だなあ」
だったらいいんじゃん。今のままでいいんじゃんかと。
そして進藤はぼくの頭をそっと撫でた。
「そんなことでおまえが傷つくこと無いのに」
これはおれが自分の意志でそうしているのだからと。
「でもぼくがさせてる」
「おれが好きでしてんだって」
ふわふわとした甘い砂糖菓子のようなお祭り騒ぎ。冗談と本気が入り交じった中で、それでも本気が混
ざるのだとしたらおれは絶対にそんなものは受け取れないと進藤は言った。
「だっておれが好きなのおまえだけだもん」
だから一生おまえからしか受け取らないと言われて泣きそうになった。
「…そんなに、いいものじゃない」
「それでもさ、ちゃんと持って来てるんだろう?」
だから早くそれを渡しておれを最高にシアワセにしてよと耳元にそっと囁かれて、ぼくは恥知らずにも頬
が赤く染まるのを感じた。
「本当に期待されるようなものじゃないけれど…」
それでもぼくの気持ちだけはこもっている。
たぶんあの少女よりもずっとたくさん。
「おれは『それ』がいいんだって」
「――うん」
ごめんね、でも彼はぼくだけのものだから。
彼女と彼女以外のぼくの知らないたくさんの彼女。
その人達を思いながら、ぼくは彼にチョコレートを渡した。
ミルク多めの上品な味と、買う時にお店の人は言っていたけれど、ぼくの毒が混ざったからきっと後味
は少し苦くなったことだろう。
「好きだよ」
「うん」
おれもおまえが大好きと言う彼の瞳はただひたすらぼくだけを見詰めていたので、ぼくは再び胸の奥が
痛むのを感じながらそっと「ありがとう」と返したのだった。
※基本、ヒカルはアキラ以外にはひどいです。友人を大切にするし、目上の人や親、世話になった人など全て大切に思っていてもいざとなった時に
それら全てを切り捨てられる。切り捨てようと思っています。アキラだけを選ぶ。
でも同時に、切り捨てた全ての人達に憎まれても恨まれても構わない。そのことでどんな『返し』が来ても引き受ける。そういう覚悟でいたりします。
201.2.14 しょうこ
いやー大雪バレンタインになっちゃいましたね。