うそつき
嘘をついてはいけないと子どもの頃から厳しく躾けられた。
人として最もやってはいけないことだと、最も恥ずべき行為だと目を見ながら語られて、ぼくは身に染みてそれを
刻んだし、決して嘘をつくまいと思ったものだった。
それが―。
「それで、進藤さんとアキラさん。二人して私たちにお話って何なのかしら」
4月の休日。久しぶりに日本に帰って来た両親に、ぼくと進藤はぼく達の関係を打ち明けようとしていた。
それというのも進藤が強くそれを望んだからだ。
『だってなんだかんだで今まで言わないで来ちゃったし、これ逃したらまた半年とか一年とか言わないままになる
だろう』
そうやってずるずると引きずるのはもう嫌だと彼はぼくに言ったのだった。
『でも、そんな短い時間で解って貰えるなんてとても思えない』
『そりゃおれだって解って貰えるなんて思って無いよ。でも話さなきゃ知って貰うことも出来ない。例え突っぱねられ
ても考えて貰うことは出来るだろう?』
一度でダメでも、二度、三度。解って貰えるまで何度でも話し合いをすればいいと進藤はとても強気だった。
実際、ぼく達が恋人として付き合うようになってから数年が過ぎており、忘れた頃に不意打ちのように襲って来るぼ
くの見合い話に進藤は辟易していたのだと思う。
その原因はぼくに『恋人』が居ないと両親が思っているからであり、居ると解れば今のように見合い話を持って来る
ことはなくなるだろうと言うのだ。
『でも話したら話したで、逆にもっと見合い話を持って来るかもしれないよ』
『それでもおまえが嫌だと言ったら結婚なんてさせられない。もう子どもじゃないんだから、望まない結婚を親が強要
なんて出来ないんだって』
今までは断りたくてもその理由を話せなかった。打ち明ければ少なくともそれは解消される。
『もういい加減ここらで決着つけようぜ? おまえんちが済んだらおれの親にも打ち明けて、それで時間かかっても
両方に認めて貰おう』
例え理解して貰えなくても自分達が恋人同士であることを知って貰いたい。それが進藤の気持ちだったのだと思う。
そこまで言われて断る理由はぼくには見つからず、渋々ながら進藤の提案を受け入れたのだった。
そしていざ当日。
ぼくは少し前から両親に進藤が両親に会いたがっていること、進藤とぼく二人から聞いて貰いたい話があることを
伝えていた。
両親の頭にあったのは、たぶん実家を出て彼と二人で暮らすことの承諾ぐらいだっただろう。
ぼくが実家を出たがっているのは薄々父も母も知っていたし、だったら一番仲が良い彼とというのが妥当だからだ。
約束の時間、進藤は対局時のようなスーツをきちんと着てやって来た。
ぼくはと言えば普段着のままで、そんな所にも彼との心構えの違いが現れているようで恥ずかしくなったけれど、進
藤は別に何も言わなかった。
こんな風に改まって来るのは初めてだったが、子どもの頃から家に出入りしていて進藤は両親の覚えも良い。
父も母も快く彼を家に上げ、茶と茶菓子で持てなした。
差し障りの無い世間話から始まって、いつ切り出すのかと思っていたら、突然湯飲みを置いて進藤が姿勢を正した。
「あの…、こいつから聞いていると思いますけど、今日はおれ達から先生達にお話ししたいことがあります」
来た―。
目で促されて彼の隣に座りながらぼくは顔から血の気が引いていくのを感じていた。
こんな年になってもまだ親が怖い。『良い子』から逸脱するのはぼくにとって非常に勇気がいることだった。
「あらあら、そんなに畏まって」
母は少し戸惑ったような顔になりぼく達の顔を交互に見た。予想していた『話』にしては空気があまりに緊張してい
たからだろう。
「それで…進藤さんとアキラさん、二人してお話って何なのかしら?」
取りなすように明るい声で母が言った瞬間、進藤がいきなり頭を下げた。
「先生、明子さん。おれ達愛し合っています。生涯を共に過ごすことをどうかお許し下さい」
よく通る声で一気に言って顔を上げる。進藤の顔は緊張で強ばっていたけれど声は堂々としたものだった。
「え? それは…」
母が父の顔を見、父がぼくの顔を見る。
まさか進藤がこんなにも直球に告白するとは思っていなかったのでぼくも思わず呆気に取られた。
「どういうことだアキラ」
しばしの沈黙の後、父が重い口を開いた。
「今の進藤くんの言葉はおまえの言葉でもあると思っていいのか」
父の姿は恐ろしい程大きく見え、ぼくはすっかり萎縮してしまった。
「ぼく…ぼくは…」
本来ならぼくは彼の言葉に重ねるように自分の気持ちを両親に伝えるべきだった。
彼を愛していること、だから女性とは結婚出来ないということ。生涯を進藤と共に過ごし死ぬ時も共に有りたい。
他の誰でも無く彼がぼくの伴侶であることをぼくは両親に告げるべきだった。
けれど声は喉の奥に張り付いて音にならず、唇は凍ったように動かなかった。
真っ青な顔に脂汗を浮かべるぼくを進藤は隣からじっと見つめていたけれど、途中でふっと苦笑したような顔に
なった。
あーあ、しょーがねえなあ。
まるでそう言っているかのように進藤は眉を寄せ、視線を目の前の湯飲みに落とした。
彼にはぼくが怖じ気づいた事が解ったのだ。
ここ一番の大切な場面で唯一の味方であるはずのぼくに裏切られ、彼は非道く傷ついたはずだった。
けれどすぐに視線をぐっと持ち上げるとさっきまでの緊張が嘘のように、ニッと悪びれない笑顔をその顔に浮か
べた。
「なんて――嘘です。嘘。先生ゴメンナサイ、全部おれの冗談です。ちょと日にちズレてるけどエイプリル・フール
って言うか…こんな風に言ったらちょっとは場が和むかなって」
「進―」
驚いて口を開きかけたぼくを進藤は一瞬の鋭い眼差しで制した。
「本当の『話』って言うのは台湾棋院への留学の話だったんです。先生前におっしゃってましたよね、その気があ
るなら向こうに話を通してくれるって。おれ、前から海外で勉強してみたくって、そうしたらこいつも同じだって言う
から二人でその相談をしたくて」
よどみ無くすらすらと進藤が嘘をつくことにぼくは驚いた。
心中穏やかでは無いはずなのにそれを微塵も感じさせず、あくまで自然に話を続ける彼の心臓に舌を巻いた。
蕩々と語る彼の語りに母はほっとした顔になり、逆に父はどんどん険しい顔になって行く。
「―ってことなんですが、先生、お願い出来ますか?」
「そういうことだったら幾らでも。ねえ? あなた」
母が話しかける声に父はろくに返事もしなかった。腕を組み、眉一筋動かさずにじっとぼくと進藤を見つめてい
る。
「アキラ」
やがて父が口を開いた。
「お前達の話したいことはどちらが本当なんだね。愛し合っているという話か、それとも留学のことか」
「それは―」
さすがに父は騙せない。射るような視線にぼくは体が震え出すのを感じていた。
『いいよ』
その時だった。進藤が聞こえない程小さな声で言った。
『いいよ、無理すんな』
それは隣に居るぼくだけに辛うじて聞こえる彼のささやきだった。
進藤はぼくに真実を話さなくて良いと言ったのだ。
激怒しても当然なのに、父に逆らうことが出来ないぼくの弱さを進藤は責めることなく許した。
『このまま冗談で通した方が―』
良いと。親を裏切ることが出来ないのだったら仕方がないと。それはぼくを充分に理解しているからこその諦
めだった。
血の気の引いたぼくの頬にゆっくりと赤みが戻る。
「ぼくは…ぼく達は…」
進藤が隣で目を見開くのが解った。
「ぼく達は愛し合っています。今の留学の話は彼の嘘です」
「アキラさん―」
母が悲鳴のような声をあげた。
「ぼくが怖じ気づいたから進藤は嘘をついたんです。ぼくが彼に嘘をつかせてしまった…ごめん」
「塔矢」
進藤の青ざめた顔にも血の気が戻って来た。
「アキラさん、あなたそんなこと」
「いいからおまえは黙っていなさい」
狼狽える母を一喝すると、父は今一度確かめるようにぼく達二人を見つめ、それから言った。
「私は嘘が大嫌いだ。嘘をつくのは人間として最も恥ずべき行為だと思っているし、アキラにもそう教えて来た」
「すみません」
進藤が深く頭を下げる。
「けれどそうさせたのはアキラだったようだな。約束を違えるのもまた人として最低な行いだと私は思う」
父の声の一つ一つがぼくを鞭打つように響く。
「今一度尋ねる。お前達が今日私達に話したいということは一体なんだったのか」
「おれ達愛し合っています。本気です」
すかさず進藤が言った。
へらりとした笑いはもう顔のどこにも無く、この部屋に通された最初と同じにピリッとした緊張に包まれている。
「アキラは?」
「進藤が好きです。彼以外の誰も好きになんかなれない」
喉の奥につかえていたものが一気に消え去ったように楽になった。
もう二度と彼に嘘なんかつかせてはいけないと突き上げるような熱い気持ちでそう思った。
「すぐに許して貰えるとは思っていません。でも許して貰えるまで諦めるつもりもありません」
「お願いします。おれにどうか塔矢を下さい」
深く、深く進藤が頭を下げる。それに習ってぼくも深く頭を下げた。
「…馬鹿者が」
これ以上無い程苦い呟きが父の口から漏れた。
「お願いしますおれ達―」
愛し合っているんですという進藤の言葉を聞きながらぼくはゆっくりと顔を上げた。
父は鬼のような顔で拳を振り上げ、正にそれを振り下ろさんとしていた。
進藤はそれを瞬きもせずに見つめたまま避けようともしない。ぼくもまたそんな父を怖いとは思わなかった。
どんな痛みを受けたとしてもそれに怯む子供はもういない。
ぼくは『良い子』を脱ぎ捨てて、やっと大人になれたのだった。
※たぶん皆様がエイプリルフールSSと言われて思い浮かべた話とはちょっと違っていたのではないでしょうか。
アキラはとても強い人だけれど肉親への情が弱点です。ヒカルは小さい頃からやりたい放題言いたい放題してきたので親にも耐性がありますが
塔矢家は無いので色々キツいことでしょう。
この後二人ともぼっこぼこにぶん殴られて家から追い出されて、でもヒカルが言うんです「また来ます!」って。2014.4.8 しょうこ