さよならだけが人生だ



さよならという声に目が開かれた。

起きあがると部屋にはもう誰もいなくて、靴を履くのももどかしく慌てて玄関から飛び出した。

寝起きのはっきりしない頭で階段を駆け下りて転びそうになり、それでもなんとか建物の外に出たら
離れた所に見覚えのある背中が見えた。



「待って!」


塔矢待ってと声の限りに叫んでから、泣き出したいような気持ちで追いかけた。


「塔矢っ!」


よろけるようにしてぎゅっと肩を掴むと驚いたように塔矢が振り返った。


「進藤…どうして」


きょとんとした顔に本気で涙が出そうになり、思わずその場に座り込む。


「だって…おまえ」


だって『さよなら』って言うからと切れる息でようやく言ったら塔矢もゆっくりと腰を落とした。


「あれは、別に。よく眠っていたから起こさなかったけれど、ぼくはもう帰らなくちゃだったから」

「だからって…なんでっ…さよなら…なんてっ。まるでエイエンのお別れみたいじゃないか」


おまえが行っちゃう。おれのことを置いて行っちゃうって、それで慌てて追いかけて来たのだと言ったら絶
句された。



「キミ…」

「もう言うなよ。もう二度と言うなよ、おれに」


おまえから、さよならなんて一生絶対聞きたくなんか無いんだからと自分でも言っていることが支離滅裂だ
ということはよく解っている。


でも眠っていた意識を一気に現実に引き上げるくらい、あれは胸に堪える言葉だったのだ。


「ごめん、本当にそんなつもりで言ったんじゃなかったんだ」

「それでも…びっくりした」

「もう言わないよ、絶対」


そして同じ目線で座り込んでいる塔矢は、そっとおれの頭に手を置くと痛ましそうな顔で言った。


「前にもそうして置いていかれたの?」


言われた瞬間、ぐっと仕舞い込んでいた記憶が持ち上がって来た。

あの日―。

良く晴れた5月のあの日に。


「…さよならすら言って貰えなかった」

「そうか」


わかったと、塔矢は言っておれの頭を優しく撫でた。


「もう二度とキミにさよならなんて言わない。こんな風に寝ている間に帰ったりなんかしない」


もう二度とこんな思いはさせないからと、髪を梳くように指が動いた。


「ごめんね。無神経で」

「違う、おれが―」

「違ってなんかいないよ。大丈夫」


ぼくはキミを置いて行ったりしないからと囁いて、塔矢はおれをいつまでも慰めるように撫でたのだった。



※もうね今ぐらい年月が経ったら、たぶん穏やかに過ごせるようになっていると思うんです。痛い思い出だけど、どこかに消えたり
閉じこもったりしないで、こども囲碁大会の仕事も受けたりなんかして忙しく過ごすようになっていたりすると思うんですよね。
それでもふいをつかれると弱い時もあるかもしれない。そんな話です。20140505 しょうこ