一人勝ち




『キミのことが好きだよ。キミのいない世界を思うだけで、ぼくはもう生きていけない気持ちになる。

そのくらいぼくにはキミが必要だ。

生まれて来てくれてありがとう。

キミがこの世に居ることをぼくは心から感謝する。愛しているよ』


誕生日おめでとうと打った所でアキラは大きく一つ息を吐いた。



「…こんなメール、とても進藤には見せられないな」


苦笑したようにぽつりと呟いて、それから全文を消去するために指を動かした。

毎年、誕生日が来るたびにヒカルはアキラにおめでとうメールを催促した。


『なんでもいいから送ってくれよ』


嫌だよときっぱり断り続けたのはもちろん恥ずかしいからで、会えばちゃんと言葉で『おめでとう』と祝福している。

けれどそれでもヒカルはしつこく欲しがるのだ。


『だって好きでも無い野郎共からはたくさんお祝いメールが届くのに肝心の恋人から来ないっていうのはどうなん
だよ』



ひとことでいいんだよ、おめでとうってただそれだけでいいからさとヒカルの言うことはもっともなのだが、それでも
アキラが拒み続けてしまうのは、お祝いメールを打とうとするとどうしても気持ちが文面に籠もってしまい、読み返
した時に身もだえするような恥ずかしいものになってしまうからだ。



(簡素でいいんだ、簡素で)


そう自分に言い聞かせても、仮にもヒカルの誕生日にそんな味も素っ気も無いお祝いなど言えないと思ってしまう。

だったらさじ加減を考えて適度な文にすればいいようなものなのだが、充分押さえたつもりでも冒頭のような文章
になってしまうのだった。



(結局ぼくは進藤のことが好き過ぎなんだ)


だからこんな愛情を盛り込みすぎた変なメールになってしまう。


「…こんなの進藤が見たら大変だな」


きっとヒカルは有頂天になるだろう。何故ならアキラは滅多なことでは自分の気持ちをヒカルに示すことが無かった
から。


ありがとう、最高に嬉しい。一生の宝にするからとか何とか言ってアキラがどんなに頼み込んでも消去することをせ
ず、困ったことには本当に一生大切に持ち続けそうだ。


その上始末が悪いことには、アキラが恥ずかしさと自己嫌悪で死にそうになるのにも関わらず、一言一句忘れるこ
と無く、ことある事にそれを持ち出して来そうなのだった。



(冗談じゃない)


そうで無くても碁以外では全く勝てる気がしないヒカルに、これ以上弱みを見せたく無くてアキラはずっとメールを消
去し続けて来た。


けれどこの時、ふと指が消すのを躊躇ってしまった。


(…それでも、これがぼくの本心だから)


ヒカルが好きで、好き過ぎてどうしようも無く溢れてしまう。その現れがメールとして綴られた、ひとことひとことだった。

たぶん直接言うことは絶対に無い自分の気持ちを改めて見つめて、アキラは泣きたいような気持ちになった。


「キミに言えたらいいんだけれどね」


そう思ってしまうのは、ヒカルの方はいつもアキラに対してストレート過ぎる程気持ちを伝えてくれるからなのだった。


『好きっ』

『大好き』

『おまえのことが世界一大事』


心から愛しているよと、何度言われたか解らない言葉を今更ながらに噛みしめる。

いつか、こっそりと打ったこのメールの半分でもヒカルに伝えられたらいいなと、そう思いながらアキラは消去するた
めにボタンに力を入れようとした。その時。



「何やってんの?」


いきなり肩越しに手元を覗き込まれてアキラは思わずひっと声を上げた。

声の主はもちろんヒカルで、いつの間にか近づいて来ていたらしい。


「なっ、何って、べっ、別にっ」

「あ、ごめん。びっくりした? でもさっきからずっと声かけようと思って待ってたんだけど、おまえ壁向いたまま、ちっ
ともこっち向かないしさぁ」



そう、アキラは棋院の一階の片隅でさっきからの逡巡をしていたのである。


「何? メール? 誰に?」

「だ、誰って―」


キミには関係無いと言いかけた時、どこかで間の抜けた電子音がした。


「ん? なんかおれメール来たみたいだなあ」


ごそごそ服のポケットを探ってヒカルがスマホを取り出すのを見ていたアキラは、はっとして自分の手元を見た。

そして瞬時に真っ青になる。


(送信している)


声をかけられて驚いた時にうっかり指が触れてしまったらしい。

消去するはずのメールをなんの間違いか送信してしまったようなのだ。それは正に今ヒカルが確認しようとしている
もので―。



(死ぬ、あんなものを進藤に見られたらぼくは死ぬ)


アキラはヒカルの手からスマホを引ったくると、そのまま力一杯棋院の床に叩きつけた。


「わっ、何すんだ、おまえっ!」


ヒカルが悲鳴のように言うのと、スマホの本体にひびが入り、液晶部分が大きく割れて画面が消えたのとが同時だ
った。



(よ………良かった)


ほっとしたあまり脱力して座り込むアキラの前で、ヒカルはいきなりの不幸に呆然としている。


「うわ、ひでえ、完璧に壊れてる……おれ、なんかおまえの気に障るようなことしたかよ?」


したよ、したとも、いらぬことをしてくれたよとアキラは心の中で思いつつ、けれど言葉に出してはこう言った。


「ご、ごめん。でもキミ、今日誕生日だっただろう?」

「誕生日とこの狼藉とに一体何の関係が」

「新機種に替えたいって言っていたじゃないか。だからそれをプレゼントさせて貰おうかなって」

「だからって今のを叩き壊すか? 普通」

「あ、後腐れ無いようにと思って」


我ながら苦しい言い訳だとアキラは思った。案の定ヒカルは不審そうに、アキラと壊れたスマホを交互に見やっ
ている。



「……まあ、おまえが突拍子の無いのはいつものことだけど」

「いいじゃないか。キミ欲しいのがあるんだろう? そうしたらぼくもお揃いで同じのを持ってもいいと思っているし」

「え? そうなの? おまえスマホ嫌いじゃ無かったっけ」

「そうだけど、でも別に構わないよ」


ヒカルがこれ以上自分の奇行を問い詰めないでくれるならなんでもいいと、アキラは必死な思いでヒカルの目を見
つめながら言った。



「なんだったら、キミがずっとやれって言っていたツイッターとラインを始めてもいい」

「マジ? だったら買う! 買って貰う! おまえとお揃いな?」

「うん、今日の手合いが終わったら一緒に買いに行こう」

「うんうん、やったー!」


ぱっと嬉しそうな笑顔になったヒカルの頭の中からは、壊れたスマホへの未練とそれを叩き壊したアキラの行動の
疑問は綺麗に消えて無くなったようだった。



(良かった)


本当に良かったと胸をなで下ろしながらも、胸の中には一抹の後ろめたさが残っている。

自分の気持ちを知られたくが無いためだけに、アキラは何の不備も無かったヒカルのスマホを壊し、嘘までついて
しまったのだから。



「ごめんね」


小さな声で呟いて胸の中で誓う。


もう二度とこんなことが無いよう自分の心の内をどんな物にでも明かすのは止めようと。

そしてせめてもの罪滅ぼしに、今日は誕生日の分も含めてヒカルをいつもの何十倍も目一杯甘やかしてやろうと
そう誓ったのだった。




※本体叩き壊してもデータは残っていますから! そしてヒカルもそれを解っていますから! 結局ヒカルが一人で得をした誕生日ということなんでした。
アキラのメールは予想通りその後ヒカルの大切な宝物となります。
2014.9.20 しょうこ