進藤ヒカル誕生際10様参加作品
lotus
「本当にこれでいいん?」 火を灯した蝋燭を手に、ヒカルはゆっくりと暗いバスルームの中に入って行った。 「こんな小さいのだと、大して明るくならないんじゃねーの?」 「いいんだよ暗くて。ほら、そのくらいの方が雰囲気があっていい」 答えるアキラはバスタブの中で、温かい湯に身を浸している。 白濁した湯はアキラが中で身動きをするたびにゆらりと揺れて、甘い花の香りが立ち上った。 「いい匂い。何これ」 「ロータスって書いてあったから蓮じゃないかな」 「へえ、蓮ってロータスって言うんだ」 「うん。前にお母さんから貰ったんだ。台湾で買った入浴剤だって」 ヒカルは蝋燭をバスタブの側の出窓の所に置いた。窓は小さなルーバー窓で、僅かに開けられたガラス の間から涼しい風が流れて来ている。 「おれも入ってもいい?」 おずおずと問うヒカルにアキラが可笑しそうに笑った。 「何を今更。裸で風呂に入って来てキミは何をするつもりだったんだ」 「や、だってやっぱりなんかこういうの照れるじゃん」 笑われて拗ねたような顔をしたヒカルは、けれどアキラに手を差し伸べられて嬉しそうにすぐにその手を 握った。 「きっ………………………もちイイ〜」 そっと足から湯に入り、それから思い切りよく胸まで沈む。同時にざっと音をたてて湯が大量にこぼれた けれど、ヒカルは構わず気持ち良さそうに目を細めている。 「あー、もう極楽。風呂なんか毎日入ってるけど、今日のは特別、すっげ気持ち良い。最高」 「だから言ったじゃないか。なのにキミは文句を言って」 「だって一緒に風呂入るのに、えっちはしちゃダメとかつまんないこと言うからさぁ」 「仕方無いだろう。蝋燭を使うからには窓を開けておきたいし、そうすると音っていうのは結構上下に響く からね」 二人の住むマンションは八階建てで部屋は五階の角部屋になる。間取り的に風呂はどことも隣り合わ せになっていなかったが用心するに超したことは無い。 「おまえ、一人の時ってよくこうやって明かり消して風呂に入ったりすんの?」 湯の面に映る蝋燭の炎を手で揺らして遊びながらヒカルが尋ねた。 「まさか。こんな面倒なこと自分のためだけになんか絶対にしない」 それをどうしてやったかというと今日がヒカルの誕生日だったからだ。 『もうすぐキミの誕生日だけれど何かして欲しいことやしたいこはあるか?』 少し前アキラがそう尋ねた時、ヒカルはしばし考えてから『気持ちイイことがしたい』とスケベ心満載で言 った。 『誕生日って言ってもどうせ昼間は和谷の研究会じゃん? だから夜におまえと気持ちイイことがしたい な』 それにアキラは心持ち眉を顰め、けれどあっさり『わかった』と言った。 あまりにあっさり言ったので聞き流されたなと思ったのだけれど、思いがけず当日の夜、和谷宅から帰 って来た所でアキラの方から言ったのだった。 「それじゃ一緒にお風呂に入ろうか」 同居してもう随分経っているというのに、実はヒカルはアキラと二人で風呂に入ったことがあまり無い。 別に拒まれたからというわけでは無く、単に中々そういうタイミングにならないからだった。 地方での対局が入ると平気で一週間、二週間顔を合わせない時もあるし、そうで無くても帰って来る時 間が違う。 『する』前に一緒にシャワーを浴びることはあるけれど、それはもはや行為の一部になってしまっている し、事後だともっぱらヒカルがアキラを洗ってやるというような感じでこれもまた入浴という雰囲気では無 い。 だから改めて一緒に入ろうと言われた時にヒカルは素直に喜んだし、次に「でも、中でするのは無しだ。 本当に単にお風呂に入るだけ」と言われて大層クサったのだった。 『なんでだよ〜、風呂なんか入ったら絶対その気になるに決まってんじゃん』 なのにお預けをくらうなら一緒に入る意味など無いと思ったのだ。 『そんなこと言わずに入ろう? キミのリクエスト通り気持ち良くしてあげるから』 『…口でしてくれんの?』 『そういうことはしないって言っただろう』 『じゃあいいよ別に。風呂なんか一人で入ったって二人で入ったって同じだし』 それを何とか言いくるめてアキラは一緒に入ることにしたのだった。 「前からやってみたかったんだ。こんなふうに明かりを消して暗い中でお風呂に入るっていうの」 ちゃぷと音をたてて、アキラが両手でお湯を掬う。指の間から流れ落ちる湯はやはり蝋燭の炎でキラキ ラと光っており幻想的で美しかった。 「香りの良い入浴剤を使って蝋燭を灯して、キミと二人でゆっくりと、ただお湯に浸かるっていうのをずっ とやってみたかった」 「そんな風に言われたら、おれががっついた野獣みたいじゃん」 「そんなことは…言っているかな?」 あははとアキラは声をあげて笑った。 「そういうのも別に嫌いじゃない。むしろ好きだよ。ぼくだって聖人君子じゃないからね。ただ、キミに気 持ちがいいことがしたいって言われた時、こういうのがいいかなって思ったんだ」 ほら、手を貸してと言われてヒカルはアキラに右手を差し出した。それをアキラは優しい仕草で両手を使 ってマッサージしてやる。 「どうだ? これでもまだ文句があるか?」 「うーん、まあやっぱりちょっと納得いかないけど、でも滅茶苦茶気持ちイイからいいかな」 そう言ってヒカルは苦笑のように笑った。 そのまましばし沈黙になる。 バスタブは賃貸の物にしては珍しく、充分二人が入れるほどに大きかったけれどやはり肌は触れあう。 向かい合う形で入っている今は互いの足を挟み込む形になっていて、マッサージするために近づいた今 はあらぬ所も肌に触れる。 身動きして擦れるたびに付け根の辺りがこそばゆくなり、我慢するのが辛くなって来た。 「なあ…確かにこれすごく気持ちイイんだけどやっぱ――」 言いかけるヒカルにアキラが微笑んで言った。 「そういえば冷凍庫にハーゲンダッツが入っているんだ。キミの食べたがっていた新しい味のヤツ。まだ 食べていないんだろう?」 「……う」 「それからお風呂に入りながら飲んだら美味しいかなって、奈良の蔵元から大吟醸を取り寄せてある。 幻の銘酒と呼ばれているお酒だよ」 あれを冷やで飲むのはさぞ美味しいだろうなと言われてヒカルの目は彷徨った。 「それから小腹が空いたらと思って、昨日の内にデパ地下でチーズを数種類とローストビーフを買ってあ るんだ。あれはきっと大吟醸にもよく合うと思うんだけれどね」 「おまっ……おれ、なんか誕生日なのにすげえイジメされてる気分なんだけど」 ヒカルは恨めしそうな顔でアキラを見つめた。 「それってだって、『せっかくの雰囲気をぶち壊すならご馳走はお預けだ』ってことじゃねーの?」 アキラは微笑んだまま答えない。 「それとも、『ぼくかご馳走かどちらか選べ』的なことなんかな」 その場合ちらりとでもご馳走に未練を示したら、当分の間アキラには触れさせても貰えなくなるのだろ う。 「いや、そりゃおれだってこんな風におまえとゆっくりのんびりしたいって! 気持ちイイしおまえ優しい し! でもやっぱどうしたってそーゆー気持ちになるし、そんな美味そうなもんのことばっか言われたら 食いたいとかも思っちゃうし。もしかしなくても、こうしてぐるぐる葛藤するおれを見て楽しんでる?」 「まったく…」 情けない顔になったヒカルをしばらく見つめた後、アキラは大きくため息をついた。 「キミの中のぼくはどれ程非道いんだろうね? もちろんそうして困っているキミを見るのは可愛くて好き だけれど、お誕生日様にそんな意地悪をするつもりは無いよ」 「だったらなんで!」 試すようなことを言うんだようとヒカルが唇を尖らせると、その先端をアキラはつんと突いて立ち上がっ た。 一人分体積が減ってお湯の位置がぐっと下がる。 「全部って言う選択肢はキミの中には無いのか?」 体から水滴を滴らせながらアキラは手を伸ばして、そっとルーバー窓のハンドルを回した。 少しだけ空いていた窓はぴったりと閉まり、それまで流れ込んで来ていた風もピタリと止まる。 「何? 閉めるん?」 「そう。音が漏れるからね」 そしてまだ揺らめいている蝋燭を手に取ってふっと軽く吹き消した。 「―前戯は終わりだ。これからもっとキミを気持ちよくしてあげる」 ぐっと前屈みに顔を近づけられてヒカルは思わず仰け反った。 「…え? や……ナニ? 冗談」 「なんだ意気地なしだな。キミが望んでいたことじゃないのか?」 「や…でも、…え? いやいやいや、マジ?」 ぴちゃんとアキラから滴った水滴が音をたてた。 「本当はするつもは無かったんだけれど、キミを見ていたらぼくもその気になった。それに何と言っても 今日はキミの誕生日だものね」 ご馳走責めにするのも悪くは無いんじゃないかと思ってと、唇の端を持ち上げて笑うアキラの笑みはぞく りとするほど妖艶だった。 「雰囲気のある気持ちの良いお風呂と、美味しいお酒と料理とデザート。それにぼくって言うのはどう だ?」 滑らかな肌がすぐ側にある。 ヒカルは唾を飲み込むと躊躇いがちに、アキラの体に指を伸ばした。 「…メインディッシュ?」 「さあ、どうだろう」 キミ次第じゃないかなと言われて、ヒカルは弾かれたようにアキラの体にしがみついた。 「食う! 全部」 濡れた腹に頬をすり寄せ、勃ち上がりかけているアキラのモノにそっと舌を這わせた。 「…そうだ、ケーキもちゃんと買ってあるから」 肩を震わせ乱れる息を抑えながらアキラが言うのに、ヒカルは飢えたような舌の動きを止めた。 「最高」 でもやっぱりおまえが何より美味いよと囁きながら、ヒカルは今日一番のご馳走を心ゆくまで堪能するた め、アキラの体をゆっくりと甘い香りのする湯の中に沈めたのだった。 |