冬桜
冬の休日、塔矢と二人で海の近くの公園に行った。 少し足を伸ばせば遊園地や水族館があるのだけれどそちらには行かず、葉を落とした木々が立ち並ぶ 公園の中だけをのんびりと歩いた。 昨日、一昨日と寒い日が続いたけれど今日は日差しも温かく穏やかで、だからなのか海に続く道には子 ども連れが多い。 「気持ちいいね」 辺りを見回して塔矢が言う。 「真冬の公園なんてどんなものかと思ったけれど、空気は澄んでいるし、静かだしいいものだね」 遠く木々の向こうにはせり出すように観覧車が見えるし、海辺からは遊んでいる子ども達の声が聞こえ てくるけれど、公園自体が広いのでほとんど気にならない。 中心から外れるとそれはより顕著で、駐車場近くの桜並木に至っては時折ランナーが走って行くくらいで ほとんど人の姿が無かった。 「少し休んで行こうぜ」 並木の中程まで来た所でベンチを見つけて塔矢に言う。 「なんだ、もう疲れたのか情けない」 憎まれ口をききながらも塔矢の顔は笑っている。何か言った時に素直に返さないでわざとそういう言い 方をするのは照れ隠しなのだと今はもうよく解っている。 「別に疲れちゃいないけどさ、散歩ってそうせかせかするもんじゃないだろ? 折角気持ちイイ所に来た んだったら景色でも見ながらゆっくりしようぜ」 数はどれくらいあるのだろう、解らないくらいのたくさんの桜が目の前にも背後にも道を挟んで広がって いる。 「おまえ、コーヒーと紅茶どっちがいい?」 これは解っていても一応聞く。普段紅茶が好きでも時にはコーヒーが飲みたくなる時だってあるだろうか らだ。 「煎茶」 「ねえよ」 苦笑しながら背負っていた斜め掛けのバッグから紅茶の缶を取り出して塔矢に渡す。 並木道に入る少し前に見つけた自動販売機で買っておいたのだ。 自分にはコーヒーで、本当は無糖がいいのだけれど塔矢が飲むかもとカフェオレにしたのを取り出した。 持てない程では無いけれど、まだ充分に缶は熱い。 それを包み込むように両の手で温かさを楽しんで、それからプルを引いて口に運ぶ。 「美味ーっ」 「…美味しいね」 塔矢が静かに言った。 少し前屈みになって缶を両手に包んでいる塔矢の顔は口元が笑っている。 「不思議だね」 「何が?」 「そんなに都心から離れているわけでも無いのに、ものすごく遠くに来たような気持ちになる」 確かに見渡す限りの冬枯れの並木としんとした静けさは都会のそれとはかけ離れている。 「来し方、行く先。もしかしたらぼく達の歩いている道はこんな感じなのかもしれないね」 意外なことを言われて改めて自分の左右を見る。 重なり合う枝と枝。地面にも草はほとんど生えていなくて見える色はほとんどが茶色か灰色だ。 「そうだな。確かにちょっと寒々しいかもしれないけど、おれはこういうの嫌いじゃないぜ」 「ぼくも嫌いじゃないよ。むしろ…好きかな」 塔矢は言うと顔を上げて紅茶の缶を口を運んだ。 両手で包んだまま飲むその格好は、大人びて冷製な普段の塔矢とは妙に一致しなくて、可愛らしい。 たぶんこれが一番奥底にあるこいつの素なんだろうなと微笑んだら睨まれた。 「寒いからだよ」 「おれ、何も言って無いじゃん」 「言わなくてもキミは感情が顔にモロに出るから」 特にくだらないことを考えている時にはその傾向が大きいと言われてまた笑った。 「いいじゃんか、素直で」 「自分で言うか?」 呆れたように言って、でも塔矢も笑った。 「背筋が伸びる。こういう中に居ると引き締まるようで気持ちがいいよ」 花も無い。 葉も無い。 見えるのは見渡す限りのモノトーンの世界で、鮮やかな色は何一つ無い。 「でもさ、春になれば咲くんだぜ、花」 「当たり前だ」 「当たり前? おまえ意外に楽観主義者なんだな。例えば明日、誰かの煙草の不始末でみんな燃えて 無くなっちゃうかもしれないし、そうでなくても桜って病気になりやすいんだろう? うちの祖父ちゃん言っ てたぜ。だから面倒見るのが大変だって」 「キミこそ意外だ。そんな悲観主義者だったなんて」 「別に悲観主義ってわけじゃねーよ。ただ、明日も在ると思っていたものがいきなり今日無くなるかもし れないって知ってるだけだ」 しばし会話が途切れ、静寂な空気だけが横たわる。 「…それで、だから?」 「ん?」 「さっき言いかけたこと、別にキミのそういう厭世観について話したかったわけじゃないんだろう」 「ああ、うん。だからさ、春になってこの桜がみんな綺麗に咲く頃になったら見に来ようぜって」 塔矢が目をまん丸に見開いておれを見た。 「それだけ?」 あんな含みのある話をしておいて言いたかったのはそれだけなのかと、塔矢は本当に驚いたような顔を した。 「悪いかよ、でも本当に言いたかったのってそれだけだし。なあ、マジで春になったらもう一度一緒にここ に来ないか? きっとものすごく綺麗だと思うぜ」 塔矢はまだびっくりしたような顔のまま、おれをしげしげと見つめた。 「それは…来たいとは思うし、きっと綺麗だろうと思うけれど、でもその頃棋戦が入っていたら一緒になん て無理だろう」 その証拠におれ達は棋院のある市ヶ谷の桜でさえ、ここ数年ゆっくりと眺めたことが無い。 駅前のスクランブル交差点を渡りながら、風に吹かれて来る花びらに咲いている並木を横目で見ながら 通り過ぎるだけなのだ。 「まあな。今年の春、っていうのはもしかしたらダメかもしれないな」 「だったら―」 「それでも春は来年も来るしさ、桜だってきっと咲くんだろうし」 そのいつかにおまえともう一度ここに来て一緒にこうやって桜が見たい。それがおれの目標だと言ったら 塔矢の目尻がゆっくりと下がった。 「キミ、さっき言ったことと矛盾しているみたいだけど?」 「だから言っただろう。別におれは悲観主義者じゃねーって。ただ、そういうこともあるって言っただけで さ、本来滅茶苦茶ポジティブなんだよ」 悲観か楽観かどちらだと言われたら筋金入りの楽観主義者だと言ったら塔矢はいきなりはじけたように 笑い出した。 「そうか、うん。そうだね」 キミはそういう人だよねといつまでも可笑しそうに笑っている。 「で、どうなんだよ。おれと桜見に来る? 来ない?」 笑い止んだ塔矢は、でもまだ微笑みながらおれを見た。 「その桜はどうしても絶対にぼくと見たいのかな」 「おまえとしか見たく無いよ」 おれの答えに静かに頷く。 「そうだね、ぼくもキミとしか見たく無い」 思い出したように缶を強く握り一口紅茶を飲んでから、塔矢は顔を寄せておれに言った。 「見に来るよ。春になったらまた来よう」 約束と、微かに紅茶の香りがする吐息を塞ぐようにおれは塔矢と口づけた。 枝を透かして日差しが漏れる。 そうしてからおれ達はお互いの体にもたれるようにして、改めてゆっくりと枯れた桜の林を眺めたのだっ た。 |