甘くて苦い



合い鍵を使い部屋に入ると、アキラはリビングのソファにどっかりと腰を下ろした。

灯りも点けず、でも外から入って来る光で結構室内の様子は見て取れる。

(散らかっているな)

2、3日、いやもっと掃除をしていないのだろう。ヒカルが借りているマンションの室内はあちこちに物が
出しっぱなしになっている。


それらを眺めながらアキラは下げて来た鞄から小さな箱を取り出してゆっくりとその包装を解き始めた。

最初に華やかに結ばれたリボンをするりと解いて、それからシックな色合いの包み紙を外す。中から出
て来た紙箱の蓋を開けた瞬間、濃厚なチョコレートの香りと洋酒の香りが混ざり合ったものがぱあっと
辺りに広がった。


(甘ったるい)

香りだけで甘さに酔ってしまいそうだった。

この香りはヒカルが帰って来るまで残っているだろうか? 地方に行っているヒカルは戻るのは深夜にな
ると言っていた。


それまでにはたぶん香りは飛んでしまっていることだろう。別に嗅がせたいわけでもなんでも無いしどうで
もいいと思った。


ソファの背に寄りかかること無く、ぴんと背筋を伸ばしたまま、アキラは宝石のように箱に収められたチョ
コレートを一つつまんで口に入れた。


反射的に眉を寄せながら、それでも何度か租借して無理矢理喉の奥で飲み込んだ。

「…甘い」

思わずため息が漏れる。

売っている物の中では一番甘く無さそうな物を選んだつもりだったのに、既に胸が焼けそうだ。

そもそもアキラは甘い物が好きでは無い。嫌いと言ってもいいと思う。

ヒカルは和洋問わず甘い物が大好きで、そのくせ酒もかなり飲めるという大邪道だが、アキラはチョコレ
ートなど一生食べなくても良いとさえ思っていた。


(なのに猫も杓子も…)

混雑していた売り場を思い出してアキラの口はへの字に曲がった。今更ではあるが、よくもまあ、あの中
に混ざって買ってこられたものだと思う。


沢山の女性の中でもみくちゃにされて、立ち上る熱気に当てられた。

浮かれきった空気の中で男はいかにも悪目立ちしそうだが、ヒカルのような甘い物好きは案外居るらしく、
買い物をしている男の姿が何人か見られたのは少しばかりの救いだった。


一つ、また一つとチョコレートを口に運びながら、アキラは険しい顔で改めて部屋の中を見渡した。

床の上に雑誌。サイドテーブルの上には飲みかけのマグカップ。少しだけ開いているカーテンの下の方
のたぐまりは、たぶん脱いだ靴下でも丸めて転がしてあるんだろう。


フローリングには埃も溜まっているはずで、幾ら一人暮らしだからと言ってだらしなさ過ぎるだろうと思った。

けれど同時に頭の隅ではヒカルが決して望んでそれをしているわけではないことも知っていた。

この一、二週間くらいは部屋で寝て起きるくらいしか出来なかっただろう。それくらい棋戦が立て込んで忙
しいはずだったからだ。


「…それでも少しは掃除くらいしろ」

ぽつりと呟いてからアキラは目を閉じて、初めてソファに身を沈めた。柔らか過ぎず、でも固すぎない背も
たれはどことなくヒカルの腕を思わせる。


「こんな甘いもの、好んで食べる者の気が知れない」

誰に言うでも無く再度呟いて、それからアキラは薄く目を開いた。

静かな闇が心地良い。

ヒカルの留守にヒカルの部屋を侵している。それがアキラの心の奥底に、ほの暗い喜びをもたらしていた。

「キミなんかいっそ、もう帰って来なければいい」

そしてすぐに言い直す。

「…嘘だ、すぐにでも帰って来てくれ」

アキラは息を吐くと起き上がり、手の中の箱からチョコレートの最後の一個を取り出した。

指でつまんだそれを毒でも見るかのように眇めた目で見つめて、それから口の中に放り込む。

「…やっぱり甘い」

甘すぎて気分が悪いと苦々しく思いながら、おもむろにソファから立ち上がった。

解いたまま放りっぱなしにしていたリボンと包み紙が足に触れ、カサリと乾いた音をたてたけれど一顧だ
にしない。


黙って持っていた箱だけを隅にあるゴミ箱に捨てて、そしてアキラは部屋を一人出て行った。


ヒカルが帰ったのは翌日の昼過ぎだった。

前日の深夜に戻るはずだったのが、なんやかやで予定がズレて結局泊まって来ることになったからだ。

荷物と疲労で重たい体を引きずるようにして鍵を開ける。

留守にしていた部屋独特の籠もったような匂いの中、ほんの一抹ほどの違和感を覚えて思わず足下を
見る。


三和土に自分の物以外の靴は無い。

けれど何やら解ったようで、口元を複雑な形に緩めながら中へと上がった。

カーテンを閉めて行ったので薄暗いが、それでも散らかった部屋の有様はよく見える。

出掛けた時とほとんど寸分の違いも無い散らかり具合だ。

放って行った雑誌も脱ぎ捨てたままの服もたぶん一ミリも動いていない。

けれどヒカルはほぼ確信を持ってリビングのソファに向かうと、前夜アキラが座っていた場所に迷いも無
く腰掛けた。


カサリ、足にリボンと包装紙が触れる。

「…そっか」

来たかと思いながらヒカルは静かにソファの背にもたれた。アキラがそうしていたように目を閉じて十何時
間か前のアキラの姿に思いを馳せた。


「本当にクソ可愛くない」

アキラが一人で何をしていたのか、どんな表情をしていたのかさえ実際に見ていたかのようにヒカルには
よく解った。


「…一筋縄じゃいかねえなあ」

おまえも、そしておれもと、口の端に苦笑を浮かべ、でも案外幸せそうな顔で、ヒカルはもう残っているはず
の無いチョコレートの香りを部屋の中に探したのだった。



※両思いですが表向きはラブラブでは無いヒカアキです。ぼくを好きならばぼくがどんなに冷たくしても好きで居続けろというアキラと、
そっちがその気なら優しくなんかしてやんねーよというヒカルです。でもラブラブ。本当はラブラブ。
2015.2.14 しょうこ