母二人
母が『女の子』を欲しがっていたことは、別に秘密でも何でも無かったので、ぼくも子どもの頃から知っていた。
「だって女の子の服って可愛い物が多いでしょう? 服だけじゃなく、靴や小物やおもちゃも可愛い物が多いし」
一度無邪気にも尋ねたぼくに母は言った。
「一緒にお買い物に行けたら楽しいだろうなあ、なんて思ったりもしたのよ。でもね、アキラさんは素直で可愛く
てとっても良い子だし、何よりアキラさんが生まれた時に行洋さんが本当に嬉しそうでね。ああ、男の子で良か
ったんだわって思ったの」
父は自分の碁を引き継がせる者として男児を望んでいたのだと言う。
もちろんぼくが女だったとしても父は変わらずに愛してくれたことは解っているのだが、それでも少なからずが
っかりしたことだろう。
ぼくの前にも後にも両親は子どもには恵まれず、結局ぼくは一人っ子になった。
母も軽く愚痴のようにこぼすことはあっても、『男の子』のぼくを愛してくれているし満足もしてくれている。
それでも時折ふと、例え父を落胆させたとしても、塔矢家にはぼくでは無く『女の子』が生まれるべきだったの
ではないかと思うことがあった。
「まあ、そしたらそしたで色々面倒無くおまえを嫁に貰えておれは有り難かったけど」
三月最初の日曜日、待ち合わせたカフェで進藤にそのことを話したら、いとも簡単に返された。
「塔矢先生、あれですげえ子煩悩だから、おまえが男でも女でも結局おれがボコられるのは変わらないんだ
けどさ」
それでもまず好き合っているという段階から理解して貰わなくて済んだのは、きっと楽で良かったよなあと同意
を求めるようにぼくに言う。
「…なんで生まれるのがぼく前提として話してるんだ」
「え? おまえが生まれて来ないなんて嫌だし、おまえじゃ無いんだったら男でも女でもおれには関係無いし」
天晴れというか、ブレ無いというか、進藤のこういう姿勢には時折感心させられる。
「ぼくは…なんとなく、ぼくでは無い『女の子』が生まれたらって思っていたんだけれど」
そう、特に春になるとそう思うのだ。
「母がね、毎年お雛様を飾っていたのだけれど、いつ頃からか飾らなくなってしまって」
忙しいからとかなんとか言っていたけれど、ぼくが女性と結婚していつか女の子の孫を作るという可能性の芽
すら摘んでしまったからなのではないかと密かに申し訳無く思っていた。
「春先は嫌いなんだ。そうで無くても気候がはっきりしなくて不安定なのに、あの人形を見ると責められている
ような気持ちになってしまって」
「ふうん、だからおまえ今日おれに会いたいって言って来たんだ」
「別に…それだけで誘ったわけじゃない」
今年の雛祭りは火曜日で、だからお祝いとして雛祭りをするのは大体今日の日曜日が多いのかなと思ったら
じっと家に居るのが嫌になった。
特に何があるというわけでは無いけれど、家の、昔雛人形が飾ってあった空間を見るのが嫌だったのかもしれ
ない。
「うちは、しつこく毎年飾ってるなあ」
しばらく沈黙した後に進藤がぽつりと言った。
「え? そうなんだ」
「うん。なんでだよ、うちには男のおれしかいねーじゃんて言ったことあるんだけど、そうしたら『これは私のお雛
様なの』って怒られた」
「へえ…」
「まあうちの親が特別なのかもしれないけど、でも結構みんなそんなもんかもしれないぜ?」
「何が?」
「雛人形。おまえは親が子どものために飾るみたいに思っているから責められてるみたいに思うのかもだけど、
そもそもその雛人形、おまえのじゃ無いだろ」
あっと、今更だけどぼくは初めてそのことに気がついた。
「そう…だね」
確かにそうだ。家にあるのは母が嫁ぎ先から持って来た、母が生まれた時の祝いの雛人形なのだ。
「それを子どもや孫にもって人もいるかもだけどさ、単純にキレイな人形が好き、年に一度それを見たいってだけ
の人も大勢居ると思うぜ」
「…そうだといいんだけど」
「そうだよ。大体、明子サン、今日おれんち来てるしさ」
「は?」
進藤が続けて言った言葉にぼくは仰天してしまった。
「母がキミの家に? なんで?」
そんなこと一言も聞いていない。
「んー、うちに来てなんだかうちの母親と二人で雛人形見ながらケーキでも食うみたい。少なくともおれが家を出
る時にはそんなこと電話で話してたけど」
女の子のお祝いなんだから、女二人で楽しみましょうとそういう話になったらしいのだ。
「お母さんが…キミのお母さんと…」
「そ。だから親父も早々に追い出されてた。男共は邪魔だから当分帰って来るなってさ」
「…へえ」
意外過ぎて思考が追いつかない。そもそもいつの間にうちの母と進藤のお母さんはそんなに親しくなったのか。
「色々重たく考え過ぎなんだよ、おまえ。人形は人形。それにそんなに深く意味を持たせられたら人形だって迷
惑だろ」
「…うん」
そうだろうか、それでも本当はぼくの母も進藤のお母さんも女の子が欲しいと願っていたりはしないのだろうか。
息子には真っ当な結婚相手をと、そしてごくごく普通な幸せをと望んではいないのだろうか。
「だーかーらー」
言葉には出して言っていないのに、進藤はぼくの額を指で突いた。
どうも無意識に眉を寄せてしまっていたらしい。
「そういうことにしてくれてるんだから、そうしておけよ」
はっとした。
「いいじゃん、もう。おれらの親だっていい加減自分らの息子がどうしようも無い親不孝者だって、よっっっく解
ってるよ」
その上で許してくれているのだから甘んじて受けておけと、進藤の言葉にもほんのりと苦いものが混ざってい
る。
「そうだなあ、それでもやっぱ気になるって言うなら、高級な和菓子屋でお高い桜餅でも買って帰ればいい」
「キミは?」
「そこそこの店でそこそこの桜餅買って帰る」
「キミも高い店のにしろ」
「はあ?」
「母が…贔屓にしている老舗の店があるんだ。そこの桜餅は本当に美味しいから」
ぜひキミのお母さんにも食べて欲しいと言ったら進藤は笑った。
「そうだな。だったらおれは明子さんに買うから、おまえはうちの親にでも買ったら?」
「…喜んでくれるかな?」
「そりゃ喜ぶだろ」
息子が買ってくれたものなら親は喜ぶ。それも本当の息子より遙かに顔も頭の出来もいい息子なんだから
と言われて目に涙が滲みそうになった。
「…暫定だけれどね」
「確定だよ」
おれはおまえとしか一生誰とも結婚なんかしないんだから確定と言われ、ぼくは本当に泣き出しそうになり
ながら、二人の母が雛人形を前に親しげにお茶を飲んでいる姿を瞼の裏に思い描いたのだった。
※いつも似たような話ばっかりですみません。なんとなく母親同士が仲良く雛祭りにお茶してたらいいなーって。そしてアキラは
相変わらず一人でどんどん深みにはまってしまう感じで。それを引き上げるのがヒカルです。2015.3.3 しょうこ
塔矢パパは男の子が生まれて本当に嬉しかったと思う。でもママは女の子も欲しかったんじゃないかな。
ヒカルはアキラが女の子だったら色々面倒が無くて良かったとは思っても、女の子の方が良かったとは絶対に考えません。
今のままでいい。今のアキラを好きになったから。アキラの方も同じです。