過ぎる三十一の秋
「キミのせいだ」 むっつりと黙り込んでいたアキラが唐突に口を開いた。 時計の針は12時丁度。9月20日から9月21日になった瞬間だった。 「キミのせいでぼくはキミの誕生日を祝うことが出来無かった。一生恨んでやるから覚えていろ」 リビングのソファでふて寝していたヒカルはアキラの言葉に跳ね起きると、隣室に居たアキラを 睨み付けた。 「は? なんでだよ。そもそもおまえが喧嘩をふっかけて来たんじゃんか」 遡ること数日前、二人は些細なことで喧嘩をした。 原因はヒカルにあったが、それを許さずに、今の今に至るまでむっつりと無言を通したのはアキ ラだった。 「話しかけても完無視で、おれの言い分聞こうともしないし」 「それでも!」 ヒカルの不平を断ち切るように厳しい声でアキラが言う。 「それでもキミが謝るべきだったんだ。土下座でもなんでもして自分が悪いって言ってくれたら、 そうしたらぼくだってすぐに謝った。少なくとも今日まで引きずったりはしなかったんだ」 アキラの声には恨めしさが込められていて、ヒカルは内心なんでだよと思った。 喧嘩をふっかけられたのは自分で、誕生日を祝って貰えなかったのは自分で、なのに何故そ れを責められなければならないのだろう。 (大体、覚えてろって、それはおれの方のセリフだろうが) ため息をつきつつ思った所で、見透かしたようにアキラが言った。 「キミの31歳の誕生日は一度しか無いんだ。もう二度と来ないし、やり直すことも出来無い。ど うするつもりだ」 「そんなの…」 おまえに関係無いだろうと言いかけてヒカルは言葉を止めた。 こちらに背中を向けているアキラの体が細かく震えていることに気がついたからだ。 「塔矢?」 立ち上がり、隣室に行く。 正面に回るとダイニングテーブルに向かうアキラの頬に幾筋も涙の跡が付いているのが見てと れた。 「おまえ…なんで泣いてんの」 「泣いてなんかいない! ただ悔しいだけだ」 怒鳴るように言う、その間も涙は静かに滑り落ちる。 ずっと堪えていたであろうものが、12時を過ぎた段階で堪えきれなくなったらしい。 「キミはどうだか知らないけれど、ぼくはキミと出来ることは全てしたい。キミに関することには関 わりたいし、だから誕生日は何としても祝いたい」 今までどちらかと言えば、イベント事に積極的なのはヒカルの方だった。 アキラはなんとはなし、そんなヒカルに付き合ってくれているだけだと思っていたのでヒカルは心 底驚いた。 「それでも、ぼくはキミに出会う前の十数年分は祝えない。どう足掻いても無理なんだ。だから 出会ってから後は一度たりとも逃さずに祝おうってそう決めていたのに」 キミがつまらない意地を張るから祝えなかったじゃないかと、ヒカルにしてみればほぼ言いがか りに近いような物言いでヒカルを詰った。 「バースデーケーキを買えなかった。花もワインも料理も全部キミの好きな物を考えていたの に」 プレゼントも用意してあるけれど、それだって誕生日を過ぎてしまえば意味が無いと切々と訴え られてヒカルは狼狽えた。 とうに戦意は喪失している。 「…や、え? でもそれなら別に、おれ当日じゃ無くてもケーキも花もワインも嬉しいけど」 「キミが良くてもぼくが嫌なんだ!」 アキラの声はほぼ悲鳴だ。 「じゃ、じゃあその用意してあるプレゼントも貰えないん?」 「あげるよ! でもそれはもう誕生日プレゼントじゃ無い! ただのプレゼントだ!」 理路整然が常のアキラらしからぬ支離滅裂さにヒカルは額を押さえた。 「キミの欲しいものを考えて、あちこち店を回って散々悩んで買ったのに」 全部無駄になってしまったとアキラは萎れきっていて、そんなアキラを見詰め続けたヒカルは思 わずぽつりと呟いてしまった。 「おまえ…おれのこと大好きなんだなあ…」 言ってすぐに、火に油を注ぐようにことをしてしまったと身構えたが、想像したような反撃は一切 無かった。 代わりに長い沈黙の後、思いがけないひとことがヒカルに返る。 「…そうだよ、知らなかったのか」 その瞬間の気持ちをどう言えばいいだろう? ヒカルはゆっくりと血が上り、熱く火照って行く頬でアキラの肩をぐっと掴んだ。 「ごめん」 この数日間、思いはしても絶対に言えなかった言葉だった。 「ごめんなさい、おれが全部悪かった!」 自分でも呆れる程素直に頭が下がる。 「今更謝られても」 「だったらおれもペナルティを負う。今年のおまえの誕生日は祝わないで我慢する」 「バカか? キミは!」 途端にカッと目を見開いてアキラが顔を上げた。 「誕生日を祝わせなかった上にぼくの誕生日も祝わないだと? よくもそんな極悪非道なことが 言えるな!」 「じゃあ、祝うよ! 誠心誠意、おれの全力でもってお前の誕生日を祝うからそれで許してくれ よ」 「…そこまで言うなら」 理不尽だ。 ヒカルの理性はそう言うけれど、でも感情は喜びに満ちあふれている。 何故ならアキラの支離滅裂さは全て自分への愛情故だったからだ。 「ほんと悪かったよ。なんなら今ここで土下座してもいい」 「うん、してくれ」 そこは『しなくていい』という所では無かろうかと思いながら、それでもヒカルはすぐさま床にひれ 伏して土下座をした。 「ほんっっっっっっっっとにごめん、悪かった、もう二度とこんなことが無いように心がけるから、 だからおれのこと許して」 「……うん」 随分間が空いてからアキラがこくりと頷いた。 「それで図々しいとは思うんだけど、出来ればやっぱ、おれの誕生日も祝って欲しい」 「祝うよ、そんなことわざわざ言われなくたってこれからも毎年―」 「違う! ついさっき終わっちゃったおれの今年の誕生日を祝って欲しいって言ってんの! おれコンビニでケーキ買って来るから、だからそれで一緒におれの31歳を祝って欲しい」 「…花とフルーツも」 「あればな! 無ければ我慢して」 「それとワイン。無ければビールでもなんでもいいよ」 「御意!」 土下座から立ち上がり、財布を掴んで今にも出て行こうとするヒカルの顔は笑顔だった。それ に向かって言葉を続けるアキラもまた笑顔になっている。 「それから明日の朝食べるパンと牛乳、ベーコンと卵も切れていたから買って来て」 「了解!」 「それと―」 「まだあんのかよ」 リクエストの内容が誕生日から外れた物になって来ているのに気がついて流石にヒカルも口を 尖らせる。 「何か文句でも?」 「はいはいはいはい、ねーよ、ありませんよ! 後何買ってくりゃいいわけ? ヨーグルト? そ れとも台所洗剤か?」 ため息を吐きながら言うヒカルの元にアキラは近づいて行くと、くいっとその顎を掴んだ。 「お祝いのキスだ」 「え?」 「馬みたいに走り出して行く前にぼくに誕生日のお祝いのキスをさせろ」 ヒカルが状況を飲み込む前に、アキラはちゅっと軽くヒカルの唇に自分の唇を押し当てる。 「いってらっしゃい。なるべく早く返って来いよ」 これ以上誕生日を遅らせないために。そしてこれから朝までの時間、じっくりとキミにお祝いをさ せて欲しいからと、さっきまでの涙が嘘のように赤らんだ頬で言うアキラに、ヒカルはしばらく呆 然としたように立ち尽くし、それからはっと我に返った。 「うん! うん! うん!」 速攻で行って戻って来るからと、アキラをぎゅっと抱きしめて、それからいかにも嬉しそうに歓声 を上げると買い物に行くために外に飛び出して行ったのだった。 |