胸に咲く花
終わった後、ベッドの上でまどろみながら進藤の胸に手を置いたら、静かな鼓動が 伝わって来た。 少し前、抱き合っていた時には、触れあった場所から破れるのではないかと思うくら い強い鼓動が伝わって来たのに、今はそれは非道く穏やかで優しい。 とくとくと脈打つ、それは彼が生きているという証で、その温もりが指先からぼくに流 れ込んでくるようだった。 『明日絶対帰るからお願いだから寝ないで待ってて』 丸1日、おまえのために作ってはあげられないけれど、それでも絶対に14日のうちに 帰ってくるからと、遠方での対局があったにも関わらず、彼は本当に14日が終わる二 時間も前に帰って来た。 『間に合った? 良かった』 空港から直接来たという彼のスーツは皺くちゃで、髪は乱れ、こんな寒い時期だという のに体中びっしょりと汗をかいていた。 『走って来たのか?』 『だって、おまえが待ってると思って』 てっきり空港からタクシーで来るものと思っていたのに、進藤はそうはせずに電車を使 い、駅からも自分の足で走って来たらしい。 『だってさ、車は渋滞にはまったら余計に時間かかるから』 だから少しでも早くおまえに会えるようにタクシーは使わなかったのだと、ごめん一分だ け休ませてと言いながらへたりと玄関に座り込んだ姿を見た時に、ぼくは思わず涙がこ みあげて来そうになった。 『そんな無理をしなくても良かったのに』 たかだか誕生日、ぼくなんかのために疲れたその体で走って来なくても良かったのにと、 胸が締め付けられるような思いだった。 『なんで? おれが走りたいから走っただけだ』 おまえのためじゃなく、おれがおまえに会いたかったんだよと言われてぼくはもう何もい らないと思ってしまった。 『ありがとう進藤』 そう思ってくれたその気持ちがぼくには何よりものプレゼントだと、泣いてしまったぼくを 見て進藤は驚いたように立ち上がると、抱きしめ、それからこれ以上無いくらい優しくキ スをしてくれた。 『待ってて、おれシャワー浴びてくるから』 『いいよ、このままで』 『だって汗くさいし』 『そんなの全然気にならない』 むしろキミの汗の香りはぼくはとても好きだよと、言って次にはぼくの方から彼にキスを したのだった。 恋人同士になってから過ごす、もう何回目かの誕生日。 いつもいつも幸せだったけれど、そのどれよりも今日は幸せだと、もつれるように抱き 合って、キスを繰り返しながらぼくは思った。 こんなに幸せでいいのだろうかと思うくらい、抱きしめられるその感触は心地よく、耳に 吹き込まれる言葉は甘く優しかった。 そして、狂ったように求め合った後倒れるようにベッドに横たわり、うとうとと半分まどろ みながら、ぼくはふと彼に触れてみたのだった。 何故触れたのかはわからない。 けれど、息の音と共に規則正しく上下する胸を見ていたら、たまらなく触れてみたくなっ たのだ。 「…温かい」 彼の肌は表面は冷え、けれどその下から伝わってくるものはとても温かかった。 さっきまであんなに激しかったのに、鼓動も今はずっと静かで、でもその穏やかな響き が何故かとても胸に染みた。 おまえのために生きているのだと、おれはおまえのために生きているのだと、そう言葉 ではなく言われたような、そんな気持ちになったからだ。 「…どうしてキミのような人がぼくを好きになってくれたんだろう」 他に幾らでも良い相手はいただろうに、どう考えても扱いやすいとは言えないぼくを愛 してくれる。 それがいつもぼくは不思議でたまらないのだ。 「ぼくはずっとキミのことが好きだったけれど――」 この思いが叶うなんて、そんな夢みたいなことがあるなんて思いもしなかった。 「―会うたびにもっと好きになるよ」 喧嘩もするし、言い争いもする。非道く傷つけ合うこともあるけれど、それでもぼくにと って彼は特別で、心から愛する人なのだった。 そして信じられないことには彼もまたぼくのことを心から愛してくれている。 「幸せだ…」 気がつけば一人でに言葉がこぼれ落ちていた。 「たまらないくらいに幸せだ」 夜の静寂。 置いた彼の胸から手を離して、そっと自分の胸に当てて見る。 まだ彼の温もりが残る指は、少し冷えたぼくの皮膚の下に脈打つものを確かに感じた。 「キミと同じ…」 とくとくと響く鼓動。 鳴って、収まり、鳴って、収まり、それに合わせるかのように彼への愛しさも次から次へ と溢れ出してくる。 (これは花だ) 胸に咲く花だと、ぼくは思った。 尽きることなく溢れ出ては咲く。決して枯れる事無く胸の奥に咲き続ける、色鮮やかな 大輪の花だとそう思った。 「…ぼくはキミが大好きだ」 眠っている横顔に口づけながらそう呟く。 「誰よりも誰よりも愛している」 きっと一生離せないと思うよと、そう小さな声で言ったら「離されたら困る」と眠っていた はずの進藤の唇がいきなり動いてそう言った。 「だっておれも、おまえが大好きだから」 頼まれたって何されたって絶対離したりなんか出来ないと、言って再びことんと眠りに 落ちた。 「愛してるよ」 誰よりも誰よりもおまえのこと愛してる。 そう嬉しい囁きを耳に残して。 「…本当に」 一体どうして彼のような人がぼくなんかを好きになったくれたんだろう。 こんな面白みの欠片も無いぼくを――。 「ありがとう」 与えるよりも絶対に貰っているものの方が多い。 「ありがとう」 キミに出会えたというだけで、ぼくはこの世に生まれて来て良かったと心から思う。 「ありがとう、大好きだ」 巡り会い、愛し合えたこの奇跡。 ぼくは彼に寄り添うように横たわると、再びその胸に手を置いて、とくとくと満ちる愛情 の音を聞きながら、幸せな眠りに落ちたのだった。 |