ありがとう
呆れる程一緒に居たというのに、誕生日がいつかということは全く知らなかった。
だからいつものように碁会所に行って、お茶と一緒にケーキが出てきた時には驚
いたし、常連のおっさん達から塔矢にプレゼントが送られた時にはもっとびっくり
した。
「何? おまえ今日が誕生日なんだ?」
「そうだよ、言っていなかったっけ」
おれの問いにあいつはあっさりと言って、そういえばそういう話はしたことが無かっ
たねと笑った。
「キミの誕生日は?」
「…9月20日」
「そうか、覚えておくよ」
「いや、それはいいんだけどさ」
12月14日。
今日という日に何も知らなかったおれはどうしたらいいんだろうかと、渡されたケー
キを頬張りながら居心地悪く思った。
「…おれもなんか買ってくれば良かった」
お茶請けにはケーキの他にも常になく菓子がたくさんあって、どうやらそれは皆こい
つのために客が買ってきたものらしいのだった。
「いいよ、別に気を遣わなくても」
キミにそんな気を遣われると雪が降ると塔矢は言ったけれど、でもおれは…おれもこ
いつに何かやりたかった。
それより何より会った最初に「おめでとう」と言ってやりたかった。
それが知らなかった上に手ぶらだというのは何とも悔しく、けれど今更何かを用意する
ことは何か違う気がしていた。
知ってから用意するんじゃ遅い。おれは知っていなければいけなかったのだと思った。
市河さんが知らなくても碁会所のオッサン達が知らなくても誰が知らなくてもおれだけは
絶対に知っていなければならなかったのだと理屈では無い強い思いがわき起こる。
「ケーキ美味しい?」
「……うん」
「それ手作りなんだよ。キミは市河さんのお気に入りだから、ここに来ればきっと9月20
日にもケーキが出るんじゃないかな」
ぼくのケーキよりも豪華なケーキかもしれないねと笑われて、でもおれは笑えなかった。
悔しい。
一人だけこいつの誕生日を知らなかったということはやはりたまらないくらいに悔しかっ
たのだ。
「今日はゆっくり出来るんだろう?」
「うん、夕食も先に食っていていいって言ってきたし」
「じゃあ夕食はぼくと食べよう。それでいいということじゃダメかな」
「何が?」
「キミは今日これからの時間、ぼくが気が済むまで打つ。そして夕食は一緒に食べる」
それをキミからの贈物ということにしてもらってもいいだろうかと、微笑まれて頬がカッと赤
く染まった。
見透かされている。そうでなくても気を遣わせてしまったのに、落ち込んでいるおれに気が
ついて塔矢は慰めてくれているのだ。
「じゃあメシはおれが奢る。それでいいよな」
「いいよ。ついでに言うなら食べるものもキミが好きなものでいいから」
財布の関係もあるだろうからねと言われて、色々な意味で負けたと思った。
それから後は誕生日の話題からは離れ、いつものように…いや、いつもよりみっちりとおれ
達は打った。
一々ご丁寧に検討をして、合間に喧嘩までしたものだから、碁会所を出たのはかなり遅い
時間になっていた。
「どうする? 何食いに行く?」
「ぼくは別になんでもいいよ。でも、出来ればあまり脂っこいもので無いといいな」
「脂っこく無いもんか」
塔矢は本当は蕎麦が好きなのだけれど、そういう店は午後の9時には閉まってしまう。
居酒屋は呆れるくらいたくさんあるけれど未成年だから入れないし、やはりここはファミレス
が無難だろうと、国道沿いの店に行くことになった。
「寒くなったね」
「ああ、流石に12月にもなると寒いよな」
人混みの中、他愛無いことを話しながら歩く。
「この間、鈴木先生の研究会に行ったよ」
「面白かった?」
「うん、若手が多いからね。刺激になった」
「そうか」
やっぱり色々な人と打つのは楽しいよなとおれが言ったら、あいつは一瞬黙って、それから
ぽつりと一言言った。
「そんなことは無いよ」
「え?」
「ぼくにとってはキミと打つことが一番楽しい」
だから今日はとても嬉しかったと言われて、おれは心臓が跳ねるのがわかった。
「なっ、なんだよいきなり」
「別にいきなりじゃない。いつも思っていたことなんだ。ぼくは一人暮らしみたいなものだから帰る
時間を気にしなくてもいいけど、キミはご家族と一緒だろう?」
だからいつも夕食に合わせて帰ってしまうことが多いけれど、今日はたくさん打てたからと、幸せ
そうに言われて、おれは再びかーっと顔が赤く染まっていくのを感じた。
「ぼくにとっては今日一番のプレゼントだった。ありがとう」
「バっ……なっ……ああっもう、おまえ欲無さ過ぎ!」
そんなんタダみたいなもんじゃないかと言ったら、塔矢は笑って「ぼくにとっては何よりも高いよ」
と言った。
「キミの時間を独占出来る。それはお金では買えないから」
だからすごく嬉しかったし楽しかったと言われて、おれはどうしようかと思った。
「違うって……だっておれ…」
だっておれはもっと何かちゃんとしたものをおまえにあげたかったのだ。
もっともっとすごくて、もっともっと良いものをおまえに贈りたかった。
すごく嬉しいよありがとうと、言って喜んで欲しかったのだと、でもそれはあまりに強い感情だった
ので言葉にすることは出来なかった。
「進藤?」
黙り込んでしまったおれを塔矢が不安そうに見つめる。
「ごめん、ぼくはまた何かキミの気に障るようなことを――」
言ったかという言葉を飲み込むようにして、おれは気がついたらあいつに口づけていた。
「ん――」
驚いたように大きく目ほ見開いたあいつは、少しだけ抵抗するようにおれの胸を押して、でもすぐに
力を抜いた。
「ごめん、おれ―」
さんざん柔らかい唇を貪ってからおれは正気に戻って、押さえつけていたあいつの肩から手を離し
た。
「進藤、今のは―」
火照った顔で塔矢が見るのに、のぼせ上がったおれは上手い言い訳を考えるどころか頭が真っ
白になってしまった。
「ぷっ…プレゼント!」
「え?」
「プレゼントだよ、誕生日の!」
こんなもんしかやれなくて悪かったなと、逆ギレのように怒鳴りつけると、塔矢は更に驚いたような
顔になって、でも怒らなかった。
「そうか―ありがとう」
「ら、らららららら…来年はもっとちゃ、ちゃんとしたもん、やややややや、やるから」
だから今年は我慢してと、我ながら支離滅裂だと思いながら言った言葉に塔矢は静かに微笑んだ。
「いいよ、別に」
「いや、来年は絶対に絶対にもっとなんか良いもんを――」
テンパったまま繰り返すおれの唇を少し照れ臭そうに指で押さえると塔矢は言った。
「来年も同じものが欲しい」
「え?」
「出来るなら来年の誕生日にもキミから同じものが貰いたい」
キミと、キミの時間と、キミの―――。
キミのキスが欲しいよとかすれたような声で言われて頭が煮えた。
「はっ、はいっ」
確かにと言ったおれの声は明らかに突拍子も無く裏返っていたけれど、塔矢はバカにしたりせず、
ただひたすらに幸せそうに笑うと、今日何回目かの「ありがとう」をおれに言ってくれたのだった。
※恋愛初心者の恋愛ということで。でもきっと一年後には「もっといいもの」をアキラはヒカルからもらっていることでしょう。
2006.12.14 しょうこ