先手必勝
いつからそう決めたというわけでは無いが、もうここ数年、互いの誕生日に相手の好物ばかりの朝食を作るのが 二人の間の習わしになっている。 九月のヒカルの誕生日もそうで、だからヒカルは当然のように十二月十四日、いつもより早くベッドから抜け出そう とした。 ところがすぐ傍らで眠っていたアキラが、ぎゅっと手首を握って離さない。 「え? ちょっ…」 引きはがそうとしてもあまりにもしっかり握られていて解けない。 それどころかぐいぐいと引っ張って来るので今にもヒカルはベッドの中に逆戻りしそうだ。 「とっ、塔矢っ、寝ぼけてんのかよ、おまえ」 けれどアキラは目を瞑ったまま、ただヒカルを引っ張り続ける。 そもそもが相手の誕生日を祝うためなので邪険にすることもできず、しばしの抵抗の後ヒカルは再び暖かいベッ ドの中に横たわるはめになった。 (これじゃ朝飯作れないじゃん) 困り果ててため息をつくヒカルの体をアキラの両腕がしっかりと抱きしめた。 「…なんだよ、今日は甘えん坊なのかよ」 それにもやはり返事は無く、仕方なくヒカルはアキラの腕が緩むのを待つことにした。 した、つもりだった。 次に気がついた時、部屋の中の空気は明らかに暖かくなっていて、ドアの向こうからは美味しそうな匂いが漂っ て来ていた。 「わっ」 飛び起きてキッチンに行くとアキラが振り返ってにっこりと笑った。 「良かった。ちょうど今起こしに行こうと思っていたところだ」 「っておまえ、ひでぇ…」 テーブルに並んでいるのはベーグルを使ったサンドイッチ、それにフルーツサラダとミネストローネ。 カップになみなみと注がれているのはミルクたっぷりのカフェオレだった。 「何故か今日は冷蔵庫の中にぼくの好きなものばかりあって、しかも下ごしらえまでしてあったから全部有難く使 わせて貰ったよ」 「何故かじゃねーよ。買ったんだよおれが! それで朝飯を作るつもりだったんだって」 「そうか、おかげで楽させて貰った」 しおしおと萎れているヒカルとは反対にアキラは至極機嫌が良い。 「もともと今日はぼくが作る番だったんだし、キミはぐっすり眠って美味しい朝ごはんを食べられるしでお互い良い ことだらけじゃないか」 「それじゃ誕生日の意味無いだろ!」 思わずヒカルは叫んでしまう。 「予定では完璧に仕上げてから颯爽とおまえを起こしに行って、おはようのちゅーをするつもりだったのに」 「それは残念だったね。でもキミここの所バカみたいに忙しかっただろう? 昨日も予定外に桑原先生に呼び出さ れて帰って来たのは遅かったし」 なのに買い物をして料理の下ごしらえまでやっていた。 「だからぼくはキミに誕生日の贈り物として“ゆっくり眠るキミ”を貰うことにしたんだ」 「はあ?」 「ぼくはキミにぼくのために無理なんかして欲しく無い。だからゆっくり眠ってもらって、美味しい朝ごはんを作る権 利を譲って貰うことにしたんだ」 何しろ今日はぼくの誕生日なんだからねと言い切られてヒカルは口を曲げる。 「だからって無理やり寝かすこと無いじゃん」 「…不服そうだな」 「や、だって折角おれが」 「キミほどじゃ無いけどね、全部きっちり美味しくできているはずだよ? そしてもし自分でしたかったって気持ちが 大きすぎるなら今夜ディナーで返してくれればいい。キミ、今日は用事があるのは午前だけだろう?」 「そうしたんだよ! 誰かさんが誕生日だから!」 「じゃあそれで決まりだ。精々気張って腕を振るってくれ」 「でもさあ…」 それでもまだ納得がいかなさそうなヒカルにアキラはぐいと顔を近づけて言った。 「料理はもちろん、ケーキもワインも楽しみにしている。絶対にぼくをがっかりさせないでくれよ? それから言いた くは無いけれど、折角の誕生日だって言うのにキミは一番大切なことを忘れている」 「あ、悪い、おめでとう」 「違う。それもだけど、さっき言っていたアレはどうした」 キスしてくれるんだろうと言われ、ヒカルは真ん丸に目を見開いた。そして笑う。 「そうだな、悪かったよ、おはよう。そして誕生日おめでとう!」 ディナーもプレゼントも楽しみにしてろよ! と言ってアキラの頬をそっと両手で挟む。 「ありがとう。キスも誕生日に相応しい最高のものを頼む」 「そんなの。おれがおまえをがっかりさせたことがあったかよ?」 「どうだったかな」 「ねーよ、無かった、絶対に!」 にいっと笑うと、その微笑んだ唇のままヒカルはアキラに深く口づける。アキラもまたそれに応えヒカルの背に腕を 回す。 朝にしては濃密なキスは、幸せな誕生日の始まりだった。 |