Heart or body2
「甘やかさないよ」
緩く襟元を解きながら、塔矢はそう言っておれを見つめた。
「キミが今、どんな気持ちでいるのか知らないし、ぼくにどうして欲しいのか知ら
ないけど」
でもぼくも自分のことで精一杯だからキミを優しく甘やかしてなんかやらないと、
それは冷たい言いようのようだけれど、でも塔矢なりの優しさだった。
だってもし、これが他の人間だったら塔矢は側にも寄せ付けない。
対局前、特に大事な一戦の前は声をかけられるのもはっきりと拒絶する。
集中したいから申し訳ないけれど側には来ないで欲しいと、一度そう断られて憮然
として帰った女性記者がいると言う。
普段は甘い面差しと、柔らかい物言いをする塔矢の、本当の姿を知らない人は、皆
一様に変わりように驚くらしい。
「それから、一度だけ。明日に響くようなことはなるべくしないでくれ」
「わーってるって」
そんなことわざわざ言われなくたってよっくわかっていますと、塔矢が解いた襟に指
をかけて一気に胸元をはだけると、そのままおれはベッドの上に押し倒した。
「乱暴な―」
ぼすっとスプリングが軋むほど激しく倒れ込んだので、塔矢は眉をひそめたけれど、
おれを突っぱねるようなことはしなかった。
「痛かった?」
「――いや」
むしろ今日はそのくらいの方がいいかもしれないと、見上げて笑った顔にはすごみ
があった。
いつからだろう、対局前にこうして体を重ねるようになったのは。
以前は気持ちが乱れるからと決してそれをしなかったのに、気がついたらこうしてむし
ろ貪るようにして相手の体を求めるようになった。
「それだけ仲が深まったってこと?」
一度やはり対局前に抱き合った後、たずねてみたことがある。おれはともかくこいつは
絶対にこういうことを嫌だと言っていたのだから。
「だっておまえ本当は対局前に人といるのダメだろ?」
なのにおれとこんなことするってことはそれだけおれとおまえの仲が深まったってそうい
うことじゃないのかと言ったら塔矢は少し考えてそれから言った。
「いや、どちらかというと逆じゃないのか?」
盤外戦をしかけているんだよと、言っておれの背中に抱きついてきた。
「こうして体で陥落させて、キミから勝ちをもぎとってやる」
「うわ、おっかねえ」
言いながら抱き返してそのままもう一度あいつを抱いた。
あの時は翌日、おれと塔矢でリーグ戦をかけての対局があったのだ。
結果はおれの勝ちで、しばらくあいつはおれと口をきかなかったのだけれど。
けれどそれで止めにするかと思いきや、おれが相手でもそうでなくても、対局前に会うこ
とをあいつはやめなかったのだ。
「明日の韓国戦―相手だれだっけ?」
「李昌永―六段」
差し込んだおれよりも、強く感じているらしいあいつは、体を揺らしおれを貪ることに集中
していた。
「勝てそう?」
「うるさい」
言葉は邪魔だとぺちりと頬を叩かれて、おれも動くことに集中した。
おれの相手は洪秀英。去年は副将だった秀英は今年は大将になっている。
「キミ―こそ――勝て―無かったら」
絶対に許さないと、今年こそ絶対勝てと言われて頭に血が上った。
「わかってるって!」
倒したかった高永夏は、今年は体調不良で選に漏れたらしい。それは非道く悔しいことだった
けれど、それでも北斗杯は北斗杯だった。
おれと、塔矢とそして社と。
去年は負けた。
でも、だから今年は――。
「死んでも勝ってやるよ」
ひときわ深くに差し込みながらそう言ったら、塔矢は快感が強すぎたらしく、しばらく喘いでか
ら切れ切れに言った。
「死ぬなんて言うな」
キミはぼくと生きて勝ち続けるんだ。これからもずっとと。潤んだ目で見つめられて血が沸騰
した。
「わかっ――」
わかってると、果てながら言った言葉は果たしてあいつの耳に届いたかどうか。
けれど、終わった後、抱きしめてくる腕はたまらなく優しかった。
「大丈夫、勝つよ」
今年は勝つよキミもぼくも。
だって今年のぼくたちは去年のぼくたちではないのだからと。
「そうでなければぼくたちが、こうしている意味が無いじゃないか」と、言われて初めてあいつが
おれと抱き合う理由がわかったような気がした。
「うん、そうだな」
「そうだよ」
おれたちの関係は誰よりも近いけれど馴れ合いじゃない。
強くなるために互いに存在するんだと。
それがよく――わかったような気がした。
「明日が楽しみだ」
薄く笑い眠りに落ちる。あいつの寝顔を見つめながら、おれは、不思議な程強く、明日の勝ちを
予感していた。