0214


その日は朝からとても寒くて、だから手をつないで歩いた―。




「メシでも食いに行く?」

思い出したように進藤が言ったのは、夜の十時をまわった頃だった。

「もうこんな時間なんだ。早いね」

時計を見上げた塔矢が少しばかり驚いたように声をあげる。
棋院から帰り、その日のそれぞれの手合いを検討していたらいつの間にかこんな時
間になってしまった。

「作るのめんどいし、外に食べに行こうぜ」

じゃらと碁石を片づけると、進藤は上着を羽織り塔矢を振り返る。

「おまえ、なにがいい?」
「ラーメン以外ならなんでも」

自分も上着に腕を通しながら、塔矢がそっけなく言う。

「キミのところに来ると、家でも外でもラーメンばかり食べさせられるんだから」
「だってしょうがないじゃん、金ないし、ファストフードはおまえヤだって言うし」

小さいころから和食中心の生活で、いわゆるジャンクフードの類を食べ慣れていない
塔矢は、もともと外食自体があまり好きではないのだ。

「だからってもう少し気をつけないと、キミいつか病気になるぞ」
「はいはいはいはい。わかりました」

うるさそうに言いながら、でも進藤の顔はどこか嬉しそうに微笑んでいる。

「で、どうする?」
「この時間だと行ける所も限られてきちゃうけど…」
「駅前出ようぜ、駅前」

それから考えようと進藤が言うのに塔矢はうなずいた。




「さむっ」

一歩外に出たとたん、進藤が手をこすりあわせた。
暖かい部屋の中にずっとこもっていたので、外の空気がひどく寒く感じられるのだ。

「手袋とか持ってこなかったのか?」

自分はちゃっかりとグレーの手袋をはめている塔矢が呆れ顔で言う。

「えー? だってこんなに寒いとは思わなかったからさぁ」

子どものように口をとがらせると、進藤はえいと塔矢の左手から手袋をむしりとった。

「一つ貸して」

そして塔矢がいいとも悪いとも言わないうちにそれを自分の左手にはめてしまう。

「…あったかい」

にこにこと幸せそうな顔で言われて、一瞬、怒るのを忘れた塔矢は、次の瞬間取り
戻そうと手を伸ばした。

「返せ」
「やだね」
「片手じゃ寒いだろっ」
「えー、いいじゃん。おまえケチだなあ」
「ケチで結構」

少しむっとした口調で塔矢が言うと、進藤は空いている右手で塔矢の左手をにぎっ
た。

「はい、これでOKな」

そしてそのまま有無を言わさず歩き出す。

「…どうしてキミはいつもそう強引なのかな」

塔矢はぶつぶつ文句を言いながら、でもそれほど嫌そうでは無い。

「で、どーする? ファミレス? 定食屋? おれ、なんでもいいけど」

「向こうに蕎麦屋があったろう、開いているならあそこがいいな」

結局麺じゃんと、憎まれ口をたたきながらも、進藤は素直にそちらへと歩き出す。
と、唐突に塔矢がつないでいた手をふりほどくようにして離した。

「塔矢?」

おどろいて振り返ったとき、前の方から和谷の声がした。

「あれぇ、進藤じゃん。なにやってんの」

道の向こうから、和谷と伊角が並んで歩いてくる。

「なにってメシ食いに行くとこ。おまえこそなにやってんだよ」
「おれらも同じ。今メシ食ってきたとこ」

そう言って和谷は伊角を見上げる。

「伊角さん今日、おれんち泊まりなんだ」
「打っていたら遅くなっちゃってね」

どこかで聞いたような話をする伊角に、くすりと塔矢が笑った。

「塔矢くんも、進藤の所に泊まりなの?」

伊角の問いに、塔矢は首を横に振った。

「いえ、ぼくは家が近いので帰ります」
「えーっ、ダメ。おまえも泊まり、泊まってけって」
「なに勝手に決めてるんだ、キミは」
「だってどうせおまえんちだれもいないんだろ」
「だからってなんでキミの家に泊まらなくちゃいけないんだ」

あーあ、またいつものがはじまったよと和谷が呆れたように肩をすくめる。と、
何か気がついたように「あれ」と言った。

「なに?」
「なんでおまえら片方だけ手袋してんの?」
「え、なんでって」

奇妙な――間があいた。

「寒かったから…塔矢の借りたんだけど」

他に言いようがなくて進藤が言うと、和谷が呆れたように言った。

「そんなの片方だけしてたってしょうがないじゃん」

まったくもってごもっともな意見だが、まさかさっきまでは空いた方の手で手を
つないでいたとは言えなかった。

「まあいいけどさ、 どーせそーゆーことするんなら、女の子とデートするときと
かにしたほうがいいぜ」

会う時にわざとしていかず、片方だけ借りれば、もう片方の手をつなぐいい口
実になるからと和谷は言った。

「なんだか慣れてるなぁ、和谷」

伊角に言われて、和谷は真っ赤になった。

「そ、そんなことないよ。こんなのジョーシキだろっ」
「まあまあ、そんな照れることもないだろ」
「伊角さんっ」

ほとんどじゃれあいのような会話をする和谷たちの前で、進藤と塔矢は逆に静か
になってゆく。

「じゃあな」
「ああ、また」

和谷たちが去った後、進藤と塔矢の間には妙に気まずい空気が残った。

「――返せ」

やがて塔矢が硬い口調で言った。

「ヤだ」
「どうせ、最初からそういうつもりだったんだろ」

塔矢はあきらかに怒っている。

「違うって」
「どうだか。キミも…慣れてるみたいだし」
「――おまえ、それマジで言ってんの?」

思いがけず静かな口調で言われて、はっと塔矢は進藤を見つめた。

「マジでおまえ、おれのことそう思ってんの?」

繰り返し言う、その声音に含まれた傷ついた響きに塔矢は目を伏せた。

「おれのこと、ほんとにそういうふうに――」
「そんなの…ぼくにはわからない」

実際、塔矢にはわからなかったのだ。小さい頃から大人に囲まれて暮らし、同
世代の友人を作らずにきたので、人との距離が今ひとつわからない。
ましてやこんな、自分の内側に踏み込ませるくらい近い存在になったのは進藤
が始めてだったので、相手がふざけているのか、それともそうでないのかが、
正直わからなかったのだ。


黙ったまま、どれくらい立っていただろうか。進藤は大きくため息をつくと、はめ
ていた手袋をはずし、それを塔矢の左手に元のようにはめた。

「行こう、いつまでこうしてても仕方ねーし」

そしてくるりと背中を向けて歩き出す。

「進藤…」

取り残された塔矢は、左手と進藤の背中を交互に見つめた。手袋の中は、まだ
進藤のぬくもりが残っていてあたたかい。

(もしかしたら本当にわざとじゃなかったのかもしれない)

塔矢はぼんやりと思った。
時にバカみたいなことをしたりするけれど、進藤は自分に対して妙な小細工をす
ることだけは無かった。それどころか逆に塔矢が傷つかないよう気を遣っている
と感じられることの方が多かったから。

(…ひどいことを言ってしまった)

「塔矢?」

呼ばれて行きかけた塔矢は、ふと両手を見下ろすと、手袋を外した。それを上着
のポケットにつっこむと、進藤の元に走る。

「で、結局蕎麦屋でいい―」

振り返った進藤の手に自分の指をからませる。

「塔―」
「それでいい」

ぶっきらぼうに断ち切ったのは、一言でも何か言われたら爆発してしまいそうなくら
い、心臓の鼓動が早くなっていたからだった。
真っ赤に染まった塔矢の顔を進藤はしばらく驚いたように見つめた後、ぼそりとつ
ぶやいた。

「あーおれダメかも」
「え?」
「だって、そんな顔されたらさぁ」

そして、塔矢が意味を悟るより早く、かがみ込むとそっとその右頬にキスをした。

「しっ、進藤っ」

怒鳴りかける所を今度は反対側の頬に口づける。
そして空いた手で顎をつかむと、逃げるよりも早く唇を合わせた。

「ばっ」

ようやく逃れて口を開き、でも塔矢は動揺のあまり言葉が言葉にならない。
さっきより一層赤くなった顔でぱくぱくと口を開いている塔矢に、進藤がだめ押しで言
った。

「大好き」
「ばかっ!」

ようやく言えたのはそれだけだった。
こんな人ごみでとか、なんであんなことをとか、言いたいことは色々あったのだけれど、
何を言っても言葉にならず、しかもそれを嬉しそうに進藤が見ているので、とうとう口を
閉じてしまった。

「じゃあ蕎麦屋な」
「…どうでもいい…もうどこでも」

それでもしっかりと手をつないだまま二人歩いた。


不安定で、でもたまらなく幸せで。

永遠に続けばいいと願う。


そんな――二月の寒い日の夜。


※本当はSicknessを書いてから書くつもりだったのに、どうにも間に合わなさそうなので、急遽こっちを
先に書いてしまいました。だって、だってヒカアキを好きになってから初めてのバレンタインなのに、絶対は
ずすわけにはいかないじゃないですかっ!!でも、ひねくれものなので「チョコを出さないで書こう」とこうい
う話になりました。2月14日の出来事ということで…。バレンタインにチョコが出てこないとは許し難しとい
う方はこちらにどうぞ→
 どちらも他愛のない話ですが楽しんでいただけたなら嬉しいです。