雪菓
きしきしと雪を踏んで庭に出る。 昨夜遅くに降り始めた雪は今ではもう止んでいるものの、庭はすっかりと白一色に 染まっている。 「綺麗だ…」 たくさんの花をつけている椿の上にも雪は積もり、こんもりと小さな山のようになっ ている。 賀茂はふと思いついて両の手で椿の上に積もった雪を掬って見た。 (冷たい…) でもやはり綺麗だと思いながらそっと口をつける。 子どもじみた所作なので人前では絶対にやったことは無いけれど、その年最初の 雪が降った時、賀茂は汚れの無いその白いものを食べてみずにはいられない。 一瞬で口の中で溶けて水になる雪。 けれどその水は冷たく心地よく喉を滑り落ちて行った。 「賀茂、やっと見つけた! 何やってんだよおまえ」 振り返ると寝着に上着をひっかけただけの有様の近衛が、寒そうに白い息を吐き ながら賀茂の足跡を辿るようにして追って来た。 「目が覚めたらいないんだもん、おまえ」 「キミはよく眠っていたから…」 ほらと賀茂は両手に掬って持ったままだった白い雪の一盛りを近衛の目の前に差 し出した。 「綺麗だろう、昨日あれから降ったみたいで―」 こんなに積もっていたんだと言いかけて賀茂は口を閉ざした。差し出した雪を近衛 がいきなりぱくっと一口食べたからだ。 「な―何をするんだ」 タイミング的に、近衛は賀茂が同じようにその雪を食べた所は見ていないはずだっ た。 (なのにどうしてぼくと同じことをする) かあっと頬が熱くなるのが自分でもわかる。 「あれ? なんか悪かった?」 あ、もしかして行儀が悪いって怒ってるん? と尋ねられても賀茂はまだ上手く言う 言葉が見つからなくて喋れないでいる。 「悪い、でもおれよくやっちまうんだよな。降ったばかりの雪ってすごく綺麗ですごく 美味そうだから」 食べてみたくならないか? とそう言って、あれよと言う間にもう一度ぱくりと雪を喰 らう。 そうしてからふと首を傾げて近衛は言った。 「なんかこの雪…甘くねえ?」 うっすらと甘いような気がすると言われて更に賀茂は狼狽えた。 さっき自分が食べた時、雪はただの雪の味しかしなかった。甘みも苦味もなんの味 さえしなかったと言うのにどうして近衛はそんなことを言うのか。 「椿の…」 「ん?」 「椿の上に積もった雪だから甘さが移ったんじゃないかな」 「そうか! これって椿の甘さなんだ」 近衛は納得したというように笑って、それから椿の木の方に行く。 「待て、何をしている」 「え? だって甘かったから、花の上に積もったヤツとかはもっと甘いんじゃないか なって」 「ダメだ―」 「なんで?」 いいじゃんと強引に口を寄せようとするのを見て、賀茂は持っていた雪を放り捨てる と、すがりつくようにして近衛を止めた。 「ダメだ、そんなに雪ばかり食べたらきっとお腹を壊すから――」 言葉の内容とは裏腹にあまりに真剣な賀茂の言葉に近衛はきょとんとした顔で止 まった。 「うん…まあ、賀茂がそんなに言うんなら…」 おれも無理して食べたりしないよと、それでもまだ名残惜しそうに見詰めているので 賀茂は袖を引いて、近衛を屋敷の中へと連れ戻すことにした。 「温かい小豆粥を作ってあげるから、中に入ってそれを食べよう」 「…うん」 「なんだ? そんなに雪が美味しかったのか?」 ぼくが作る小豆粥より美味だったかと逆ギレのように尖った声でそう言ったら、近衛 は苦笑するようにぽつりと言った。 「美味いって言うか、あの甘さって…」 おまえと口づけした時の甘さとちょっと似ていたんだよなと。 何も知らない、何も見ていないはずなのに、どうしていつも近衛はこうも真実を突い てくるのか。 賀茂は腹立たしいような、けれど恥ずかしくて居たたまれないような気持ちで前を向 き、近衛を引きずるような勢いで入り口へと歩き始めたのだけれど、その顔の赤さ だけはどうしても消すことが出来なかったのだった。 |