※この作品は春待宴様への参加作品でした。












賀茂は綺麗だ。

きりりと引き締まった横顔と、その顎の線を見つめながら近衛は思った。

陰陽師という仕事柄、ほとんど昼間は外に出ることが無く、陰陽寮の中に閉じこもっている。

そのせいか肌の色は雪のように白く、けれど今のように術に集中している時にはその肌の
内側から燃える炎のような赤い色がほんのりと透けて見える。



『天を我が父と為し、地を我が母と為す―――』

今日、近衛は賀茂の護衛で、とある貴族の屋敷を訪れていた。

最近悪いことばかり続けて起こる。もしや何かの厄が憑いているのでは無いかとそれを払う
よう頼まれたのだ。


『六合中に南斗・北斗・三台・玉女在り』

凛とした賀茂の言葉は湖に落ちた雫のように、波紋となって屋敷の中に広がって行く。

『左には青龍、右には白虎―』

途中、天井でぴしりという鋭い音が響いたが賀茂は微動だにしなかった。

『前には朱雀、後には玄武――』

再びぴしりと音がする。

『前後扶翼す』

ここで初めて賀茂は上を―屋敷の天井を見上げて目を細めた。

『――急急如律令』

終わりの言葉は静かではあるが非常に厳しく、空気が揺れたように近衛には思えた。

そして同時に声では無い何かの悲鳴のような物音を確かに聞いたような気もした。



「…これで厄はこの屋敷から払われました」

しんと静まりかえった部屋の中で賀茂はゆっくりと顔を正面に戻すと、目の前の貴族に向か
って言った。


「以後この家が厄災に見舞われることは無いでしょう。けれど再び戯れに人の心を弄ぶよう
なことがあれば、それは私にもあずかり知らぬこと」


どうかお気をつけあそばれよとそれは穏やかではあったが言外に貴族を責めているかのよ
うな響きがあった。


「わっ、わかりました以後身を慎むことにいたします」

貴族は宮中でもかなり上の身分にある。

いくら陰陽師とは言え、まだ子どもである賀茂の言葉に激怒しても良いはずだが、顔色を青
く変えると貴族は平身低頭の様子で言ったのだった。


「賀茂殿にはまこと、ご迷惑をかけ申した」






「なあ、さっきのなんだったん?」

賀茂と二人、貴族の屋敷を出て少しばかり歩いた所で近衛は疑問に思ったことを賀茂に尋
ねた。


「橘様、なんかすごく狼狽えていたし…おまえはなんか怒っているし」

一体あれはなんだったのだと言う近衛にしばし黙って、それから賀茂は手の内に握っていた
ものを開いて見せた。


「何これ…」
「撫物だよ。これにさっきの貴族にかけられていた念を全て移したんだ」


ひらひらとしたそれは近衛にはただの人型の紙切れにしか見えない。

「これに? じゃあ本当に呪がかけられてたんだ」
「呪って言うより情念かな…。あの貴族は戯れに身分の低い女の元に通い、子を為したくせ
にそのまま二人を見捨てたんだ」
「見捨てた?」
「そう。母親が病で倒れ、貧しくて薬も買えない状態だというのに何の救いの手も差し伸べな
かった」


それどころか子どもだけでもどうにかしてやって欲しいと這うようにしてやって来た女を冷たく
追払ったのだと言う。


「その数日後に女は死んでいる。子も後を追うように亡くなっているね…非道い話だ」

そんな無慈悲なことをしたものだから女の恨みがあの人にべったりと張り付いていたんだよ
と言う賀茂の頬は再び怒りで紅潮していた。


「救われるべきは見捨てられた母子だ。なのにぼくは見捨てた慈悲の心も無い非道い男の
厄を親切にも払ってやったんだ」


まったくもってやりきれないと、ため息をついて賀茂は掌の上の紙切れを見た。

「それ、どうするん?」
「橋の所まで行ったら川に流す。それで…恨みの念も流されると思うから」
「そうか」



その後はしばらく無言で歩き、橋の上まで来たところで言った通りに賀茂は握っていた掌を
開いて恨みのこもった撫物に息を吹きかけた。


「もう―恨まなくて良い。どうか静かに―」

静かに眠ってくださいと、それは先程屋敷で聞いた陰陽の呪文のような厳しい響きの言葉
では無かった。


ただ静かな、穏やかで優しい声音だった。


「賀茂は…優しいな」
「え?」


くるくると川面に落ちて行く撫物を見つめながら近衛はぽつりと言った。

「優しいからその母子を消さずに清めたんだろう?」
「………。」
「おまえだったらきっと撫物に恨みを移したりしないであの場で念を消し去ることも出来たん
じゃないか? でもそれをしなかったのは―」
「違うよ」


近衛の言葉をゆっくりと遮り賀茂が言う。

「ぼくは別に優しくなんか無い。あの母子に同情したから消さなかったわけでは無いよ」
「そうか?」
「そうだよ。撫物に移したのはそうした方が始末が楽だったから。ただそれだけのことだ」
「うん…そうか。そうかもしれないけど…でもやっぱりおれは賀茂は優しいと思うよ」


紙で作られた人型が流されて消えて行くまでを見送ってから、近衛はくるりと賀茂の方を向
いた。


「賀茂は優しい。いいだろ? 勝手におれがそう思っているだけなら」
「近衛…」


そして手を差し伸べる。

「帰ろう」
「…え?」
「え? ってもう仕事は終わったんだろう? どっちに送って行けばいい? 内裏? それと
も屋敷の方?」
「ああ…今日はもう何も無いから屋敷へ」
「わかった」


そしていつまでもそのまま手を差し伸べているので賀茂は戸惑ったような顔で尋ねた。

「近衛…この手は?」
「手はって…やになるなあ、どうして術はすごいのにこういうことには鈍いんだろう」


近衛は苦笑いのように笑うと突っ立ったままの賀茂の手をぎゅっと握って歩き出した。

「こっ―近衛っ!」
「おまえの仕事はなんだ?」
「陰陽師だ。知っているくせに」
「じゃあおれの仕事は?」
「それは―」
「宮中一の陰陽師殿を無事に屋敷まで送り届けること!」


だから迷子になったりしないようにこうしてしっかり手を繋がないといけないんだと、呆気にと
られた賀茂を引きずるようにしてすたすたと歩く。


「ダメだ―この手はまだ清めていないからキミに汚れが移るかもしれない」
「いいよ。少しくらい汚れが移ったっていいんだ」
「馬鹿なことを―」
「いいんだって本当」


『汚れ』は真に払いきれる物では無いと近衛は人に聞いたことがある。

どんなに優れた術者でも人の負を背負わされる時、微かな垢のように汚れを身の内に残し
てしまうものなのだと。


積もり積もった人の汚れはいつしか術者を染めて行き、それで全てが染まった時に闇に転
じる者も居ると言う。


(だったらおれがその汚れを少しでも貰いたい)

身も心も降り積もったばかりの雪のように綺麗な賀茂。

その賀茂が陰陽師という仕事故に少しずつ汚れて行くというのならば、自分もまた汚れたい
と近衛は思うのだ。


(一人だけ犠牲になり、汚れて良いわけが無い)

人の恨み辛み、哀しさをその薄い体が一人で受け続けなければならないというのは道理に
合わないとそう思う。


――最も、そんなことを近衛が口にしようものならば、陰陽のなんたるかも知らないくせに思
い上がりも甚だしいと賀茂はきっと激怒したことだろうけれど。




「それに知ってるか?」
「何を?」


暮れて行く都の大路を歩きながら近衛は賀茂に笑いかけた。

「この間、加賀が言っていたんだけど、好いた者同士はこうして手を繋いで歩くものらしい
ぜ」


瞬間、ぱっと賀茂は近衛の手を振り解こうとした。

「ダメーっ。言ったばっかりじゃん、好いた者同士は―」
「ぼくはキミのことなんか好きじゃないっ!」
「そういえば加賀がもう一つ言っていたなぁ。なんでも『嫌い嫌いも好きの内』って」


相手のことを嫌い嫌いって言うヤツほど実は相手のことをすっごく好きなものらしいぜと近衛
の言葉に今度はぴたりと口を閉ざす。


賀茂の素直さが可愛くて近衛はつい声に出して笑ってしまった。

「何がおかしい!」

顔を赤く染めた賀茂は近衛を睨み付けたけれど近衛はちっとも気にしない。

更に強くぎゅっと手を握りしめると上機嫌で早足で歩き続けた。

「これからも出かける時は手を繋いで歩こうな!」
「誰が!」


白い肌の内側から燃えるような赤が透ける。

近衛は自分を睨み続ける賀茂の顔を見つめながら、やっぱり賀茂はとても綺麗だと心の底
から思ったのだった。


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今回のテーマは「初めて手を繋ぐ二人」ですv
コノカモです〜(汗)
あんまり春っぽく無く、何かをわくわくと待つという雰囲気でも無い話ですが(汗)すみません〜。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


2008年2月14日 しょうこ