※この作品は春待宴様に投稿させていただいたものです。
一夜酒
「本当は冷やして飲むものだけど、今日は少し肌寒いから」 温めてみたよと言って、賀茂は近衛の目の前にとんと小さな器を置いた。 「何これ?」 「甘酒。キミ達はあまり飲むことは無いかな。粥から作るお酒だよ」 「ふうん…前に緒方様の花見で飲んだ酒とは違うな」 あれはこんなどろどろしたもんじゃなかったと近衛が言ったら、「これはそれとはまた 違うものだから」と賀茂は苦笑するように言った。 「いいから、いつまでも文句ばかり言っていないで飲め、体が温まるから」 「ん」 一介の検非違使の近衛と違い、宮廷使えの陰陽師である賀茂は色々と高価な物や 珍しい物を手に入れる機会が多い。 なのでそれを時々こうして近衛にも振る舞ってくれることがあるのだけれど、正直、今 回の酒は見た目が面妖だったので近衛は少し躊躇した。 けれど恐る恐る口に含んだ途端その顔がぱっと輝く。 「美味い!」 「美味しいだろう。滋養もあるからたくさん飲むといいよ」 さらりと素肌に薄衣だけまとった賀茂は、近衛の前に向かい合わせるように座ると自 分の分の器を取り上げ、それからそっと口をつけた。 「温かいね。お腹の底から熱くなるような味だ」 「でも…」 顔を上げて何か言おうとした近衛にすかさず賀茂が厳しく言った。 「言うな! 言ったら殺す」 「ってまだおれ何も言って無いじゃん」 「キミが言おうとしていることぐらいわかる」 そんな下卑たことを言うならもう二度とぼくはキミとこんなことはしないと、視線の先に は、近衛の向こう、寝乱れた夜具がある。 「いいじゃん、下卑てたってなんだって」 本当のことだもんと賀茂の睨みを全く意に介さずに、近衛は器に口をつけるとこくりと 一口、濁った白い酒を飲んで言った。 「確かに美味いけどさ、おまえのが美味かったな」 「言ったら殺すって―」 「いいよ殺しても」 賀茂にだったらおれはいつだって殺されても何されてもかまわない。そのくらい好きだ からと言われて賀茂は悔しそうに口を噤んだ。 「おまえの…たくさん溢れて来てさ、こんなふうに白くて濁ってて」 「言うなっ!」 「こんなふうに甘くは無くて喉の奥に苦かったけど」 でもおれにはどんなものより甘かったと、微笑まれて賀茂の頬はさっと赤く染まった。 「あんな、美味いもん飲んだの初めて」 「バカなことを―」 言いながら賀茂は両手で包んだ器を見つめた。 白く米の粒を残したほんのりと甘いそれは一夜酒とも呼ばれる、高貴な貴族が好んで 飲む酒だった。 けれど近衛が口にしたのは別のもの。 『やっ……あっ、………いや……だ』 『なんで? 嫌なんて、そんなこと思って無いくせに』 『や…そんな…こと…』 賀茂の痛みと涙と恋しさを体から絞り出した切ない雫。 「なんでそんなこと言うん?」 バカなんかじゃない本当に美味かったと、それを思い出すように甘酒を飲んだ近衛が 賀茂の顔を見つめたまま舌を出し、意味深にぺろりと唇を舐めたので、賀茂はもう甘 酒を飲むことは出来なくなってしまった。 「あれ?飲まないん?」 「もう…いい」 飲めるものかと心の中で悪態をつくのに、近衛は気づいてか気が付かないでか上機 嫌で「じゃあおれがおまえのも飲んでやる」と賀茂の器を手に取った。 そして綺麗に飲み干してからにっこりと笑って「足りないな」と薄衣に手を伸ばして来 た。 「もっと飲ませて?」 邪気無く言う近衛に、賀茂はどうしても素直に頷くことが出来ない。 「嫌?」 嫌なんかじゃ無い。でもそれをどうして賀茂が口に出して言えるだろうか。 「いいよな?」 聞いておきながら相手の答えを待つことをしない。 ゆっくりと近衛に床に組み伏せられながら、その整った顔を朱に染めた賀茂は、切な い声をあげながら、嬲るような舌に再び甘露を吸われたのだった。 ![]() |