甘色
‐あまいろ‐


「なあ、おれでも頼めばまじないとか祈祷とかしてくれんの?」


いつもの如く勝手に入り込んで来て、勝手に部屋の隅に座り込み、賀茂のすることを眺め
ていた近衛が、賀茂の手が止まるのを待ちかねていたかのように尋ねた。



「キミが? ぼくに?」


誰かを呪ってくれとか言う頼みなら頼む相手を間違えているし、そもそもそんな頼み事をす
るような人間ならば即刻この屋敷から出て行って貰いたいと眉一筋も動かさずに言う賀茂
に近衛が苦笑したように笑う。



「違うって、もっと前向きで明るい内容」

「別に…相手がキミだろうと誰だろうと正式な手順を踏んで頼まれたものならぼくはやるよ」

「ふうん、そうか。それを聞いて安心した」


実はおれ、こんなモノ持ってるんだよなと言いながら懐から出して来たものは、したためら
れた一通の文で、それには『この者の依頼を引き受けるべし』というようなことが記されて
いた。



「恐れ多くも藤原行洋様からの文だ、立派に手続きを踏んだことになるよな」

「藤原様がどうしてキミなんかの…」


訝しむ賀茂に近衛はにやっと笑って言った。


「この間頼まれて、内緒の仕事をちょっとやったんだよ。その褒美の代わりに文を書いて
貰ったんだ」


宮廷でも権力を誇る藤原行洋が、いくら知った仲であるとはいえ身分の低い近衛の願いを
そうそう簡単にきくものでは無い。


だからきっと近衛の言う「内緒」の「ちょっとやった仕事」と言うものは、かなり危険なものだ
ったのに違い無いと賀茂は推察した。



「キミはいつも無茶をする…」

「何が? おれは別になんにもしてないけど?」


悪びれない笑顔は子どもっぽくもあり、同時に練れた男のものでもある。


「まあいい。藤原様を通しての依頼ならば受けないわけにはいかないからね」


キミの頼みを引き受けようと、賀茂は近衛に向かって座り直し、きちんと向き合った。


「それで、キミがぼくに頼みたいのはまじないか?それとも祈祷か?」


「どう違うのかおれにはよくわからないんだけどさ」


たぶんきっとまじないの方になると思うと言って、それから近衛もまたきちんと座り直した。


「都一の陰陽師である、賀茂明殿にお願いする」


常にない真面目な物言いに賀茂もすっと顔を引き締める。


「承ろう」

「私の思い人である、ある方の私への気持ちをまじないで汲み取り教えて欲しい」

「――――え?」

「思い人の名は『賀茂明』、どうかよろしくお願い――」

「ちょっ…待てっ、なんだそれはっ!」


余程虚を衝かれたのだろう、賀茂は陰陽師の顔から素の賀茂の顔にもどり、狼狽えたよう
に前に手をついた。



「そ、そんなまじない、引き受けるわけが無いだろうっ!」


みるみるうちに真っ赤になる賀茂の顔を近衛はまだぴしりと座ったままでにっこりと見てい
る。



「藤原様を介しての正式な依頼、そして一度『承る』と言ったものを易々と翻すことが出来
るとお思いか?」



「だって、まさかこんなくだらないことだとは…」

「藤原様を介した依頼は藤原様の依頼と言ってもいい。それをくだらないと本気で賀茂殿
はおっしゃるか」


「ああ、もうどうしてこんな時だけきちんとした物言いをするんだ! キミは卑怯だ!」


色の白い賀茂は赤くなると肌が透けるようで、胸元も袂から覗く腕も茹でたような色にな
っている。



「卑怯で結構。けれど儀式に則ったものは正しく返して頂かねば」

「近衛っ!」

「あはは、ごめん。だっておまえ、こうでもしなきゃ言ってくんないじゃん」


唐突にくだけた口調になって近衛が笑った。


「おれなんかおまえにもう千回は好きって言ってるのに、おまえの方から聞かせて貰ったこ
とは無い」



だから一度くらいはっきり言ってくれてもいいんじゃないかと言われて賀茂の顔は引きつ
った。



「たったそれだけのためにこんな…」


こんな命を賭けるに等しいようなことをしたのかと、ついた手からゆっくりと力が抜けて、
賀茂は床に突っ伏すように顔を伏せてしまった。



「……えーと、賀茂?」

「信じられない、キミがこんなバカだったとは」

「藤原様は笑って聞いてくれたぜ、『それはさぞ苦労が多かろう』っておれに同情してもくれ
たし」


「違うっ!」

それはたぶん近衛では無く、こんな無茶苦茶な恋人を持った賀茂に向けられた言葉なの
だろう。


大変だな、気の毒にと、けれど意外にも酔狂な彼の人は、同時に面白がってもいたに違い
無い。



「ん?何が違うって?」

「別に…なんでも無い」


でもそれを言ったとしても近衛のことだ、全く動じないのはわかっていたので賀茂は口を
閉ざした。



「なーなー、それよりおれの頼んだことちゃんとやってくれるんだろうな」


脳天気極まりない恋人は、にこにこと人の悪い笑みを浮かべながら賀茂の前にぺたりと座
った。


そして床に置かれた賀茂の手を包み込むように握ると、そのまま引き上げるようにして伏
せた賀茂をゆっくりと起こした。



「で、おれの思い人はなんだって?」


おれのことなんて言ってる? と迫る顔から顔を背け、賀茂は精一杯の思いで言った。


「―――だ」

「え?」

「清めた体を触れられてしまったからぼくの体は汚れてしまった。物忌みでしばらくは何も
出来ない」



だからキミの依頼には当分答えてあげることは出来ないよと言うのに近衛は目を見開い
た。



「ふうん」


きょとんとしたように見開かれた目は、けれどゆっくりと細められ、やがて悪戯っぽい笑み
に変わる。



「そうか、それじゃ仕方無いな」

「ああ、悪いけれど―」

「だったらおれ、物忌みが解けるまでここで待ってるから」

「え?」

「それで取りあえず今日はもう汚れちゃったからおまえ何も出来ないんだよな?」

「え? …ああ」

「だったらもう幾ら汚れても構わないってことだから」


存分に汚させて貰おうかなとにじり寄る近衛に賀茂は立ち上がった。


「冗談じゃない――」


脱兎の如く逃げようとするのを近衛の手がしっかりと賀茂の腕を握って離さない。


「じゃあ、おれの頼み事聞いてくれる?」


おまえの気持ちをはっきりと言葉にしておれに聞かせてよと、笑う顔は無邪気だった。

無邪気なのに聞かせてくれないならおまえを抱くと鬼畜なことも平気で言う。


「卑怯―」


「だからさっき言ったじゃん。卑怯で結構って」


これでもおれ、おまえに対してはいつも必死で体張ってるんだから、たまにははっきり言っ
てくれと少なからず切なさも混じる言葉で責められて賀茂は落ちた。



「わ――わかった」

「うん」

「キミの思い人は…思い人の『賀茂明』は―」


茹でるのを通り越して、今にも溶け出してしまいそうなくらい真っ赤に染まった顔の賀茂の
声は、尻すぼみに小さくなり、最後の方はほとんど聞き取ることすら出来なかった。


けれど、じっと手を握り祈るような顔でそれを聞いていた近衛は、やがてぱっと顔を輝かせ
ると喜びの笑みを浮かべ、強く、これ以上出来ない程強く、賀茂の体を抱きしめたのだっ
た。





※私の賀茂のイメージは「プライベートでは鈍くさい」なので世慣れた近衛に簡単にやりこめられてしまいます。
可哀想だな賀茂。もちろんこんな恥辱プレイをさせられた挙げ句にちゃんと汚されてもしまうんですよ。
ちなみに私の近衛のイメージは「無邪気な悪魔」です(^^;もしくは「無邪気な鬼畜」ひでえ…。


そして付け足さないと誰にもわからないとは思いますが、一応平安バレンタインなのでした。

2009.2.14 しょうこ


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