更衣
その日は近衛にとってなんとなくツイていない日だった。 佐為の参内に着いて内裏に出向いたので、空いた時間に陰陽寮に賀茂を訪ねて行ったのに 生憎と賀茂は留守でまだ来ていないと言われてしまった。 それではと役目の終わった昼過ぎに屋敷を訪ねてみればまた留守で、都で見かけたという言 葉に人が行き交う大路を歩けば、そこに居たのは賀茂の名を騙っている倉田さんだったとい う。 「もー、賀茂のヤツどこほっつき歩いてるんだよ」 別に特別に約束をしていたわけでは無い。 お互いの仕事柄、何日も顔を合わせないことも希では無いし、そもそも賀茂の方は近衛が自 分を恋人と言い張るのを今だ認めてはいないのだった。 『ぼくはキミの恋人なんかじゃないよ』 『だったらなんなんだよ』 おれとおまえって一体何? と不満で一杯の近衛が尋ねるのに賀茂は表情も変えずに言った ものだ。 『都を守るという同じ使命を持った仲間だろう?』 思い出すだけでため息が出る。 確かに賀茂が言っていることは間違いでは無いけれど、でもそれだけでは無いだろうと、あの 薄い肩を掴んで揺さぶりたくなる時がある。 (あいつ、本当に素直じゃねーんだから) 近衛は賀茂が自分以外を側に寄せないことを知っていた。 陰陽師という仕事柄貴族と会うことが多く、顔も広いというのに、それでも普段の生活のほと んどを陰陽寮か屋敷に閉じこもって過ごし、人と親しく付き合うということをしない。 『ぼくの仕事はいつ『返し』が来るかわからないからね』 時に術に失敗して非道い目に遭うこともあるという。 それがどんな非道い目なのかは検非違使である近衛には想像がつかないが、命に関わる障 りもあるということで、だから賀茂は自分の側に人を寄せたがらないのだろうと思った。 「でも、おれだけは家に上げるんだもんあいつ」 なるべく誰とも深くは付き合わないことにしていると言っているその同じ口で、躊躇いながら自 分を屋敷に招くこともある。 『ふうん、まあおれはもし『返し』とやらが来ても腕が立つから平気だもんな』 最初は本当にそう思い、言った近衛の言葉に賀茂は苦笑したのだった。 『キミは…キミのことはぼくの弱さの証なんだよ』 だから仕方が無いんだと、その時は意味がわからなかったけれど、後でじっくりと考えて見た 時に、それは理性では近衛を遠ざけた方が良いとわかっていても感情が遠ざけられなかった という意味だとわかった。 「って、それってつまりはおれのこと好きってことじゃんよ」 なのにいつまでも賀茂は頑なに恋人とは認めない。 時に抱き合い口づけることもあるというのに、それでも賀茂は絶対に近衛を恋人とは認めよう とはしないのだった。 (だけどおれは好きだし) 綺麗な顔で重責に耐える。あの賀茂のくそ真面目で可愛い所が大好きだと思う。 だから機会があれば会いたいし、今日のような日には姿を見せたかったのだ。 今日、四月一日に―――。 「まーったくもう、散々だったなあ」 都から戻った後もあちこち賀茂の噂を聞いて訪ねて回り、最後には無茶苦茶な理由をつけて 内裏の中の賀茂を呼び出して貰おうとさえしたというのに、賀茂はやっぱり陰陽寮にはいなか ったのだ。 そしてだめ押しで訪ねて来た屋敷にもやっぱり賀茂はいなかった。 「ツイてない。本当にツイて無い」 あーあと深くため息をつきながら、近衛が自分の屋敷に戻って来た時だった。門の前によく見 知った姿が立ちつくしたままこちらを睨んでいるのを見つけた。 「かっ―賀茂じゃん」 おまえ今までどこに居たんだよと言いかけた近衛の言葉をものすごい剣幕で賀茂が遮った。 「キミは今までどこをほっつき歩いていたんだっ!」 「ええっ?」 「朝、屋敷を訪ねたら留守だし、内裏に出向いたら佐為殿と帰られたと言うし、大路を歩いて いたという話を聞いて市に出向いても見たけれどやっぱり居ないし」 今日一日、ぼくがどれだけ都中を歩き回ってキミを探したのかわかっているのかと一気に言 われて、近衛は棒立ちになった。 「え………って、………ええっ?」 「え? じゃない! ちゃんとぼくに説明しろ。キミは一体こんな時間までどこに―」 「…おまえのこと探してた」 「え?」 今度驚いた声を上げたのは賀茂の方だった。 「朝、陰陽寮に行ってみたら留守で、仕事が終わってからおまえの屋敷に行ったらやっぱり留 守で」 それから市や都のあちこちをずっとおまえを探し回っていたんだと言ったら、賀茂は本当にび っくりしたように目を見開いてそれから言った。 「なんだ…じゃあぼく達はずっとすれ違っていたのか」 すれ違いながらお互いを探し回っていたのかと、そして苦笑のように笑ったので近衛は思わ ず怒鳴ってしまった。 「おまえそれでも宮廷一の陰陽師かよ。占えばおれの居場所なんてイッパツでわかるだろう」 「陰陽の力をそんな私用で使えるか!」 気が付けば足元を長い影が引いている。 それくらい近衛も賀茂も一日を無駄にして都中を歩き回ってしまっていたのだ。 「…で、なんでおまえは朝っぱらからおれの屋敷なんかに来たんだよ。普通に出仕してりゃな んの問題も無かったんじゃないか」 「それを言うならキミだって仕事が退けた後に素直に屋敷に戻っていれば良かったんだ」 そもそもどうして陰陽寮にぼくを訪ねて来たんだと、逆ギレのように言われて近衛は黙った。 「理由を言え。別に用は無かった、顔が見たかっただけとか言ったら許さないぞ」 「…そりゃ顔は見たかったけど…」 口ごもってからふて腐れたように言う。 「………だから見せたかったんだって!」 「何?」 「今日から更衣だろ。新しい薄物を仕立てたから、それをおまえに見せたかったんだよ!」 確かにそう言われてみれば、近衛の着ている狩衣は昨日までの冬物では無くて、薄い麻に変 わっている。 色も紫から紺色へと変わり、織物の文様も変わっていた。 「本当だ…気が付かなかった」 「おまえが前、おれには紺が似合うって言ったから、だからわざわざ紺にしたのにさ」 見せたいお前は居ないんだもんと拗ねた口調のままで言う。 「大体おまえだってなんでおれの屋敷に来たのかまだ言ってないぜ。天下の賀茂明殿がどう してこんなおんぼろ屋敷を訪ねて来たんだよ」 詰め寄られて賀茂はたじろいだ。 「おれの理由は言ったんだからおまえもおれを訪ねて来た理由を言えよ」 「…同じ」 「え?」 「キミと同じ…ぼくも新しい薄物を仕立てたから、キミに一番に見せたくて」 言いながら恥ずかしそうに俯いてしまう賀茂の着ている物も夏物の生絹に変わっていたのだ った。 「キミがぼくには若葉の色が似合うって言ったから…」 だからその色に染めて貰って萌え立つ若葉を織物にして入れて貰ったんだと、言われて見れ ば確かに賀茂の狩衣も白から若草色に変わっている。 「えーと…」 夕闇の中、気まずい沈黙で二人は黙り込んだ。 それから随分長いこと互いの影を見つめ合った後で偶然にも同時に顔を上げる。 「あのさ…」 「キミは…」 声がダブってまた俯きかけたのを近衛が顎を掴んで上向かせる。 「あのさ、おれが似合うって言ったからその色の夏物を作ったんだ?」 「…そうだよ」 見れば賀茂の顔は夕陽の名残ででもあるかのように赤く染まっている。 「なんで? なんでおれが言ったぐらいでその色にしたん?」 「だったらキミはどうしてぼくが似合うと言ったからってその色にしたんだ」 返されて近衛は言葉に詰まった。 「それは…」 それは賀茂のことが好きだから。 好きで好きでたまらないから。 賀茂が似合うと言ってくれたことが嬉しくて、その色に染めずにはいられなかったのだと、よう やくして近衛が照れつつも言うと、賀茂は更に顔を赤く染めてそれから言った。 「ぼくだって同じだ」 「え?」 「ぼくだってキミが―――」 好きだからとまでは賀茂は声に出しては言わなかった。 でもその表情が、常にない心許なげな肩が、それを雄弁に語っている。 「おれのこと…好き?」 「嫌いだっ!」 「おれのこと恋人だと思ってる?」 「だからぼくはキミの恋人じゃないと何度言ったら―」 賀茂が顔を赤く染めながら怒鳴った言葉は口づけで消された。 「近衛っ!」 「うん、わかった。わかったよ」 おまえはおれのことが嫌いで恋人じゃない。よくわかったからと言われて賀茂は一瞬傷ついた ような顔をした。 「でもおれはおまえのこと好きだし、恋人だと思ってるし、おまえの全部おれのもんだと思って る」 だからおれの似合うって言った色にしてくれて嬉しいと、てらいなく言われて賀茂は再び俯い てしまった。 「……………か?」 「ん?」 「ぼくの夏服は似合っているか?」 長い間俯いた後、耳たぶまで真っ赤に染めた賀茂がぽつりと言った。 「若草色は本当にぼくに―」 「似合ってる。前の白に浅黄も好きだったけど今度の色もすげえおまえに似合うと思う」 超美人最高といらない言葉まで付け足しながら近衛が言ったら賀茂は笑った。 それはひそやかな笑いだったけれど心からの嬉しそうな笑い声だった。 「キミも似合ってる」 「え?」 「キミもすごく似合っている」 ぼくの思っていた通りだと言われて近衛の顔も赤く染まった。 なんだ。 やっぱりこいつ―。 (おれのこと、とっても大好きなんじゃん) でもそれを口に出して言ったならばまた怒鳴りまくりの罵倒しまくりになるとよくわかっていた ので、近衛は「ありがとう」と素直に言うと賀茂の手を引いて屋敷の中へと導いた。 「こんな暗い中じゃよく見えないから屋敷の中でもう一度よく見せて」 それでもっておれのももう一度よく見てよと、指貫も狩袴も新しいんだからさと言うのに、つい 一言キツい言葉を言いたくなって、でも賀茂は結局苦笑したように頷くと、それから言った。 「わかった。灯りの下で見せてもらうよ」 ぼくの指貫と狩袴もキミによく見てもらいたいしねと、微笑みを交えて言われた言葉に近衛も 何か言いかけて、でも結局何も言わずただ赤い顔で賀茂の腕を引っ張ると乱暴に家の戸を 閉めたのだった。 |