七草囃子


「ななくさなずな、とうどのとりがわたらぬさきに―」

うとうとと眠りながら聞いた歌声は、澄んでいてとても美しかった。

「――あわせて、ばたくさ」

途切れ途切れに聞こえてくるのは人に聞かせるために歌っているわけでは無いからで、
けれど一緒に聞こえてくるトントンという物を刻むような音と合わさったその声は、近衛
の耳にたまらなく心地よかった。


「ばたくさ、ばたくさ」

(呪文みてぇ)

くすくすと笑いながらそう思い、またとろとろと眠って目覚めた時、近衛の目の前には
ちょこんといきなり盆に置かれた粥があった。


「え? 何だこれ???」

驚いて布団をはね除けて起きると、側にいた賀茂が呆れたような顔で自分を見ていた。

「今日は七草だろう。粥を食べて邪気を払わなければ…」

検非違使殿はそんなことも知らないのかと溜息まじりに言われて口先が尖る。

「七草くらいちゃんとわかってるって! ただ、まさかおまえんちで粥が出てくるなんて思
ってもいなかったから!」


「随分だな、陰陽に携わるぼくが大切な習わし事をないがしろにするとでも?」

「いや、そーゆーわけじゃないけどさ」

目の前の小さな朱塗りの椀からは、ふわり温かそうな湯気と美味そうな香りが漂って来る。

「…食っていい?」

「どうぞ」

静かに言って賀茂は近衛に椀と箸を差し出すと自分は近衛の前に座った。

「いただきます」

「おまえは食わないん?」

「ぼくはもう先に頂いたから」

「ふうん」

有難く押し頂くようにして近衛は湯気の立つ椀を持った。そして一口ずっとすすってそれか
ら即座に「美味い」と言う。


「美味い、すごく美味い。お代わりしてもいい?」

「まだ一口目なのに?」

いつもなら行儀が悪いとすぐさま近衛をしかりとばす賀茂が、何故か今日は機嫌良く、粥を
かっ込む近衛を見詰めている。


「本当にこれ、すごく美味い。おまえの式神ってこんなことも出来るんだな」

「まあね」

陰陽師って便利でいいよなと言いながら再び椀に口をつけた近衛は、けれどふと気が付い
て食べるのを止めて椀を床に置いた。


「どうした? 喉に黍でも詰まったか?」

「あ…いや……もしかしてさっきの歌声…」

近衛が言いかけた途端、賀茂の顔がさっと赤くなる。

「聞いたのか? いや、聞こえるわけが無い。あんな奥の部屋で、あんな小さな声だったのに」

「やっぱりおまえが歌ってたんだ!」

しまったと、滅多に表情を顔に表さない賀茂が、狼狽えたようにそれを顔に映すのを近衛は
初めて見た。


「知らない、歌なんて歌って無い!」

「でもあれって…粥を作る時の歌だよな?」

ずっとそんなもの聞いたことが無かったから忘れていたけれど、無病息災を願いながら粥に
入れる菜を刻む、その時に歌うのがあの七草囃子という歌だったのだ。


「これ、もしかしておれのために作ってくれた?」

湯気の立つ椀を持ち上げながら尋ねる。

「そしておれのために歌ってくれた?」

おれだけのために歌ってくれたんだ? と畳みかけるように尋ねたら、賀茂は近衛をじろりと
睨み、何か言いたげに口を開いたけれど、でも結局何も言えずにその口をそのまま閉じた。




「美味いよ、賀茂!」

「黙って食べろ」

「だって本当に美味いから!」

鍋一杯でも二杯でも食えちゃうかもしれないと、寝乱れた夜具の上にまだ行儀悪く座ったまま
で、近衛は粥を美味そうにすする。


「賀茂がおれのために作ってくれるなんて!」

すげえ感激というのに顔を思い切り顰める。

「キミのためなんかじゃない、大切な習わし事だったからだ!」

剣呑な口調で言いながら、賀茂はそれでも近衛に食べるなとは決して言わない。

何故ならそれは近衛が図星を指したように、恋しい人が無事に厄を逃れられるようにと、賀
茂が心を込めて歌いながら作った、生まれて初めての七草の粥だったからだった。


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※最初にすみません。七草囃子は平安時代には無いんです。江戸以降くらいから??
そして粥も今の七草粥と平安の頃の七草粥とで中身がごっちゃになっています。
ただひたすらに賀茂に歌いながら菜っ葉を刻ませたかったその一念で書いた話でした(^^;
いや、だって想像したら可愛かったんですもの(汗)
2009.1.7 しょうこ