飛び梅



嵐のように強い雨と風が続き、賀茂はずっと屋敷に籠もりきりになっていた。

春先の風には汚れが宿る。

身を汚しては正しい託宣も何も出来なくなってしまうので、ただひたすらに風雨が治るのを待つしか無い。

「しかし…それにしても今年は長い」

毎年いつもこの時期に同じように空は荒れる。

けれど今年は特に長く、いつまでも鬱陶しい空模様が続いていた。

賀茂がその整った顔を曇らせるのは努めを果たせないからというだけでなく、この天候で恋人が会いに
来られないからだ。


唯一無二、賀茂を恐れず通って来る近衛光は、都の検非違使で、まだ年若いながらその強さで知られ
ている。


その近衛が来ないのは天候にめげているからではもちろん無く、検非違使として汚れを払う仕事をしな
ければならないからだ。


風と雨は遠方から都に塵を運んで来る。それらが舞い飛び病や厄災をまき散らさないように片して回ら
なければならないのだ。


もうどれくらい顔を見ていないものか。

けれど今日もこの荒れ具合では会いに来れまい。そう思うとつい溜息が出る。

来たら来たで悪態ばかりついてしまい、優しい言葉のひとつもかけてやることは出来なかったけれど、そ
れでも賀茂は近衛が来るのを心から嬉しいと思っていた。


幼い頃から制約と孤独に縛られて来た、賀茂の唯一の生きる喜びが近衛だった。


「あと二日…もっと早く雲が散るか?」

水盤に映して占ってみても今ひとつ気が散っているのかはっきりと読めない。

巻紙を読む気持ちにもなれなかったので、早めに床を敷いて眠ることにした。



恋しい恋しいと思っていると夢に現われるものであるらしい。

賀茂は近衛の夢を見た。

都大路を歩いていると、すぐ前に近衛がいて忙しく立ち働いていた。

声をかけるのも躊躇われてじっと見詰めていると、ふいに近衛が顔をあげる。

『賀茂…』

ぱっと嬉しそうな顔になって、それから作ったようにしかつめらしい顔になる。

『ダメじゃん。こんな所にふらふら出て来ちゃ』

会いに来てくれたのは嬉しいけど、早く帰った方がいいと、そして空を振り仰いで言った。

『ほら、もう雲が大分千切れて空が見える』

明日はきっと晴れるだろうと。

『そうだ、うちの屋敷に梅が咲いたんだ。それを手折って土産にするよ』
『別にぼくは―』


何もいらない、そもそも会いに来たわけでも無いと横を向いた瞬間に、賀茂は、はっと床の中で目
を覚ました。


「やはり夢じゃないか」

一瞬、ほんの一瞬、近衛に会いたい気持ちが勝り、魂が体を抜け出して会いに行ったかと思ってし
まった。


「そんなこと…そこまでぼくは彼に思い入れてなんかいない」

けれどこんな夢を見たことを知られたら近衛がどれだけ調子づくか誰よりもよくわかっていたので、
言わずにいようと心に誓った。




二日後、あれほど荒れ狂っていた天気は治まり、空は朝から綺麗に晴れた。

「参内は…まだ明日でもいいか」

うっかりと外に出て汚れに触れたら大変なことになる。呼ばれてから出向くので構わないだろうと、
のんびりと構える。


そこに朝っぱらから騒々しく訪ねて来た者が居た。

「賀茂、賀茂、おはようっ」

そんな大声で呼ばなくても聞こえると思うのに、近衛は来ると必ず門前で賀茂を呼ぶ。

「…なんだ、朝から騒がしい」

「やっと努めが終わったからさ、早く賀茂に会いたくて来たんだ」

聞けばここ数日寝ずの仕事に駆り出され、明け方にようやく空が晴れてお役ご免になったのだと
いう。


「だからそれから大急ぎで屋敷に戻って湯浴みしてさ、服も着替えてここに来たんだ」

汚れを持ち込んだら大変だもんなと、その辺り、近衛はよく解っている。

「でも、それではキミは眠っていないんじゃないのか?」

別に呼んだわけでも無いのだから、ゆっくり休んでから来ればいいものをと気持ちとは裏腹につっ
けんどんに賀茂は言う。


「うん、でも今寝ちゃったらきっと明日の朝まで寝ちゃいそうだから」

その前に約束を果たしに来たと、そしてはいと後ろ手に隠していたものを賀茂に差し出す。

それは綺麗に花を開いた梅の一枝。

「これ―」
「この前、約束しただろう? 土産に持って行くからって」


にっこりと近衛が微笑むのに賀茂は黙って俯いた。

恋しい想いは地を駆ける。

「会いに来てくれてありがとうな」
「ぼくは別にキミに会いになんか―」


今更恥ずかしくて言い訳も出来ない。

そうかそれではやはりあれは夢では無かったのだ――。

「いい香りだろう?」

最早何を言うことも出来ず、賀茂は近衛から梅の枝を受け取ると、更に深く俯いて静かにその顔と
首筋を鮮やかな紅に染めたのだった。



※久しぶりにコノカモ。拍手でリクエスト下さった方、ありがとうございました。あれ見て急に書きたくなって書いてしまいました。
いやーコノカモ好きだわー。2011.2.28 しょうこ