いけにえの羊
嫌な夢を見た。
おれは罪人として引っ立てられていて、裁かれることも無く殺されようとしている。
そのおれの目の前に塔矢が連れて来られ、裁くべき人々にこう告げられている。
『この男を救いたければ代わりにその身を差し出すがいい』
塔矢はなんのためらいも無く、言われた通りに身を投げ出した。
『塔矢!』
叫ぶおれの方を見ることも無く、けれどその顔には恐れも何も浮かんではいなかった。
『塔矢っ』
再び叫んだその時に、やっと塔矢はおれを見て、何か話そうとしたけれどその瞬間に、
はだけられた塔矢の体には幾つもの刃が埋まっていた。
わあっと、おれは泣きながら叫んだ。
喉が切れて血が迸るのでは無いかと思うくらい、何度も何度も叫び続けた。
起きた後も喉の奥に鉄臭い血の味が残るような生々しい夢。
おれは全身びっしょりと汗をかきながら、両手で顔を覆うとうめき声をあげずにはい
られなかった。
―そうなるまでには色々あって、自分の力ではどうにもならない物事に絶望したり憤っ
たり嘆いたりもしたものだけれど、その日になってしまうと逆に気持ちは落ち着いてい
た。
落ち着くと言うか、無感覚に近いものになるかもしれない。
「…無口なんだな」
時間までの手持ち無沙汰に目の前の紙コップを弄んでいたら、目の前の塔矢にぽつ
りと言われた。
「別に…無口もクソも無いけど…」
楽しくおまえとおしゃべりするって気分でも無いじゃんかと言ったら苦笑された。
「そうだけど、でもキミがあまりにも喋らないと不気味だ」
「そういうおまえも喋らないじゃねーかよ」
「ぼくはただ考えていただけだ」
「何を?」
「さあ…なんだろうね」
謎めいた言い方をして、でも口元には微かに笑みのようなものを浮かべる。
ドアの向こうはざわざわとしていて、ホテルの控え室って言うのは結構安普請なんだ
なと変なことをおれは考えていた。
「思っていたより人が集まっているみたいだよね」
同じようにドアの方を見ていた塔矢がまたぽつりと言う。
「そりゃ来るだろ。おれ達結構悪目立ちしてたし」
「キミだけだ。ぼくは別にそんなに取り上げられていたわけじゃない」
「おまえだろ、最近じゃ碁以外で追っかけとかかなり居たじゃんか」
近年、何がどういうふうに持てはやされるものかわからないものだけれど、おれも塔
矢も碁以外の世界で取り上げられることが多くなっていた。
最初は塔矢、次におれ。
若手でタイトルを複数獲ったことと、多少見栄えが良かったことでアイドル的な見出し
をつけられてメディアに顔を出すことが多くなっていた。
「おれ…記者会見なんて芸能人だけがするもんだと思ってた」
「今、特別に事件も何も無いからね、格好の材料だったんじゃないかな」
若手でタイトルホルダーで親友同士。
そのおれらが実は同性愛者だった―というのが週刊誌ですっぱ抜かれて早一週間。
どんなタイトル戦でもこれほどは取材を受けたことが無いというくらいおれ達はメディ
アに追い回されていた。
挙げ句、あまりに騒ぎが広がりすぎて収集がつかなくなってしまったので記者会見を
することになってしまった。
もちろん同性愛者だということを否定するためにである。
「おまえシナリオ読んで来た?」
「ああ、あの坂巻さんが考えてくれた台本ね。一応目を通して来たよ」
週刊誌にすっぱ抜かれたのはおれ達が暗闇でキスしている写真とホテルに出入り
している所。
それだけならば何とか誤魔化しがきくだろうと、酔った挙げ句の戯れと、苦しいこと
は苦しいけれど、言い訳の台本を渡されてしまったというわけだ。
『いいね、君達に憧れて囲碁を始めた子供達も居る、その子ども達の夢を壊すこと
が無いようにくれぐれもクリーンなイメージを崩さないで欲しい』
清潔に親友同士としての存在をアピールして来いと、それはほとんど命令で、逆ら
えばどうなるのかはおれ達にもわからない。
でも逆らったならばそれなりの処遇を覚悟しろというニュアンスは言葉の端々に現
われていた。
「『あの日はたまたま飲み過ぎちゃって…おれ、酔っぱらうと誰彼構わずキスするキ
ス魔なんですよ』…か」
「陳腐だな」
返す塔矢はにべも無い。
「こんな小学校の学芸会みたいなので納得して貰えるもんなのかな」
「どうだろうね、キミ…演技力はあまり無いようだし」
バレバレかもしれないねと、塔矢はまるで他人事のように言う。
「おまえさあ…なんかおれに冷たくねえ?」
「さあ、気のせいだろう」
「気のせいじゃ無いって。バレてからずっとすげえ冷たい。やっぱ、こんなことになっ
たのを後悔してんの?」
おれのせいだって恨んでいるのかと言ったらにこりともしない顔で睨まれてしまった。
「後悔? ぼくが?」
しているのはキミだろうと言ってまっすぐにおれを見る。
「ぼく達のことが知れてから、キミの顔色は死人みたいだ」
「それは…だって…」
「ぼくの方こそキミに問いたい。こんなことになったことをやっぱりキミは後悔してい
るのか?」
「してねーよ、こんなふうな騒ぎになったのは正直まいったと思ってるけど…」
「だったら何でそんな表情をしている。今日のキミは全てを後悔して無かったことに
したいと思っているみたいだ」
塔矢の言葉は静かだったけれど、おれの心を射貫くような何かがあった。
「…違うよ、ただおれは…」
夕べの夢見が悪かったから、それで気持ちが晴れないんだよと言ったら塔矢は心
なし眉を持ち上げた。
「夢…か、その夢でぼくは死にでもしたのか?」
「え?」
ドキリとした。
「図星か…キミはまったく解りやすいな」
「なんだよ、わかりやすいって」
「言葉通りだ。キミは色々なことを素直に受け止め過ぎると言っているんだ」
ドアの向こうのざわめきが心なし大きくなったような気がする。記者会見の準備が
整ったのかもしれない。
「キミがどんな夢を見たのか知らないけれど―」
塔矢が言いかけた時にドアがノックされた。
「あの…お時間ですのでいらしてください」
「はい」
短く返事をしたのは塔矢で、塔矢は立ち上がるとおれを見詰めてこう言った。
「キミがどんな夢を見たのかぼくは知らない。夢の中のぼくが何をしたのかもぼく
は知らないけれど、一つだけキミに言っておく。ぼくには自己犠牲の精神は無い
から」
「自己犠牲って…」
「キミのことだ、きっとそんな夢でも見たんだろう。ぼくがキミのために命を投げ出
すような」
「あ………うん」
「ぼくはそんなことはしない。キミのために死ぬなんてことは絶対にしないよ」
ぼくはぼくの望み、やりたいことのためにのみ生きて死ぬ。間違ってもキミの犠
牲になんかなったりしないからそこを間違えるなと塔矢は言うのだった。
「おまえ…」
「ぼくはあの台本通りに喋ったりしないよ」
「って…ええっ?」
「どうしてあんな陳腐な芝居をしなければならないんだ。そんなことはご免だね」
そしておれを見据えると突き放すように言った。
「キミが芝居をしたいのならキミ一人ですればいい。でもぼくは真実しか言わな
い」
例えそれで何を失ってどんなことになろうとも、ぼくはぼくのやり方を通させて貰
うよと言ってそれから笑ったのだった。
「ぼくはキミを愛している。それを…隠す気持ちなんか無い」
「塔矢…」
「ぼくはぼくの得たい物を我慢なんか絶対にしない。例えそれでキミが傷つくこと
になったとしてもそれで躊躇なんかしないよ」
「おまえ…ひでえ…」
「非道くなんか無い。正直なだけだ」
さあキミはどうすると塔矢の目が言っていた。
偽りに生きるのか正直に欲望のままに生きるのか。
キミはぼくをどうするつもりなのだと、それは何故か聞き損ねた夢の中の塔矢の
言葉のように思えた。
「だったらおれもおまえのことなんか気にしない」
欲のままに素直に欲しいものを欲しいと声に出して言おう。
「だっておれもおまえのことを愛してるから」
掛け替えのないたった一つ。
塔矢しかおれは欲しく無いからそのために他の何を犠牲にしてもいいと思った。
おれ自身もそして塔矢も。
犠牲にしても得て離さない。
そのためにおれ達は喜んで贄の羊になろう。
幾つもの刃を突き立てられ、身を裂かれても望みを貫き通すために。
「塔矢さん、進藤さん―」
呼ぶ声に弾かれるようにおれも椅子から立ち上がる。
弄んでいた紙コップをくず入れに投げ捨て、先にドアの前に居た塔矢の腕を取
ると、塔矢はおれを振り返り、それから今日初めて心からの笑みでおれに微笑
んだのだった。
※潔く格好良く生きて行こう〜♪というわけで、私にとって塔矢アキラという人は常に潔く格好良く生きている人です。
そうあって欲しいと言うか、そういう人だからこんなにも好きなんだと言うか。
ヒカルと二人で何があっても貫いて生きていって欲しいです。
2010.1.2 しょうこ