Cat nip
なにをどう間違ってそうなったのかわからないけれど、朝目覚めたら頭にもう一組の耳が
ついていた。
最初、それがわからなくてバカによく音が聞こえるなあと、いや聞こえすぎでうるさいくらい
だと思い、今日は騒がしい日なんだなとぼんやりと明後日なことを考えていた。
それが顔を洗うために洗面所に行って鏡を見た途端、どうしてなのかわかったのだった。
頭の上に本来の耳とは別の耳がついている。
ふわりとした毛に覆われたそれはどう見ても猫で、ああ進藤がまた悪戯してつけたんだなと
最初は思った。
悪戯好きの彼は東急ハンズなどでよくそういうジョークグッズを買ってきてはぼくにつけよう
と虎視眈々と狙っている。
彼の側で居眠りした時には某か悪戯がされている場合が多く、だから目覚めた後は鏡を見
てチェックしてからでなければ出かけないように心がけていたのだが。
(今回は手が込んでいるな)
いない時に忍び込んでまでこんなことをするとは本当に油断が出来ないと思った。
「とにかく…こんなものをつけていたら仕事にならない」
半分怒り、半分呆れつつその「つけ耳」を取ろうと無造作に掴んだぼくは次の瞬間あまりの
痛さに叫び声をあげた。
「――――痛っ」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
このくだらないものをさっさと取ってしまおうと手でむしり取ろうとしただけなのに信じられない
くらいの痛みが走ったのだ。
「…髪に絡んでしまっているのかな」
今度は恐る恐る触れてみて、それでも取れないので少し強く引っ張ってみたぼくはやっぱり
耳が取れないのでため息をついた。
「まさか接着剤でつけてあるんじゃないだろうな…」
よく見かけるカチューシャタイプのものでは無く、ピンで留めてあるわけでも無い。
それでは直接地肌につけてあるのかと、進藤の非常識さに腹を立てながら、どんなふうにつ
いているのか確かめようと髪を分けて見た時にぼくの指ははたと止った。
「生えてる…」
その耳はどう見ても地肌から生えているようなのだった。
(まさか)
荒唐無稽にも程がある。
漫画や映画ではあるまいし人の頭に猫の耳が生えることなどあり得ないと、そう思いながらぼ
くは何度も引っ張ったり地肌をまさぐってみたり色々とした。
して、それでも取れなくて1時間後、どうやら本当に生えているらしいとぼくは認めざるを得なか
ったのだった。
「…どうしてこんなことに」
顎の付け根、本来の場所に耳はちゃんとついている。ちゃんと音も聞こえているし何も変わり無
いと思う。
けれど指でたどればその上に、ぴんと立った柔らかい猫の耳もついているのだった。
「――――――信じられない」
思いついて力を入れてみるとその耳はふるりと震えた。
(神経が通っているんだ)
そう思った瞬間に観念したような気持ちになった。
どういう仕組みや原因でこうなったのかはわからないけれど、ぼくの耳には新しく一組猫の耳がつ
いたと、それを認めなければならないなとそう思ったのだった。
「…取りあえずは、今日の仕事をどうしよう」
今日は個人宅へ指導碁に行く予定になっていたからだ。
(でも、あのお宅はお父さんの頃からの長い付き合いだし)
風邪ということでお断りしようと。
「後は雑誌の取材か…」
指導碁の後、雑誌の取材を受けるために棋院に行くことになっていたのだ。今日の取材は若手特
集ということで、進藤と他何人かの棋士と受けることになっていた。
「これは風邪で欠席…というわけにはいかないか」
自分だけだったら別の日に設定し直してもらうことは出来る。でも他の棋士たちもということになると
全員のスケジュールを合わせるのは大変な手間をかけることになってしまう。
「仕方ない、一時間か二時間だけだしなんとかなるだろう」
冬にスキーに行った時の毛糸の帽子があった。あれを被って行こうと頭の中でシュミレーションをす
るとぼくは気を取り直して出かける準備を始めたのだった。
「―では、どうかお大事になさってください」
「すみません。じゃあ来週に」
指導碁先への断りは思っていた通り簡単に済んだ。
しかし取材の方はさすがに思っていた通り…というわけにはいかなかったのだった。
「あれー塔矢くん。珍しいじゃない帽子なんか被って」
言われるかなと思ったけれど、取材のための部屋に入る前にもうエレベーターの中でかち合った職員
に言われてしまった。
「あ…ちょっと風邪気味で頭痛がするものですから」
頭を冷やしたくなくてと言ったら、少し不審そうではあったものの一応納得してもらえたのでぼくはほっ
とした。
けれど、いざ取材ということで皆が集まり始めたらそんなことでは済まなかった。
「えー?なんで帽子?????いや、カワイイけどさぁ」
最初につっかかってきたのは進藤で、それは予想していたものの、でも近寄られてじろじろ見られるの
で困ったしまった。
「おれ塔矢が帽子なんざかぶってんの初めて見たわ」
素直に驚いているのは和谷くんで、気を遣うタイプの伊角さんは「珍しいけど似合うよ」とだけ言ってくれ
た。
「でも、なんつーかさー、なんかおまえじゃねーみたいなんだけど」
他の人間は驚いたり不審そうにしながらも見ているだけで済ませてくれるのに、進藤は触れようとして
くるのでぼくはひやひやしてしまった。
「いくら風邪ってってさ、この部屋暖房効いてるし、取った方がいいんじゃねー???」
そう言って頭に手を伸ばしてきたので思わずぴしっと払ってしまった。
「さっ、触るなっ」
それが思いがけず大きな声になってしまったので、皆は驚いたようにぼくを見た。
「って、なんでそんなに嫌がるわけ?」
いつも気安く触ってくる分、払われて腹が立ったのだろう進藤が思い切りむっとした顔になった。
「こんな部屋の中で帽子なんか誰も被らないだろ、ってまさかそれどこかの女の手編みじゃないだろうな…」
あー、怪しいなあと和谷くんが茶化すように言ったために、進藤は余計に触らずにはいられなくなったようで
はっきりとぼくの帽子をむしり取ろうとした。
「どこかイニシャルでも入ってんじゃねーのか?」
「やっ、やめろってば」
こんな所で取られては大変なことになると抵抗したのがまた悪かったのかもしれない、進藤は力ずくでも帽
子を取ろうとムキになって迫ってきた。
「いい加減にしろっ、やめないと…」
「やめないと?」
させないとか、別れるとか思わず口にしそうになった言葉は皆の前であるということで喉の奥に飲み込まれ
た。
「やめないとなんだよ、言ってみろよ」
「やめないと…ぜっ…絶交するぞっ」
我ながらやっと出た言葉がそれだけで、言った瞬間ぼくは顔が真っ赤に染まるのを感じた。
「まあまあ、進藤もそんなムキにならないで」
見かねた伊角さんがなだめるように言った時、ちょうどタイミングよく古瀬村さんと、雑誌の記者が部屋に入
って来た。
「すみませんねみなさん、お待たせして……」
言いかけた古瀬村さんは一同をぐるりと見渡してからぼくの所でぴたりと止った。
「えーと、塔矢くん?」
「はい」
「その帽子…どうしたの」
「ちょっと風邪気味で頭痛が非道いものですから」
頭を冷やしたくなくて被っているのだと、そう言ったら古瀬村さんの顔は見る見る渋くなった。
「村木さん、ちょっとこれはダメですよねぇ」
振り返り言う雑誌記者は、ぼくを見ると軽く頷いた。
「そうですね写真も撮りますのでその間だけでも取っていただかないと」
「取らないとダメ…ですか?」
「棋士というイメージでは無くなってしまいますから」
芸能人だったら別にかまわないんですがと言われて確かにそうだと自分でも思う。いつもはスーツなのを
一応帽子に合わせてカジュアルなシャツとジャケットにしたのだけれど、そういうことでは無いのだ。
「ほら、『棋士心得』にも服装のことが書いてあるでしょう? これから囲碁をやろうって人も見るわけだし」
あんまりくだけたものは困ると、言われてぼくは困ってしまった。
「でも本当に頭痛が非道くて…取ると…ダメなんですけど」
「って本当は女にもらったくせに」
ぼそっと進藤が言うのについまた大声で言ってしまった。
「違うっ!ぼくは本当に頭痛がっ!」
「んなわけねーだろうっ!」
和谷くんたちはおかしそうにながめるだけど止めるつもりは無いらしく、すわ喧嘩になりそうな所を古瀬村さ
んがため息をつきつつ遮った。
「じゃあ、取材はそのままでいいけど、撮影の時だけは取ってもらうってことでいいかな」
「…はい」
既に時間がおしてしまっている以上、ごねることも出来なくてぼくは渋々頷いたのだった。
「じゃあ、今後の豊富も伺ったことだし、そろそろ撮影に入りましょうか」
小一時間ばかり取材された後、とうとう恐れていた撮影になってしまった。撮影と言ってモデルでは無いので
椅子に座った所を数枚撮られるだけで、本来ならすぐに終わってしまう類のものだった。
実際、皆の写真はすぐに撮り終わってしまい後はぼくの写真を撮るだけとなってしまったのだけれどやはりぼ
くはどうしても帽子を取ることが出来なくて、窮地に立たされてしまったのだった。
「塔矢くん、ちょっとだけでいいから」
「そんな頭痛が非道いんだったら事務室で頭痛薬をもらってきてあげようか」
伊角さんはそう言って心配そうに言ってくれたけれど、進藤は相変わらずむくれたままで「違うだろ、女からも
らったんだろ」を繰り返していた。
「どーせ誰かからもらって、それでもってそれで写真に写るとでも言っちまったんだろ」
おまえ変に几帳面だから、その約束破るのが嫌なんだろうと、いくらぼくが違うと言っても聞く耳を持たなかっ
た。
「じゃあ違うって言うんなら少しぐらい帽子なんか取りゃいいじゃん。いつまでもごねてるなんてらしくない。おま
えプロだろ!」
てめえの我が儘で皆に迷惑かけんなよと言われて、悔しさのあまり顔が赤く染まった。
「…古瀬村さん」
「はっ、はいっ」
「村木さんもすみません。ぼくの写真だけ後日取り直しということにしてもらえないでしょうか」
ぼくの方から出向くからと、数日欲しいと言ったら二人はすっかり困ったような顔になってしまった。
「ねー…塔矢くんなんでそんなに」
「じっ、実は、かっ…髪を変なふうに切られてしまったんです。普段行かない所で切ったら、眠っているうちに
人に見せられないようなそんな頭にされてしまって…だから、すみません」
頭痛なんて嘘ついてすみませんでしたと、でももうそれ以上言葉を続けることはできなくて、ぼくは皆があっけ
にとられている中、逃げるように部屋を飛び出したのだった。
「待てよ」
恥ずかしさと仕事に自分の都合を持ち込んだ後味の悪さから、半分泣きべそをかいたようになって歩いてい
たぼくは、すぐに進藤に追いつかれてしまった。
「塔矢、ごめん」
「うるさい」
追いつかれてエレベーターに閉じこめられるのが嫌で階段を使ったのだけれどそれが逆に出てしまった。
降りる足音を聞きつけた進藤はまっすぐに階段を駆け下りてくると、逃げるぼくの腕を掴んで止めた。
「ごめんっ、おれ知らなくて非道いこと言った」
「いいよ、もう別に」
結局うまく誤魔化すことは出来なかったし、後味の悪いことになってしまった。進藤がごねたせいもあるけれ
ど、でもそれはぼく自身が上手に言い抜けられなかったからなのだ。
「よくないって、ごめん」
ぐいと力強く腕を引かれ、そのまま壁に押しつけられた。
「なんだ。今更何か言いたいことでもあるのか?」
「あ…いや、なんて言ったらいいのかな。おまえもしかして…」
ハゲになった?と小さな声で尋ねられて、「ばっ」と怒鳴りかけてしまった。
「そ、そんなんじゃない」
「でも、それに近いくらいになってんじゃない?」
進藤は顔を背けるぼくの顔を追いかけるように見つめて逃がしてくれない。
「そんなんじゃ…」
かっと顔が赤くなるのを肯定と受け止めたらしい、進藤は一瞬黙ると真剣な顔になって言った。
「あ、あのさ。おれ別におまえがハゲでもなんでも平気だよ? 気持ち変わらないし、どんなすげー頭になっ
てても愛は変わらないって言うか…」
「違うっ!」
「だからいいって、おれにまで意地はんなくても。おれおまえがどんな姿になっても変わらずにカワイイと思
うし、ハゲもストイックでいいって言うか…むしろそそるっ言うか」
「だから違うと言っているだろう。ぼくはハゲてなんかいないっ」
「もう、意地はるなって言ってるだろ」
「あー、もう!なんでキミはそう人の話を聞かないんだっ。ぼくは本当にハゲてなんかいないっ、ただ猫耳が
頭に生えてきただけだっ!」
一気に叩きつけるように言って帽子をむしり取る。
―――――――えっと、進藤が大きく目を見開いたのがわかった。
「おまえ……それ」
しまったと思った。
隠しておくつもりだったのに自分から秘密を打ち明けてしまった。
いくら進藤が柔軟な性格でも、いきなり恋人の頭にどう見ても猫の耳が生えてきたと知ったらショックを受け
るだろうと、慌ててフォローしようとした時に進藤が言った。
「っっっっっすっげーーーーーかわいいじゃん! なんで隠しておくんだよ勿体ない」
そう言って飛びついてくるようにぼくの側に来ると、まじまじとぼくの耳を見つめたのだった。
結果的に言えば、進藤はぼくの頭に余分についた耳に関しては全くOKだった。
気にしないどころか、むしろ気に入ったらしい。帽子で隠すのを惜しむように、いつまでもいつまでも見たが
った。
「いいじゃんあれで。取材の写真撮れば」
「こんな姿で写れるわけないだろう! 一体なんて説明したらいいのかもわからないのに」
「えー?でもこれマジでかわいいけど。おまえによく似合っているし」
なんだかんだ言いつつ家までついてきた進藤は、やっと人目から解放されたぼくが帽子を脱いだ時からずっと
もう頭の上を見っぱなしだった。
「なあ、それ耳だけ?しっぽとかは―」
「ついていないよ。別に猫人間になったわけじゃないんだし」
「…猫人間て」
ぼくのボキャブラリーの貧しさに苦笑しながら、進藤はそっと耳に手を伸ばしてきた。
「ちょっとだけ…触ってもいい?」
「なんで?」
「なんでってことも無いんだけど……触りたい」
まだおれの知らないおまえだから触ってみたいんだと、言われて嫌とは言えなかった。
「あまり―強くは触らないで欲しい。痛いんだ」
「痛い? そっか。わかった」
釘を刺したせいか、おそるおそる伸ばされた指は、本当にそうっとぼくの耳に触れた。
本来の人間の耳に触れる時は、時に噛んだりもするのに、今日はまるで壊れ物のように触れるか触れな
いかの微妙な加減で触ってくる。
ちょいと先端に触れられて、思わずぼくは身震いをしてしまった。
人間の耳と比べて猫の耳は敏感だ。ほんの少し触れただけで、足の先まで伝わるほどの震えが走った。
「あっ」
びくりと身を震わせたのを見て、進藤が慌てて手を引っ込める。
「ごめん、痛かった?」
「いや、そうじゃないんだけど」
背中がぞくっとしたと言ったら進藤は微妙に赤くなった。
「ごめん、気をつける」
「大丈夫だよ、少し驚いただけだから」
彼の指。
慣れているはずなのに、あんなに体に感じるものなのだと、それがとても不思議だった。
「め、メシでも食おうか」
「うん、そうだね。何か作ってもいいけれど、なんだか疲れてしまったし出前にしようか」
「おれ、なんでもいいけど親子丼」
なんだなんでも良くないじゃないかと笑いながら、その後は二人仲良く出前の親子丼を食べて、それから
一局打った。
打った後は丁寧に検討をして、それからそれぞれ風呂に入った。
前はそうでも無かったけれど、今はもう進藤が家に来るということはそのまま泊まることを意味するので、
そのまま二人分布団も敷いてしまって、それから寝る前にもう一局打とうかということになった。
さきほどまでとは違い、満腹で風呂にも入り、体も程よく温まっているので少しくだけた感じになる。
だらだらとまではいかないけれど、ちゃんとした真剣勝負という感じではなく、遊び要素の多い、楽しんで
打つ「碁」になっていった。
「ふーん、若先生はそこでそこに置いちゃうんだ?」
「若先生って言うのはよせ」
「だっておまえ、碁会所のじーさんたちにはそう呼ばれてんじゃん」
「じゃあぼくもキミのことを坊主って呼ぶよ。桑原先生にそう呼ばれていたろう?」
「げっ冗談じゃないお前にそんなふうに呼ばれたらさぶいぼ立つ」
「ぼくだって同じだよ」
くすくすと笑いあいながら、一手、一手と置いていく。
「ここで右スミを攻めるよりも、中央の薄みに手を入れた方がいいと思うんだよな」
「でも、だからって放っておいたら後で痛い目を見るぞ」
ぱちり、ぱちりと、くつろいだ気分で石を置いていたら、ふいに進藤の手が止った。
「どうした?」
見ているのはまたぼくの頭の上で。
「あのさー、また触らせてって言ったらヤだ?」
「え……………いや、いいけど……なんで?」
「なんでって、さっきと同じだよ。ただおまえに触りたいだけ」
なんかさ、おまえが考える時、見てたらその耳ぴくぴく動くんだよなと、指さして。
「ため息ついたらちょっと伏せたりして、なんか…なんかすげーカワイイって」
「そんな…いいものじゃないよ」
「んー、でももう一回触りたい。ダメ?」
ねだるように言われて、ずいと迫ってこられてしまいぼくは赤くなった。
「いいよ。もう…一回だけなら」
「ほんと?じゃあここ来て」
いいと言った途端、進藤は敷いてあった布団の上にいざって行くと座り、ぽんぽんと自分の
膝を叩いた。
「――なっ」
「ここ、来てここ」
膝に頭を乗せろと言われて、恥ずかしさのあまり怒鳴ってやろうかと思った。
「な、なんでぼくがキミにっ」
「だって座ったままだとさわりにくいし、これだったらおまえも疲れないじゃん」
「そ、それは…そうだけど」
でもひざまくらなんて、進藤にしたことはあってもされたことは無い。無いというかそんな恥ず
かしいシチュエーションはどうにも耐えられなくて、してやると言われてもずっと突っぱねてき
たのだった。
「いいじゃん、風呂入ったから少しだるいだろ。なんだったらそのまま寝ちゃってくれてもいいし」
「寝ないよ…」
そんなだらしなく寝るつもりは無かったけれど、でもだるいのは本当だったので、素直に進藤の
膝に頭を乗せることにした。
「…重くない?」
「全然」
わーおまえの髪さらさらだと、嬉しそうに言われて髪を指で掬われてなんとも言えない気恥ずか
しい気持ちになった。
「耳…触るから」
さっき過敏に反応したことを進藤はちゃんと覚えていて、わざわざ触れる前、ぼくに断りを入れ
てきた。
「いいよ」
そう答えるのと同時にそっと指がぼくの新しい耳をうぶ毛を撫でるようにして触ったのだった。
「うーおまえの耳、柔らかい」
「そう?」
何度も何度もなぞられて、敏感な毛肌が震えるのがわかる。
「おれんちの近くにもさ、猫、たくさんいるんだけどこういう感触じゃ無かったな」
「猫?」
「うん。近所で飼ってるうちが結構多くて、うちの庭もよく通って行ったりするんだけど、こんな柔
らかい感じじゃなかった」
最も嫌がられてすぐ逃げちゃうから本当の所はよくわからないんだけれどと付け加えて進藤は
笑った。
「うん。でもやっぱ違う。これ、猫の耳みたいだけど違うんだな。お前の…耳なんだ」
こちょこちょとくすぐるように今度は内側に触れられて、思わずびくりと跳ねてしまった。
「あ、ごめん。痛い?」
「いや、痛くは無いんだけど」
たまらない。じっとしているのが耐えられないようなじれったさに近い感覚が体の中で起こる。
「くすぐったいって言うか…っ」
「…くすぐったい…の?」
確かめるようにもう一度触れられて、今度は「あふっ」と声が出てしまった。
堪えたの堪えきれず、それに息が混ざった感じだった。
「塔…矢?」
「ごめん、やっぱり触らない…で」
耳をいじられると、どうにも耐え難いぞくぞくとした震えが体に走るのだ。
「なんで? もしかしておまえ―」
言いながら進藤がくいっと指を深く耳の奥に忍び込ませた。その瞬間の感覚。どう言ったらい
いのかわからない。
ただ気がついた時には大きく背を仰け反らせ、ぼくはまるでしている時のようなあられもない声
をあげていた。
「――――――っ、ああっ」
似ていると思わないでも無かった。
耳と、そこに生えているやわらかい産毛を扱かれる時、まるでモノを扱かれているかのような甘
い疼きが起こって、それはそのままぼくに性的なうねりをもたらした。
「あっ、は……あっ」
あまりに強い感覚に、しばらく息がまともにつけなかった。
「…やっぱ、いいんだ」
少ししてぽつりと進藤が言った。
「もしかしたらって思ったんだけど、やっぱここ…」
くりっと裏返すように耳をいじられて、再び耐え難い刺激にぼくは叫び声を上げた。
「や、やめてっ…やめてくれ進藤」
敏感になった時の張りつめたそれだけを執拗にいじられているかのような、そんな耐え難い感覚に
息が詰まりそうになる。
「って、好きなヤツがそんな声上げてんのに、やめられるヤツなんかいるかっての!」
くりっ、くりっと耳の内側をなぞられて、あまりの快感の強さにぼくはもう声もあげられなくなっていた。
「は…ふ…ぅ」
「こーゆーことしたらもっと感じるかな?」
言って進藤は猫耳を弄びつつ、ぺろりと首筋を舐め上げた。
「あっ」
漏らすまいと思ってもどうしても淫らな息が漏れる。
「おまえ、いつもあんまり声とかに出してくんないからちょっと新鮮♪」
進藤は明らかにこの状況を喜んでおり、ぼくの反応に非道く煽られているようだった。
「やめっ……進藤…」
「やだ。こんなカワイイ声、次にいつ聞かせてもらえるかわかんないもん」
ぐりっとひときわ強く耳の内側をなぞると、進藤は再び首筋を舐め、人としての本来の耳にたどり着
くと、かぷっと噛みついたのだった。
「……ひっ」
今までの比では無い強いうねりが起こった。
進藤は甘噛みとでも言うように、痛みを感じる一歩手前くらいの強さでぼくの耳朶を嬲った。
舌で舐め、軽く歯を立てながら同時に頭の上、猫耳への愛撫の手も止めない。
「は……やっ……やだ……っ」
涙が目尻に浮かぶ程のそれは快感だった。
「あっ……やっ、進藤…やめっ……」
ぐりぐりといじられる。それが非道く快感で、時に強く舌で歯で弄ばれるそれもまた快感だった。
「進藤……あっ……ああっ」
執拗に、執拗に二箇所の耳を嬲られるうちに、どうしようもなく体が熱くなって腰が浮いた。
「いやっ……あっ」
仰け反りたくて、でも今度はしっかりと進藤に体を押さえられてしまいそれも出来ず、ぼくはのたうつよ
うに何度も体を波打たせた。
そして。
「あ……やっ」
ぐっと再び猫耳の奥へと人差し指を突っ込まれて、ぼくは達してしまったのだった。
「最低―――」
まだ荒い息の下、余韻の涙が目尻からこぼれた。
今まで何度も体を重ねてきたけれども、性器への直接的でない愛撫だけでイッてしまったのは今日が初
めてだった。
「塔矢…気持ちよかった?」
「……」
知るかという気分だった。
こんな、まだ体中に快感の欠片が残るような愛撫はもう二度とされたくない。
自分が自分でなくなるような、もう何もどうでも良くなるような、そんな感覚は全く持って自分自身ではあり
得ない。
「こんな……耳がついただけで……ケダモノ並だ」
繋がりたくてたまらない。挿れられたくて自ら腰を振ってしまいそうな、そんな淫らさが憎かった。
「もしかしなくてもさー、発情期って…そんな感じなんじゃん?」
進藤は脱力したぼくの体をまだ離さずに、首筋から胸へと舌で辿りつづけている。
「こんなふうにさ、なりふり構わずしたくって、体中が熱くなる。そんな感じなんじゃないのかな」
「キミは一年中そうじゃないか」
彼のせいでは無いのに、どうしても腹が立って仕方なくて、つい憎まれ口をきいてしまった。
「一年中したくて発情しっぱなしじゃないか」
「うん。そうだけどさ、おまえは違うじゃん?」
おれ、本当はちょっとおまえにこんな感じになって欲しかったかもと、言われてえっと思った。
「なんて言うかさー、おまえしてる最中でも、理性を捨てられないんだよな。感じてても頭のすみっこでなん
か考えちゃってる」
「それが……嫌だった?」
「嫌ってわけじゃないけど、もっとおれに」
おれに溺れて欲しかったかなと、言って進藤は照れたようにぼくをきゅっと抱きしめた。
「もっとおれのこと好きになってよ」
「好きだよ」
「違う、今みたいにさ気持ち良すぎて涙出るくらい、そんくらいおれのこと好きになって」
おれに夢中になってよと、すりと頭をすり寄せられてなんだか胸が温かくなった。
「…夢中だよ、ぼくは」
「え?」
「ずっとキミになりふりかまわないぐらい夢中だよ」
ただ、それを表に出さずにいただけで、いつだってキミに夢中だったよと言ったら進藤は嬉しそうに笑
った。
「マジ?」
「…ん。本当」
さわっと頭の上に手が伸ばされる。
「じゃあこれからも、今みたいに隠さないでおれにカワイイ声聞かせてくれる?」
「それは…」
「おれのこと好きって…だったら今みたいな顔も隠さないで見せてくれよな」
「どんな…顔?」
再びいじられ始めた耳への快感に身を細かく震わせながら答えると、進藤はぐいっと弄ぶ指に力を入
れた。
「――――あっ」
「どんなって、今みたいな、おれのこと好きで好きでたまらないって顔だよ」
結局そのまま止められ無くなって最後までしてしまった。
それこそケダモノみたいだと思ったものの、そのぐらいの方がいいと進藤が言うのでつい流されてしま
った。
新しくついた耳は相変わらず触れられると体に震えが起こり、微妙な気持ちの良さを引き出す。
それにびくりと反応するのが進藤は嬉しいらしく、終わった後もなんとなく気怠く、布団の上に横たわりな
がらぼくはずっと進藤に耳を弄ばれ続けた。
「気持ちいい?」
今はもう行為の途中のように、ぐいぐいと強く扱くようなさわり方はせず、そっと産毛を撫でるように触れて
くれているので純粋に心地よかった。
「うん…とても気持ちがいい」
「そっか、良かった」
裸で緩く抱き合って、でもぼくの頭には猫耳がついていて、それはなんだかやはりとても変だと思ったけれ
ど、何故かとても安心できた。
「おまえさー、この耳どうすんの?」
「二、三日様子を見てそれで元に戻らないようだったら外科に行って切ってもらう」
「切んの?」
「だって…こんな耳で人前に出ることは出来ないし、今日の取材みたいな時は困ってしまうから」
開き直って正直に話してしまおうかとも思わないでも無いけれど、猫耳の棋士というのは例えばタイトルをか
けた一戦の時に、あまりにも緊張感を削ぐのでは無いだろうか。
「こんなもののせいで集中出来ないって言われるのは嫌だし、心理戦を持ちかけていると思われるのもしゃ
くだし」
「しゃくって―――おまえってやっぱ、おまえなんだよなあ」
フツーのヤツの心配の仕方とちょっとどこかずれてんだよなと言われて思わずむっと口が尖った。
「どうせぼくは――」
「あ、違う。嘘。けなしたんじゃないから」
くすくすと笑って、進藤は耳をいじる指にほんの少しだけ力を入れた。
「――――ふっ」
ぞくりと震えが走る背中に、恨めしく見上げるとごめんと笑った。
「あーなんかもう、めっちゃくちゃカワイイよな、おまえ。もうこのまま一生これでもおれは全然構わないんだけ
どなあ」
「ぼくは構うよ」
「だから『おれ』は構わないんだって。なんだったらおれもこんな耳つけて二人でケダモノやってもいいよ」
「またキミはそういういい加減な」
耳をいじる、進藤の指はとても優しい。
優しくて気持ちよくて、この指になら何をされてもいいと思ってしまう。
「キミは――猫と言うより犬かな」
撫でられ続け、すっかり気持ちよくなってしまったぼくは、行為の疲れもあってとろりと眠くなってしまった。
「犬? 狂犬かもしんないぜ」
かぷと頬を軽く噛みながら、進藤は小さく笑った。
「いいよ―キミなら」
キミなら狂犬でも野良犬でもなんでもいいやと。
「きっと犬の耳がついたキミはとても可愛いよ」
キミとだったら本当に、二人でケダモノ棋士をやってもいいかもしれないと、とろとろと眠りかけの意識は理
性の欠片も無い言葉を紡ぎ出した。
「キミが犬でも猫でもやっぱり、ぼくもキミが好きだよ」と、そのままぼくは耳をいじられながら深い眠りに落
ちてしまった。
「ん、おれも大好き」
塔矢と優しい声が言って、額に温かいキスが落とされたけれど、指一本動かすどころか目を開くことも出来
なかったのだった。
朝。
ぐっすりと眠ったためか少し早めに目覚めたぼくは、まず最初に頭の上に手をやった。
もしや何かの奇跡で猫耳がきれいさっぱり無くなっていないかと思ったからだ。
けれどそうそう都合よくはいかないもので、明かに人の耳でない産毛の生えた耳は依然としてそこにあった
のだった。
「まあ……そううまくいくはずもないか」
そして御姫様は王子のキスで元の姿に戻りました――。
そんな昔話のような収束を期待していたのに、世の中そこまで上手くはできていないらしい。
ふうと大きくため息をついて、ぼくは傍らに眠っている進藤を見た。
(彼は確か今日手合いがあったはずだからそろそろ起こさないと)
ゆさゆさと布団を揺り動かしてあれっと思う。
なんだか進藤の髪の間に見慣れないものが見えないだろうか?
染めている前髪とも明かに違う、柔らかな茶色の『毛並み』。
半分布団に隠れている頭を恐る恐るのぞいて見たぼくは、はっと思わず息を飲んだ。
彼の頭にもぼくの頭に生えているのと似たような、茶色い犬の耳が新たについていたのだ。
「進藤キミ…」
気配で目を覚ました進藤は、寝ぼけた目をこすりながらぼくを見た。
「ん…なに?」
ぼくの声に、犬耳はちゃんとぴくりと反応した。
柔らかそうでそれでいてぴんと立った茶色い耳は、染めた彼の髪によく似合うなと思った。
「塔矢?」
「いや…」
困らなければいけないはずなのに、でも何故か半分嬉しいような気持ちがする。
「―キミの新しい耳」
「耳?」
「…うん、なんて言うかすごく」
似合っていてとてもかわいいよと、言葉で言う代わりにぼくが身を乗り出して彼の犬耳を
優しく甘噛みすると、彼は驚いたように小さく叫び声をあげたのだった。
(終)
※ということでハッピーエンドです。←ええっ??
ラスト、えっちをして目が覚めたら猫耳が無くなっているという綺麗なオチを想像した方、世の中そんなに甘くは無いです(笑)
一度生えた耳はそんな簡単には無くなったりしません。でもヒカルにも生えてきたのでこれからなんの憂いも無く、可愛いケ
ダモノカップル棋士として囲碁界に君臨していくことと思います。よかったよかった。
猫耳ヒカル・猫耳アキラというネタはもうきっと世の中の愛に満ちたサークル様でたくさん書かれ・描かれてきたものだと思い
ます。実際かわいいし。特に猫耳アキラ。
私なんぞが今更書くのもおこがましいと思いましたが、なんだか思いついたら止らなくなってしまったので一気書きしてしまい
ました。
こんなバカな話を最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。呆れないでいただけましたらとても嬉しいです。
2005.4.8 しょうこ