遠い夜



手を伸ばし触れようとして、そうしたら消えてしまう
そんな儚い夢を見た。
寂しくて
寂しくて
目を覚ました時、布団の中にあいつの体を探してしまった。


合い鍵を持っているというのは良いこともあれば悪いこともある。
例えば今、明け方四時だというのに、いきなりあいつの部屋に向かう自分は、はっきり「悪い」
のではないかとそう思う。

うす暗い通路に出て、焦ったように鍵穴に差し込んでドアを開ける。
きっとあいつは寝ているはずで、でもその布団に潜り込んで抱きしめなければもうダメだと、そ
んな妙に追いつめられた気分だった。

(怒るだろうな)

どれほど親しくなろうとも、礼儀や常識を重んじる。塔矢はそういう性格だったから。
そうとわかっていても、温かい肌に触れなければ泣いてしまいそうな、おれはそんなイカレタ精
神状態だったのだ。

悲しく
寂しくて

あいつがいるということを確かめたくてたまらない。
だから殴られてでも、とにかく抱きしめさせてもらおうと、こんな非常識なことをしているのだった。

(まだ寝てるんだろうなあ)

驚くだろうなと思いつつ一歩中に入ると、ふわりと温かい空気が流れ出して来て、あれ?と思った。
もっと冷え切った空気を想像していたのに、暖房がついているのに気が付いてどうしてだろうと思
う間も無く「進藤?」と声がかかった。

「どうしたんだ、こんな時間に」
「そりゃ…おれのセリフ」

まだ日も昇っていないというのに、パジャマ姿の塔矢はやかん片手に台所に立っていたのだった。

「ん…なんか早く目が覚めてしまってね。もう少し寝ていてもいいんだけど、もう眠れなくなってしま
って」

だからお茶でも飲もうとお湯を火にかけようとしていたのだと苦笑したように笑いながら言う。

「キミも飲む?」

促されて、うんと頷く。

「じゃ、そこ座って待ってて」

ダイニングテーブルを指さされて、勢いをそらされたような気持ちで大人しく椅子を引く。

「お茶がいい?それともコーヒーにする?」
「あ、どっちでもいい。おまえが飲もうとしてるのと同じでいい」

じゃあお茶ねと、てきぱきと塔矢は手を動かして、それをぼーっと見ているうちにとんと目の前に湯飲
みが置かれた。

「どうぞ」

言いながらあいつも向い側に座り、なんか変なことになっていると思いながら、あいつのいれてくれた
茶をすすった。

「―たまにね」

しばらくお互いに無言で、でもやがてあいつがぽつりと言った。

「たまに、寂しくなる時がある」
「え?」

ドキリとして顔を見るとあいつは湯飲みを持つ自分の手をじっと見つめていて、その表情には自嘲めい
たものが浮かんでいた。

「何がって言うんじゃないけれど、急に不安になってそれで眠れなくなったりすることがあるよ」

恐い夢を見て目た時、そうではなくて唐突に真夜中に目を覚ましてしまった時。

「普段は気にならないようなことが気になってしまって、それでひどく寂しい気分になったりするんだ」

寂しくて
寂しくて
一人でいるのが耐えられなくなって。

そんな時、こうして起き出して、気持ちが落ち着くまでキミのいる部屋の方をながめていたりするんだと、
あいつは言った。

「おれのいる方?」
「ん、壁一枚向こうにキミがいるんだって、だから寂しくなんかないんだってそう思うと安心するから」
「今日も…寂しくなった?」

塔矢はそれには答えずにただ静かに微笑んだ。

「今日はものすごく運が良かった。顔が見たいと思っていたらキミの方から来てくれたんだから」
「それは―」

おれも寂しかったからで、しかも辛抱が足りないことに合い鍵で入ってきて一方的にそれを解消しようとして
いたのだと、言いかけて恥ずかしくて言えなくなった。

「それは、なに?」
「なんでもない」

なんでもないけど、お願いさせてと言うとあいつはきょとんとした顔になった。

「今度から、そーゆー時は壁叩いて。そしたらおれ今日みたいに来るから」
「いいよ、そんな悪い―」
「その代わりおれも…寂しい時は壁たたくから、甘えさせて」

おれのこと抱きしめて、イイコイイコって優しくしてよとそう言うと、あいつは目を見開いてそれから笑った。

「いいよ、わかった。そうしよう」

そして少し考えるような顔をした後で、飲んでいた湯飲みを置くと、おれの側に来た。
なにをと思う間もなく、座っているおれの頭を抱え込み、それからそっと髪に口づける。

「寂しく…なったの?」

キミもそうだったのと尋ねられて顔が赤くなる。

「キミでもそんな時があるんだ」と、一人ごとのように言ってあいつはおれをぎゅっと抱きしめた。
「じゃあリクエストにお答えして、思い切り優しくしてあげよう」

何して欲しいと言うので、そりゃもちろんして欲しいことはあるけどさと茶化しかけた口を自分でつぐむ。

「そうだなー、とりあえず、おれにもおまえを抱きしめさせて」

そう言って、腕をまわしあいつの体を抱きしめると頭の上で軽やかな笑い声が響き、それから更に強く抱
きしめ返されたのだった。


ラブトレに行きたかったけど行けなかったよう(TT)という方のために。
たくさんのヒカアキサークルさんの新刊の代わりにはなりませんが、元気だしてくださいね。
2004.2.8しょうこ