Mouse to  mouth



その日、和谷くんたちと約束したからと早朝から出掛けた進藤は、夜中の一時を過ぎた頃になって
やっと帰ってきた。


「たっだいまー」

上機嫌にぼくの部屋のドアを開け、寝ていたぼくの体を布団ごとゆさゆさと揺さぶると、どさっとのしか
かるようにして抱きついてきた。


「ただいまー塔矢。も、すっげ楽しかったぁ」

十二時頃まで棋譜並べをしていて、やっと寝付いたばかりだったぼくは、目をこすりながら不機嫌を隠
さずに言った。


「…おかえり…どこに行ってきたんだっけ」
「えー、朝言ったじゃん、TDLだよTDL」


ああ…とまだ眠い頭でぼんやりと思う。そう言えば朝もこんな感じで眠っている所を無理やりたたき起こ
されて「行ってらっしゃいのちゅー」を強要されたのだった。


さすがに朝は辛くてひっぱたいてしまったのだけれど、この様子ではそのことはもう記憶から消し去られ
てしまっているらしい。


「な、な、見て見て〜」

見てと言われても電気もつけてない部屋の中で何を見ろと言うのだと、迫ってくる体を押しのけて起きあ
がる。
電気をつけてようやく開いた目で進藤のいた辺りを見ると、そこにはこれ以上無いくらい嬉しそうな顔をし
て布団の上に座り込む「ネズミ男」がいたのだった。


「進藤、そのフザけた格好は…」
「ん? カワイイだろ。行った全員でおそろで買ったんだ」
「いや…そういうことじゃなくて…」


結構イイガタイをしたイイ年のオトコが、ネズミの耳のカチューシャをして嬉々としている姿はカワイイとい
うよりはおかしいの方が近いような気がするのだが。


「いや、すっげ混んでてさぁ。買うの大変だったんだけど、せっかくだから買おうって並んでさー」

こんなものを買うために並ぶ神経が今ひとつわからないけれど、進藤にとってはそれを買えて、みんなで
おそろいでできたということがとても嬉しいことのようなので、敢えてツッコミは入れないことにする。


「あ、もちろんおまえにも買ってきたからー」

おみやげと言われて、そっくりだけどちょっとだけ違うネズミ耳のカチューシャを渡された。

「してして。して見せて」
「嫌だよ」


何が悲しくて深夜にたたき起こされて、こんなものをつけなければいけないのだろうか。

「えー、せっかくミニーの買ってきてやったのに」

あのネズミ、そんな名前がついていたのかと、ぼんやりと思ったら表情を読んだのか、即座に進藤が「違う
、違う」と口を尖らせた。


「こっちはミッキーので、そっちがミニーの。おまえのことだからどっちも『ネズミ』で囲っちまってるんだろうけ
ど、全然違うんだからな」おれのしてんのはミッキーマウスので、おまえのはそのコイビトのミニーマウスのな
の!と、買ってきたらしい人形まで取り出されて説明される。


なるほどつがいだったのかとつぶやくように言ったらはっきり顔に出されて呆れられ、念を押されるように言わ
れた。


「な、だからもう間違えんなよ。つーか、その年になってもミッキーとミニーの区別が付かないってことがおれは
不思議だよ。ガキん頃にアニメ見なかった?」
「小学生の時に一度だけビデオを見たことがあるけど…」


お子さんにと言って、父の知り合いが持ってきてくれたことがあって、何本か父と二人で正座して見た覚えがあ
るのだ。


二人して見て、見終わって何の感想も無く、「じゃあ打つか」という話しになり、母にひどく呆れられたのだが。

「じゃあ…まさかおまえTDLに行ったことが…無い?」

恐る恐る言われて、ぼくは思い切りばつ悪く頷いた。

「なっ、マジ? なんで? 中学ん時、最低でも一回くらいはダチと行こうって話しになっただろ?」
「海王は…進学校だったから」
「あー…」


進藤は納得したようだったが、実際は違っていた。海王でも皆、友人同士で遊びに行っていたし、よくそういう話しも
していた。


ただ、ぼくは誰からも誘われたことが無かったのだ。

元々取っつきにくいのか、話しかけられることは少なかったのが、プロになり、手合いで授業も休むようになってから
は余計、忙しそうだからと言って、遊びの誘いをかけてくる者がいなくなった。


下手に誘われて断る理由を考えるのより気楽だと思っていたけれど、こうしてあからさまに驚かれると自分が人間と
して欠陥があるようで後ろめたい気分になる。


「葉瀬中も進学するやつけっこーいたけどさ、でもみんなつるんでよく遊び行ったぜ。今でも時々集まって遊ぶし」
「もっぱら…キミが中心になってやってるんじゃないのか?」
「ん、そう」


進藤は人懐こい性格で、それ故人にも好かれる。
友人も多いようで、しょっちゅう今日のように友達同士で遊びに行ったりする。


それが羨ましいわけでは無いけれど、時にふと我が身と引き比べて、寂しい気持ちになったりもするのだ。

「…明日行こうか?」

少しの間自分の考えに沈み込んでしまっていたら、いつの間にか進藤がすぐ目の前に来ていて、ぼくの顔をのぞき
込むようにして見ていた。


「明日…おれと行かねぇ?」
「え?」
「いや、行ったこと無いんならさぁ、おまえおれと行かねぇかと思って」


すげぇきれいだったし、きっとおまえ気に入るよと言われて、でもしばらくの間、何を言われているのかわからなかっ
た。


「え?」

バカのようにもう一度聞き返すのに、進藤はだーかーらーと辛抱強く繰り返した。

「おれと、明日、TDLに、行こう」

小さな子どもに言い聞かせるように一言、一言区切って言われ、ようやく理解した。

「だっ…キミ、行ったばっかりじゃないかっ」

今日(正確にはもう昨日)行ったばかりの所に翌日行くというのはあまりにバカらしい。

「ん?へーき。おれディズニーランド大好き。毎日行ったってかまわないよん」

もっとも金がねぇから行きたくてもそんなには行けないんだけどと、笑いながら、「でも明日、もう一回行くくらいなら
まだ今月余裕ある」と言う。


「いいよ、勿体ない」
「なんで? だから大丈夫だって。今クリスマス期間で色々催しやってるし、夜は花火あるし。今日行きそびれたアトラ
クションもあるからおれ、もう一回行きたい。それに…」


おまえ花火好きだろうと言われて、思わずこくりと頷いてしまった。

「うん、じゃあ決まり。一緒に花火見よう? すげーキレイだから。なんだよ〜昨日誘った時、おまえやけに意固地にな
って嫌がるから、TDL嫌いなんかと思ったじゃんかよぅ」


にこにこと言われて、ばつ悪く黙り込む。そう、確かに昨日誘われることは誘われたのだった。
でも、一緒に行くメンバーのほとんどが彼の院生仲間だと聞いて、疲れているからと断ったのだった。


「やっぱ今日一緒に来ればよかったんだ。クリスマスパレード、すげ、キレーだったんだぜ。みんなちょっと酒入ってた
からノリノリでさぁ―」
「やっぱり行かない」


楽しそうな進藤の言葉を思わず遮ってしまった。

「え? なんで?」
「キミがそういうことをぼくに期待しているのだったらぼくは行かない」


ぼくはキミの友達のように、おそろいでミッキーマウスのカチューシャをつけて騒いだりするようなことは出来ないからと。

「別におれは―」
「ぼくはそういうふうに騒ぐのは嫌いなんだ。だからやっぱり行けないよ」


中学の時、誰一人としてぼくを遊びに誘わなかったのは、つまりそういうことなのだろうと思うのだ。
ぼく自身が人を近づけなかったせいもあるけれど、それだけではなくて、皆、プライベートでのぼくがつまらない人間だと
いうことを知っているから、だからきっと誘わなかったのだ。


「ぼくと行ったって―キミ、きっとつまらな―」

言いかけた瞬間、キスで唇をふさがれた。

「おまえバカじゃねえ?」

顔が離れたと思ったら、進藤は人の頬を両手でぎゅっと挟んでそう言った。

「おまえとじゃなきゃ―つまんねぇんだって」

乱暴な口調で、でも瞳はたまらなくなるほど優しく細めて、進藤は言ったのだった。

「愛してる。愛してる。愛してる。今日、おれすげー楽しかったけど、でも、おまえがいないから、いつもやっぱし、ちょっ
ぴり寂しかった」


だれといても、どこにいても、おまえがいないだけでおれは満たされないんだよと進藤はそう言って、ぼくの唇を軽くつ
いばむようにして口づけた。


「いるだけでいいんだって。別におれ、おまえとバカ騒ぎしたいなんて思わねぇもん」

一緒にいて、手ぇつないで、同じもんを同じ場所で同じ時間に見たかった。
ただ、それだけなのだと言って、進藤は頬に、それから鼻に、そして額にと軽いキスを散らした。


「なんでわかんねぇの?おれにとっておまえはスペシャルなんだって。おまえといてつまんないことなんか絶対に無い。
おまえといるから楽しいんだってば!」


早くわかれよ、バカと酷いことを言いながら進藤はぼくの瞼にキスを落とした。
くすぐったくて一瞬ひそめてしまった顔をおかしそうに見て、それからゆっくりと舐めるようにして、ぼくの唇に自分の
唇を重ね合わせた。


「塔矢―大好き」

歯を顎を舌でさぐり、息も出来ないほど深いキスをしてからやっと進藤は離れた。

「おれと明日デートしてくれる?」

にこっと、ただそれだけでもう逆らえない、人懐こい笑みがぼくを促す。

「こ…これをつけなくても…いいなら」

買ってきてくれたネズミ耳のカチューシャを指さして言うと、進藤は少し口を尖らせて、けれどすぐに「まあいいか」と
いうような顔になった。


「いいけど、その代わり家でしてな? 打つ時とかぁ、する時とかぁ」

風呂入る時もしてねと言われて、思わず怒鳴ってしまった。

「じょ…冗談じゃないっ!」
「だってこれ、結構高かったんだぜ? なのにしてくんなくちゃおれマジで凹むし」


明日してくれるんだったら一日で許してやるよと言われて、どうしてこんな性格の悪い男を好きになってしまったのだろ
うかと真剣に悩んでしまった。


「どーする?明日つけてくれる? それとも普段使いでオレのこと楽しませてくれる?」

イヤラシイ言い方に睨みつけてみたけれど、進藤は全然堪えた様子も無い。

「あ、明日…つける」
「やったあ」


勝利!という感じで、進藤は喜色満面になると、ぼくの頭にカチューシャをかぶせた。

「ほら、似合うじゃん、めっちゃカワイイ。うわーおれ明日すげぇ楽しみー♪」

浮かれまくる進藤とは逆に、自分がどんな間抜けな姿になっているかと思うとぼくの気持ちは沈み込んでいく一方だ
った。


「なんで…そんなに、こんなものにこだわるんだ?」

恥ずかしさのあまり真っ赤になりながら言うと、進藤はまたぼくの頬を挟み、それから愛しくてたまらないというように、
ちゅと優しくキスをした。


「えー、カワイイからに決まってんじゃん」

当たり前というように言われて、一瞬殴ろうかと思ってしまった。
けれどぼくが手を振り上げるより先に進藤は口を開いて。


「なんてな、嘘」

いや、カワイイのも本当だけどと慌てて付け足して、滅茶苦茶照れくさそうに言う。

「だからー、さっき言ったじゃん。ミニーはミッキーのコイビトなんだって」

オレのコイビトはおまえでしょう?

だからおまえにつけてもらいたかったんだと、そう言われて頬が熱く燃えた。

「ば」

バカと言いかけるのに「バカだもーん」と嬉しそうに笑う。

「おれ、塔矢バカだから」

だから「エイエンにコイビトでいてね」と甘えるような声でそう言われて、ぼくもつられて笑ってしまった。


耳でも尻尾でもなんでも。
キミが望むならつけてあげる。


ぼくを好きだと言ってくれる、キミのことがぼくもとても好きだから。



甘甘です。アキラはTDLに限らず、遊園地系はほとんど行ったこと無いと思います。でも行ったら楽しいと思うんだけどな。