青鳩




どこにいても海王の制服はひどく目立った。

肩の上で揺れる、切りそろえられた髪を見る前に、もうそこにいるのが塔矢だと遠目でも
わかった。


涼やかな。

ひどく涼やかな立ち姿。




「なにしてんの? おまえ」

駅前の人混みで、見覚えのある人影をみつけた時、ためらうよりも先に声をかけていた。

こんな所に居るのが不思議なくらい、そこだけ粛々とした空気が漂うような。
人というより、もっと尊い何かのような、そんな雰囲気がその整った横顔にはあった。


―けれど。

「なんだ…キミか。キミには関係無い」

そう素っ気なく言われた時、尊い何かは途端に生きて血の通った人間になった。

「なんだよう、そりゃ確かにおまえが何してたっておれには関係無いけどさぁ」

似合わない人混みに、さっきからずっとたたずんでいた。

考えるような迷うようなしぐさを一度見たら何故かこちらも足が動かなくなってしまって、気が
つけば阿呆のように見つめてしまっていた。


「なんか落としたのか? 一緒に探してやろうか?」

どうせとりつく島も無く、「結構」と言うんだろうと思いながら、その視線の先にあるものを見る。

「え…と、鳩―?」

植え込みの影に鳩が一羽横たわっているのを見つけて少しばかり驚く。

「なに?これ死んでんの?」

見る限りは、ただ座って休んでいるだけのようにも見えるが、ぴくりとも動かないのでやはり
死んでいるのだと思った。


「朝、来る時にもここにいて気になっていたのだけれど、今見てみたらやっぱり死んでいるよ
うだから、どこかに埋めてあげた方がいいかと思って」


おれにというより、ほぼ一人ごとのように言う。

「んー、でもここらに埋めるとこなんてさぁ」

夕方の人で溢れた市ヶ谷には、鳩を埋めるような場所など見あたらない。
川に投げ込むわけにもいかねーもんなあと、きょろきょろと辺りを見回していると、塔矢がい
きなりすっと腰を落とした。


鞄を左脇に挟み、それから両の手で包み込むようにして鳩を持ち上げた。

「き」

汚いんじゃねえ?と言いかけて、軽蔑されそうでやめる。

「ぼくは、どこか…埋められるような場所を探すからキミは帰ればいい」

あっさりとした言葉で言うと、もうおれを視界から外した。

ちょうど信号が変わり、歩いてきた女子高生の集団が、塔矢の手元を見て「気持ち悪い」と
言うのが聞こえた。


「あの鳩死んでんのかなあ」
「よくあんなの触れるよね」


ほっとけよとムカついて、でも、好奇心だけを乱暴にぶつけるそんな通りすがりを塔矢が全く
気にしていないことにすぐに気がついた。


ただあちこちを見回して、どちらに行こうかと思案している。その姿に、こいつには汚いとかキ
レイとかそういう頭は無いんだなと思った。


他人の目とかそういうことはどうでもよくて、死んでいる鳩をどうにかしてやりたい、それしかな
いんだと思ったら、何故かとても嬉しくなった。



「あっち」
「え?」
「確か交番の向こうに公園があったと思うけど」


おれが話しかけると、塔矢は心底驚いた表情をした。


「帰らないのか?」
「別にいいだろ付き合っても」


おれ、どーぶつ好きだし、その鳩かわいそうだと思うしと、言うと塔矢はにこりともせず、
「鳥類」と一言訂正を入れてきた。


かわいくない。相変わらずかわいくないと心の中で思う。

「で、どーする?公園に埋める?」

「いや、法律で公園に動物の死骸を埋めるのは禁止されていたはずだから」
「鳥類」


訂正を入れてやると、塔矢はおれを軽く睨んだ。

「とにかく、どのみちそっちの公園は狭くて人の目も多いし、鳩なんか埋められないよ」
「じゃあどうする?」
「橋を渡った反対側か、それとも坂を上がった先にある土手か…」


どちらがいいかなと、相変わらずそれは独り言ではあったのだけれど、少しだけ問うような
響きがあって、あれっと思った。


「土手のがいいんじゃねえ?」
「そうか、そうしようかな」


塔矢は言うなり、すたすたと歩き出した。

「…なあ、その鳩なんで死んだんだろ」

無視するかな、そう思いながら話しかけてみたら意外なことに塔矢は返事をした。

「さあ…今日は真夏並に暑かったからそれで衰弱したんじゃないかな」

九月だというのに三十度を超えた。今年は秋が遅いと、エレベーター待ちをしている時、大
人たちがそう話していたのをおれは思い出した。


「暑くて死ぬんだ?」
「病気かもしれないし、年をとっていたのかもしれないし、わからないけど…でも」


冬の寒い日に寒さで凍えた鳩が電線から落ちて死ぬのを見たことがあるからと、塔矢は言
って手の中を見た。


「人間だって、暑さで死ぬこともあるだろう?」
「うん」


なんか変な感じだった。
おれと塔矢が人混みの中、まるで友達同士のようにして歩いている。


「健康ならなんでもないことでも、弱っていれば堪えることもあるからね」
「…ふうん」


ぎこちなく交わされる言葉が、でも何故か心地よかった。







「ここらへんでどうだろう」

人混みを抜け、ようやく着いた土手で、塔矢は線路側に生えている桜の木を見て言った。

「いんじゃねえ。ここだったら誰も気がつかないと思うし」

今は葉だけの桜だけれど、桜の時期になればきっときれいに花が咲く。

「そうだね」

塔矢は鳩をそっと土の上に下ろすとそのすぐ横を掘り始めた。
きれいな指が真っ黒い土に汚れても気にした風も無いのに、なんとなくおれは潔いという
言葉を思い出した。



自分が汚れることを気にしない。
だからこいつはこんなにキレイなんだなとそう思った。



「ココロがキレイなんだ」
「え?」



塔矢がぎょっとしたように手を止めた。

「今なんて言った?進藤」
「いや、別になんにも言ってないよ。空耳なんじゃねえ?」



それでもまだ腑に落ちないような顔をしているのに「さあ、さっさと掘っちまおうぜ」と言っておれ
も一緒に土を掘り始めた。
口を開け、何か言いかけた塔矢はでも結局は何も言わず、おれたちは二人黙々と穴を掘り続
けた。



鳩一羽。
たいしたこと無いと思ったのに土が結構硬くて、なんだかんだで埋め終わるまでに三十分くら
いかかった。




「これで…いいかな」

桜の根元、散歩に来る犬猫が簡単には掘り出せないように少し深めに穴を掘った。

今、最後の土をかけもどして見ると、そこは少しだけ土の色が変わっているものの、何事も
無かったかのようで、不思議な気分だった。



この下に鳩が埋まっているなんて、誰が思うだろう。
おれたちが二人して、その鳩を埋める穴を掘ったなんて、一体誰が思うだろうか?



(あの、冷徹で頑固な囲碁の鬼とだぜ)

自分で言って苦笑する。
誰が最初に言ったのか知らないけれど、こんなにキレイな鬼がいてたまるかと思ったからだ。



潔くて凛々しい。
こんなキレイな鬼がいるわけがない。



そう思った自分にひどく驚きもしたけれど。




「ありがとう」


屈み込んでいたせいで軋む背中を伸ばしてから、手についた泥を落としているとふいに塔矢
が言った。


「え?」

聞き返すとふっと一瞬視線が緩んだ。

「何も言っていないよ、空耳じゃないか?」

うっすらと微笑むその顔に、ムカつくよりもドキリとした。

「―か」

さっきの訂正、こんなにキレイでカワイイ鬼がいるもんかと思い、でもそれはつぶやくのみで
胸に秘めた。


それっきり駅までは何も言わずに二人歩いたのだけれど。

素っ気なく改札で別れた後も、ずっと塔矢の顔が忘れられなかった。


鳩を抱き、たたずんでいた凛とした横顔。
土に指を汚しながら一生懸命穴を掘っていた、間近で見た顔。
さよならと、堅苦しく言って地下鉄の改札に向かったその背中。




どれもこれも鮮やかに焼き付いて、閉じた目の裏側にまだくっきりと浮かぶ。


また見たい。
あの顔がまた見たいと思った。







「今日は良いことをしましたねぇ、ヒカル」
「え?…ああ、うん」


家に帰り、佐為に話しかけられた時も、ぼんやりとまだ塔矢のことを考えていた。

「盤の前では厳しいですが、塔矢アキラは、優しい、美しい心根の持ち主なんですねぇ」


一点の曇りもない。

そんなこと最初から知っていたと思う。



「ほんと…キレイだったな」
「え?なんですか?ヒカル」
「なんでもねー」


誰にも言えない。
自分でもまだ気がついていない。




鳩を抱いたあいつは本当にキレイだったと、ため息まじりにつぶやいたその時が
永遠の恋の始まりだった。







すいません。今七月ですが、九月の話です。初夏にするか残暑にするかすごく迷って、年表と相談して秋にしました。
夏に秀英と打って勝った後、棋士採用試験の真っ最中辺りのお話です。
アキラ内では少しだけヒカル株が上昇していて、でもヒカルはそれを知りません。


佐為ちゃんは鳩を埋める間中もずっと話しかけていたと思いますが、ヒカルは目の前のキレイなものに気をとられていて
それを全く聞いて無かったよという感じです。家に帰ってやっとちょっと脳に他のものが入るスペースができたのです。
2004.7,4しょうこ