※この作品は春待宴様に投稿させていただいたものです。



SAKURA




今年の春は遅いかもしれない。

去年の暮れにそう天気予報は言っていたのに、予想に反して春はいつもより早くやって来た。

まだ年が明けて間もない頃から花芽は膨らみ始め、2月には雪もまともに降らないまま、暖か
な風が吹くようになっていた。


そして3月になった今、驚いたことには気の早い桜が咲き始めていたのだった。



「こういうのが異常気象って言うのかなあ」

ゆっくりと市ヶ谷の土手沿いの道を歩きながら上を見上げて進藤が言う。

「さすがにまだ満開じゃないけど、三分ぐらい咲いてるよなあ」

所々で気の早いおっちゃん達も花見をしているし、今年の春は本当に早いとどこか浮かれた
調子で言われてため息をついた。


「確かに春は暖かくて気持ちが良いけれど、異常気象で喜ぶのは感心しないな」

それは環境が破壊されて自然のバランスが崩れているってことなんだからと諭すように言うと
進藤はさすがに少々ばつの悪い顔になった。


「でもさー、いつも桜満開の頃は忙しくてまともに花なんか見られないから今年はゆっくり見ら
れて嬉しいなって」


それも悪いのかよと拗ねた口調で言われて苦笑する。

「悪くないよ別に、そうだね、いつもその頃は忙しいよね」


暖かくなり空気に花の香りが混ざる。

その頃になると皆何かしたいような気持ちに突き動かされるらしく、指導碁の依頼やアマチュ
アのイベントが他の時期に比べてぐんと増えるのだ。


「おれら下っ端だからいつも駆り出されちゃうしさ、こんなふうにおまえとゆっくり桜見なんて出
来ないじゃん」
「まだ三分咲きだけどね」


ちらほらと咲く淡い花びらは川から吹いてくる風に揺られて頼りない。

もっと満開になったならば空を覆うようなピンク色のアーチがこの土手には出来るのに、たぶ
んそれをぼく達が見ることは無いんだろう。


「でも…その方がいいかな」

独り言のつもりでつぶやいた言葉を耳ざとい進藤はちゃんと聞き取っていた。

「なんで?」
「え? なんで『その方がいいかな』なん?」


それって桜のことだろうと、おまえ桜が嫌いだったんかよと言われて一瞬黙る。

「綺麗じゃん。いかにも日本の春って感じでさ」

学校にだってどこにだって植わっている。

花に疎いおれでも桜だけはさすがにわかるし綺麗だと思うぜと言われてつい胸の奥に仕舞
っていた苦い思い出が転がり出る。


「ぼくは桜は嫌いだよ。特に満開の桜は…」

キミに拒まれた思い出しか無いからとぼくが言った言葉に進藤ははっとしたような顔になっ
た。


「あ―――ごめん」
「いいよ昔のことだし、いきなり押しかけて行ったぼくが悪かったんだし」


中学に入ってすぐ、進藤に会いたくて彼の中学に押しかけて行った。

その時拒まれて閉められたカーテンは長い間心の中に鈍い痛みと共に消えることが無く残
像のように残っていたのだ。


「…ただ、あの時は拒まれるなんて思わなかったから…」

ちょっとショックだったんだよと言った言葉に更に進藤は申し訳なさそうな顔になる。

「ごめん、あの時はおれもガキだったから」
「もう今は大人になった?」


そんなに変わらないだろうと笑いかけた顔をしっかりと手で挟まれて、気がついたら進藤の
顔が目の前に近づいていた。


――――あっと思う間もなく唇が重なって、目を閉じる間も無く再び離れる。


「大人だよ。子どもはこんなことしないだろう」
「って…進藤っ!」



それは生まれて初めてのキスだった。

彼以外誰にもされたことが無く、たぶんこれから先も彼以外に絶対に許すつもりも無い。

無防備で剥き出しなぼくの心。

それに彼が触れた最初だった。


「信じられない…こんな所で」

まだ温もりの残る唇を指で押さえながら言うと、進藤はにやっと笑って悪びれなく言った。

「誰も見てないってちゃんと確認してからやった」

そしてこれからもやるつもりだから覚悟しておけよと言った瞬間風が吹き、ぼくと彼の間を
早咲きの桜の花びらがはらはらと儚く横切って散った。



「確かに…」

確かに彼は大人になった。

気がつかない間に大人になってしまっていたのだと悔しい気持ちでそれを悟ったぼくは、で
も彼が手を差し伸べて来た時にそれを拒むことはせず、そっと自分の手を重ねると、自分
も大人になるために、彼に向かって極上の笑みで微笑みかけてみせたのだった。





この話のテーマは「初めてキスをする二人」ですv

季節はちょっと早めですが(汗)春の気分を味わっていただけたなら嬉しいです。
2008年 しょうこ




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