お伽噺




昼下がりの指導碁は学校が終わった小学生相手のもので、向かい合って打った内の一人は
もう何回か顔を合わせたことのある五年生の女の子だった。


小学生も中学年以上になると男の子はもうあまり喋らないものだけれど、女の子は逆によく
喋る。


その日も他愛無い学校での出来事から、いつの間にか話の内容は恋愛や結婚というものに
移り変わり、気が付けば好奇心一杯の目で見詰められていた。



「ね、塔矢先生はどんな結婚が理想なの?」

ませた子だなと苦笑しつつ、頭に浮かんだ言葉をそのまま言った。

「好きな人とずっと死ぬまで一緒に暮すこと…かな」
「えー? そんなの有り得ない」


結婚はそんなきれい事ばっかりじゃないのよと、したり顔で説教されて益々苦笑してしまった。

確かに結婚のなんたるかというものを未婚のぼくがわかっているとは思えないが、でも恋愛
を含めたそれらのことが、きれい事ばかりでは無いということだけはよくわかっているつもり
だった。




(お母さんも同じようなことを言っていたっけ)

少し前、考えに考えた挙げ句両親に進藤のことを打ち明けた。彼を愛していること、一生二
人で生きて行きたいと思っていること。


その時に言われたのがついさっき言われたことと同じようなことだった。


『あなたね、好きだから一緒に居たいなんて子どもじゃないんだから』

父は何も言わなかった。言いたくても言葉が見つからなかったのかもしれない。

『男女だって上手く行くとは限らないのに進藤さんは男の方でしょう?』

そういう世間とは違う生き方をするのは並大抵の苦労では無いし、差別や偏見が伴うものだ
と遠回しに翻意を促しているのがよくわかった。


『他の―普通の女の方を選ぶことは出来ないの?』
『―すみません』


ぼくは進藤しか愛せないのでと、頭を下げて言った時の両親の顔は今もしっかりと瞼の裏に
焼き付いている。


失望と怒りと、そしてそれを通り越した深い、深い悲しみの色。

(親不孝をしてしまったな)

一人息子の行く末を少なからず楽しみにしていただろう両親に大きな失望を与えてしまった
ことは、ぼくにとっても非道く胸の痛むことだった。


(でも、それでもこれだけは自分に嘘をつくことは出来ないから―)


ぼんやりと自分の思いにふけっていたら、目の前の少女が口を尖らせながらぼくに向かっ
て指を突き出していた。


「ねえ、塔矢先生ちゃんと聞いてる? そういうおとぎ話みたいな気持ちで居ると、最初は
良くても絶対破局して別れることになるんだから」


するとそこにちょうど男の子達の指導碁を終えたらしい進藤が通りかかった。

「ん? 何? 随分大人っぽい話をしてるじゃん」
「進藤先生聞いてよ、塔矢先生ったら大人なのに結婚観が全然なってないの!」


進藤もこの子とは顔見知りなので、眉を少し持ち上げるとにやっと笑って椅子を引き、どっ
かり座り込んで蕩々と続く語りに耳を傾けた。



「ふうん、それじゃ舞花ちゃんは『好きな人と死ぬまで一緒に暮す』なーんて言うのはぬる
いって思うんだ」
「別にぬるいとかそんなこと思って無いけど…でも、そんなのすごく子どもっぽいじゃない?」


結婚はもっとゲンジツテキで、最初は好きで暮し始めても相手が浮気したり自分が浮気し
ちゃったり、浮気相手と修羅場になったりするんだからと、一体どこでそんな認識を得たの
だろうかと思ってしまう。


(きっとこの子のお母さんやお姉さんが言っていたのを聞きかじって喋っているんだろうな)

それとも漫画やドラマだろうか?

そんなことを考えていると進藤が笑いをかみ殺しながら口を開いた。

「まあ確かにそういうことも無いわけじゃないけどな」
「でしょー?」
「でもおれも結婚観は塔矢と同じ」
「え?」
「『好きな人と一生死ぬまで暮したい』派かな」


えーっと起こる抗議をこめた声に進藤は邪気の無い笑顔で返す。

「舞花ちゃんの言う通り、マジで結婚って色々大変だけどさ、それでも一番大切なのは好
きなヤツとずっと一緒に居たいって気持ちだと思うよ」


そこでちらりとぼくを見たのでぼくは一人赤くなった。

「でも…そんなおとぎ話みたいなこと」

『そんなおとぎ話みたいなこと本当に出来ると思っているの?』

咎めるような母の声が少女の声にダブって蘇る。

『そんな、普通の結婚でも離婚したりなんだりよくあるって言うのに、そんな好きってだけ
で一生暮すだなんて…』



「―いいんだよ、なあ?」

それをかき消すような進藤の声にぼくははっとして彼の顔を見詰めた。

「おとぎ話だってなんだって、好きだったらやっぱり一緒に居たいじゃん?」

おまえだってそう思うだろうと言われる言葉に、ゆっくりと胸の奥底から熱いものがこみ
上げて来た。


「―うん」

うん、ぼくもそう思う。そう思い続けているよと、その答えはやはり少女の気にはいらなかっ
たようで、ぼくと進藤はその後再び抗議の叫びと、彼女の語る熱い恋愛・結婚観を聞かさ
れることになった。



「まったくいい大人なのに信じられない! 好きだけじゃずっと一緒に暮してなんかいけな
いのよ? いい? 進藤先生、塔矢先生」


うんうんと頷きながら、でも進藤は誰にも見えないようにそっとぼくの手を握ると小さな声で
囁いた。


「暮していけるよなあ?」

暮していける。キミとなら―。

決して楽でも無く、人に祝福されることも無い恋だけど、でも「おとぎ話」の道を選んだことを
ぼくは絶対に後悔なんかしない。


「一生…死ぬまで」

ぼくはキミと暮して行きたいとやはり小さな声で呟くと、進藤は嬉しそうに微笑んだ。


「愛してる」

「愛しているよ」

それだけで充分。


ぼくは彼の手を握りかえしながら、自分の選んだ茨の道をしみじみと切なく、けれど甘く幸
せな思いで噛みしめたのだった。




※茨道万歳!なんかモーレツに「いいじゃんそれでも」な気分になって書いてしまいました。
いや、いいじゃん好きならお伽噺でも。 何に一人憤っているのだか。
2008.11.7 しょうこ