十五のぼくへ2
「お茶をいれてくるから、ぼくの部屋で待っていてくれ」
そう言われて先に塔矢の部屋に向かう。
勝手知ったるなんとかで、もうどこに部屋があるのかわかっていたし、部屋の中に
何があるのかもよく知っていた。
(相変わらず面白みの無い部屋なんだよなあ…)
テレビも無ければゲーム機の一つも無い。当たり前と言えば当たり前なのだけれ
どあまりにも塔矢らしい素っ気ない部屋の中に思わず知らず溜息が出る。
「本棚の本もつまんねーのばっかりだし」
詰碁集に棋士の書いた本、参考書の類に辞典、辞書。たまに一般書が入っている
かと思えばおれが読んだことも無いようなカタイ内容の本ばかりで、本当につまん
ねーヤツだなあと苦笑せずにはいられなかった。
「もっとこう…男だったらエロ本とかさぁ」
もちろんそんな物が無いことは、最初に部屋に来た時に捜索済みで知っている。
「漫画の一冊でも入っていれば少しは人間らしいと思うのに」
寝転がり、見るとは無しに並ぶ本の背表紙を眺めていたおれは、ふと思いついて
一番下の段の一冊の本を引き出して見た。
それを引き出したのは本当に何の考えも無く、たまたまそれが詰碁集でも参考書
でも無かったからだった。
(でもどうせ、小難しい本なんだろうなあ)
そう思いなが座り直し、開いた瞬間に何かが落ちた。
ばさりと膝の上に落ちたそれはきっちりと畳まれた白い紙で、最初なんだかわから
なかった。
「栞? …あ、もしかして点の悪いテストかな」
あいつでもこういう人間臭いことをちゃんとやるんじゃんと、嬉しくなって開いてみた
おれは瞬時にその場で固まってしまった。
『進藤ヒカル様』
それは間違いなくおれ宛に書かれた塔矢からの手紙だったからだ。
「なんだこれ…」
こんなもの書かなくてもほとんど毎日のように会っているし、メールも電話もしている
のにと訝しみながら読み進みていくうちに顔がゆっくりと端から赤く染まって行った。
「マジ―――?」
したためられていたのは塔矢からおれへの愛の告白。いや、そんな軽薄に言ってし
まうことが許されないような切ない想いの羅列だった。
『ぼくはキミが好きです』
でもきっとキミはぼくの気持ちを受け入れることは無いでしょうと、読みながら思わず
「そんなことねーよ」と言ってしまった。
「おれだって本当は―」
本当はおまえのこと好きなのにと、言いかけてそれが手紙であることに改めて気が
付く。
「あいつ、おれの前ではこんな素振り見せたことも無いのに」
連ねられた言葉のあまりの切なさに胸が痛む。
こんなにも塔矢が切羽詰まった思いで自分を好きで居てくれるなんて、今まで夢に
も思わなかった。
それは嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、同時に居たたまれないような切なさと痛みも
伴っていて、おれは読みながらつい正座してしまった。
背筋を伸ばして姿勢を正し、そうして読まなければいけないと思う程、それは真摯な
ものだったから。
「馬鹿だなあ―おまえ」
もしひとこと言ってくれたなら、おれも同じだと気持ちをすぐに返したのにと思いかけ
て、でも塔矢にそれが出来ないだろうことは容易にわかる。
『ぼくの勝手な気持ちなので、キミはどうか気にしないで欲しい』
「気にするよ」
ぽつりと呟いた瞬間、手紙の上に何かがぽたりと落ちた。それが涙で、自分がいつ
の間にか泣いてしまっていたことにそれで初めて気が付いた。
(だっておれ、どうしたらいい?)
こんな真剣で純粋な気持ちを向けられて、それで自分はどうしたらいいかと、簡単に
「好きだ」と返してそれでいいものではないとそう思った。
(この気持ちに相応しい男になんなきゃ)
塔矢がこんなに真剣に想い、好きで居てくれる相手として相応しい人間になろうとその
時静かに泣きながら決めた。
「いつかちゃんとおれ、言うから」
おまえに好きってちゃんと言うから、それまでもう少し待っていてくれと囁いて、手紙を
ゆっくりと折りたたむ。
それ以上汚さないように手紙に落ちた涙を袖で拭い、丁寧に本に挟んで元あった場
所に戻した。
「忘れない」
おれ絶対にこの手紙のこと忘れないからと呟いた時に部屋の襖が静かに開いた。
「お待たせ。頂き物の羊羹があったからそれも切って来た」
キミ、甘いものは嫌いじゃないよねと尋ねる塔矢の声に「あ、ああ」とぎこちなく返す。
「…どうかした?」
「いや、なんでも無いんだけど、ほらおれ花粉症じゃん? 鼻をかみたいんだけどこの
部屋ティッシュも何も無くて」
苦しい言い訳を塔矢は素直に受け止めた。
「ああ、ごめん今持って来る。それからもし良かったら目薬も花粉症用のものがある
から持って来ようか?」
目が真っ赤だよと言うのに苦笑しつつ「うん」と言う。
さっき読んだ手紙の塔矢とはまるっきり違う、いつも見慣れた塔矢が居る。
でもこの中には苦しい思いを抱え込み、必死な想いを手紙にしたためずにはいられ
なかった塔矢が隠れているのだ。
「キミは先に食べて待っていてくれ」
「ああ…うん」
「もし好きならまだあるからぼくの分も食べてしまってもいいよ」
「え? ……ああ、サンキュ」
見ないように、気付かれないように極力本棚の方には顔を向けなかったけれど、意識
はどうしてもそこに向かう。
「本当にキミは甘いものが好きなんだなあ」
笑いながら出て行く塔矢の背中にしがみつき、強く抱きしめたいようなそんな衝動にか
られたけれどおれは必死でそれをこらえた。
「うん、おれ大好き」
(おまえのことが―――)
でも今はまだ打ち明ける時では無いと思うから。
「もう少し待ってて」
遠ざかる廊下を歩く足音にそっと呟く。
「おれ、早くオトナになるから」
おまえが想ってくれるのに相応しいオトコになってそれからちゃんと打ち明けるから、だ
からどうかそれまでもう少し待っていてと、囁きながら本棚を見る。
ごめん。
ほんと。
もう少しだけ。
「…おまえがそこに居ることをおれは絶対に忘れないから」
本棚の一番下、右から7番目の緑の背表紙の薄い本。
その後、何度行っても二度と開いて見ることは無かったけれど、それ以来その本はおれ
にとって大切な誓いの本になったのだった。
※「十五のぼくへ」の続き、ヒカル視点の話です。頂いた感想で、ヒカルがもしそれを読んだならばというのを読みまして、
そちら側の話も書いてみたくなりました。ヒカルはそれはさぞ仰天して狼狽えたことだろうと思います。
嬉しいけれどカンタンに貰ってしまってはいけない。そう思っただろうと思います。
塔矢アキラが誰かを好きになる。それはきっと命がけの恋だと思うので。2009.3.9 しょうこ